第29話 大天使ジョイフェル

 翌日の学校。羽衣は退屈そうに授業を受けながら、誰も座っていない一番前の窓際の席を見つめていた。その場所は、昨日、鮮巳が座っていた席だった。


「最後まで来なかったな。サマエル」


 放課後、一人しかいな教室で、浮かない表情で机に突っ伏した羽衣にレオが話しかけた。羽衣が「う~……」と唸り声を上げる。


「なんでぇ……?」


「なんでって言われても、俺にはわからないぞ」


「羽衣、鮮巳ちゃんに嫌われたかなぁ……」


「気が向かなかっただけじゃないか?」


「……来るって言ったもん……」


「他の天使なんて信用するから……」


 そこまで言ってレオが心配そうに羽衣の顔を覗き込むと、羽衣は瞳を潤ませ、今にも泣きそうな表情をしていた。レオがギョッとする。


「あ、えと……その……た、体調でも崩したんじゃ……」


「明日は来てくれるかなぁ……」


「……ほら、そろそろ帰るぞ。遅くなる」


 レオが羽衣の腕を引き、羽衣が「ううん……」とあまり乗り気でない返事を返した。


「最近、綺心ちゃんも一緒に帰ってくれないし、みんなも忙しそうだし……寂しいなぁ……」


「俺がいるだろ」


「ううん……寂しい……」


 レオに手を引かれ、羽衣が教室から浮かない顔で出て行こうとしていた頃、恵慈は学校の校門をくぐり、帰路に付こうとしていた。


「みんなと帰らなくていいの~?」


 マーシーがのんびりと問いかける。


「四大天使に監視されていますし……あまりみなさんと行動すると反感を買うかもしれません」


「でも、寂しいんでしょ~?」


「そ、それは……もちろん……せっかく仲良くなれましたし……」


「天使同士で仲良しなんて、変な話だけどね~」


「……いけない……でしょうか」


 歩きながら悲しげな表情を浮かべた恵慈に、マーシーが「ん?」と首を傾げる。


「天使だから、仲良くしてはいけないんでしょうか……」


「な~に~? ジェレミエル、ダメだよ~? アリエルみたいなこと言い出しちゃ~」


「……わかっています」


 ふと、恵慈が視線を感じ前を見ると、女子生徒が数人、集まって話していた。


 全員聖サンタマリア女子中学校の制服を身に着けた生徒だ。その中で。こげ茶色の肩に付くぐらいの髪を、猫の耳を模して結った生徒が、バラ色の瞳でじっと恵慈を見つめている。左目の目じりにある二つの黒子が印象的だ。


「……マーシー……」


 恵慈が不安げな表情でマーシーを見る。マーシーはじっと女子生徒を見つめて、黙っていた。


「どうされましたの、華(はな)様」


「なにか気になることでも?」


 華と呼ばれた女子生徒はじっと恵慈を見つめている。その生徒がグループのリーダーなのか、周りの生徒はどこか顔色を伺っているように見えた。


「……いえ。けれど、皆さん先に帰ってくださる? 少し、用事を思い出しましたの」


「……華様がそう言うなら……」


「お先に失礼いたしますわ」


 他の生徒たちが後ろ髪を引かれるような様子でその場を去っていく。ただ一人残った女子生徒を見て、恵慈は逃げるようにその場から離れようとした。


「貴方、天使ですわね」


 唐突に声をかけられ、恵慈がビクリと肩を震わせた。女子生徒の後ろから、バラ色の毛皮を持つ、狐に似たエンジェリックが顔を出す。恵慈が息を呑んだ。


「あ、あ、あなたも、天使……なんですね……?」


「ここら辺は本当に天使が多いですのね。一応、自己紹介をしておいた方がいいのかしら?」


「え、えっと……」


「ワタクシは薔薇園ばらぞのはな。大天使ジョイフェルですわ」


 華が少しずつ恵慈との距離を詰めてくる。自分に向かって来る華に怯え、恵慈は一歩ずつ後ろに下がろうとした。


「七大天使になる天使ですわ」


 華の言葉に恵慈が思わず立ち止まる。マーシーが華に聞こえないような小さな声で「逃げろ」と言ったが、恵慈は動けなかった。


「ジョイフェル~。この天使、弱そうですわぁ」


「おやめなさい、ビュティー。そんなこと、わかっておりましてよ」


 華がビュティーと呼ばれたエンジェリックの頭を撫でる。恵慈の後ろでマーシーがムッと不機嫌そうな表情を浮かべたが、恵慈は怯え切って動けずにいた。


「そんなに怯えなくても、あなたと決闘をするつもりはありませんわ」


「え……?」


「少し聞きたいことがあるだけなんですのよ」


「き、聞きたいこと……?」


「ワタクシ、七大天使になりたいんですのよ。まあ、天使であれば当たり前かもしれませんけれど。でも、ワタクシ、四大天使に認められて七大天使になるなんて、絶対に嫌ですの」


 華が顔をしかめる。華の瞳は闘争心で爛々と光り輝いており、恵慈はさながら蛇に睨まれた蛙だった。


「そんな妥協的な承認、ワタクシのプライドが許しませんの。だから、ワタクシは他の天使を蹴落として、実力で七大天使になるんですのよ」


「ひ……ひぇ……」


 華のあまりの気迫に恵慈が情けない声を上げる。華の瞳は恵慈を逃がさなかった。


「ですから、聞きたいことがありますの。あなた、大天使アリエルをご存じない?」


 華の口から飛び出した名前に恵慈が目を見張る。


「大天使アリエル……天界にいるときからその強さは有名でありましたのに、七大天使争奪戦争からはぱったりと名を聞かなくなった天使。戦闘力は折り紙付きなのに、いつもニコニコしていて掴みどころがなく、天使たちに慕われ、ワタクシの人気をかっさらっていく憎き天使……‼」


 恵慈が息を呑む。華はとても悔しそうな表情を浮かべていた。


「ワタクシ、アリエルを倒さないと七大天使になれませんわ。あなた、アリエルがどこにいるかご存じない?」


「……羽衣さんは……」


 恵慈がうつむきながら口を開き、華が怪訝そうな表情で「羽衣?」と問いかける。マーシーが恵慈を見上げた。


「羽衣さんは……わ、私のお友達です……」


「友達? 天使同士が友達とでもいうの? 馬鹿げてますわ。群れてなにになるというのかしら」


 恵慈が顔を上げ、華を見た。


「だ、だから……教えません」


「……友達だから?」


「は、はい……‼」


「くだらないですわ。人間じゃあるまいに。仲良しこよしなんて、首はそんなこと命じていませんのよ」


 華は嫌悪感を露にして、恵慈を睨んだ。


「弱い天使たちの逃げでしかないですわ」


「べ、別にかまいません……天使だって、誰だって、消えるのは怖いんです……」


「首への反逆ですわ‼」


 華がついに声を荒げた。「ワタクシ、あなたのような者が嫌いでしてよ。自分に自信がなく、力もなく、逃げてばかり。けれど、可哀想だから見逃して差し上げようと思いましたのに、先ほどから不愉快なことばかり……冒涜であり侮辱ですわ。ワタクシ、そんな天使は許せませんの」


 恵慈が身構える。マーシーは恵慈の後ろで心配そうに恵慈を見つめ、ビュティーは華の後ろでクスクスと笑っていた。


「首の名のもとに、ジョイフェル、ジェレミエルの決闘をここに宣言する‼」

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