第10話 堕天使
「わあああ⁈」
悲鳴と共に、羽衣は真っ黒な空間に飛び出した。そのまま地面に倒れこみ、羽衣が「いたた……」と打ちつけた頭をさすりながら身体を起こす。そして、あたりの光景に目を見開いた。
その場所は、どこまでも闇が広がる真っ黒な空間。おどろおどろしく地面がうねり、頬を打ちつける風は生暖かくて気味が悪い。あたりの闇に、人の顔のようなものが浮かび上がっては消えていく。
「な、なに……」
「う、嘘だ……嘘だ‼ 嘘だ‼」
羽衣の隣でレオが信じられないというように頭を抱えていた。
「れ、レオ……?」
「ここは
レオが叫んだその時、羽衣の目の前に、不思議な少女が現れた。
「あれぇ? 一人だけぇ?」
その少女は、黒いワンピースを身に着けた、くすんだ金髪を持つ少女だった。首元と手首に羊を思わせる灰色のモコモコを付け、頭から内巻きの羊の角が飛び出し、包帯がグルグルに巻かれた足は裸足だ。髪は短めで、横髪を編み込んでたらし、その後ろに見える耳は下向きにとんがっている。
そして、背中から天使を思わせる翼が生えていたが、その翼は小さめで、真っ黒だった。
「二人いた気がしたけどぉ。気のせい?」
頭に纏わりつくような甘ったるい声。少女は羊のような横向きの瞳孔を持つ金色の瞳で、不敵な笑みを浮かべながら羽衣を見つめていた。
「あ、あわわわ……!」
「……あなたは……誰……?」
羽衣の隣でレオは慌てふためいている。少女は羽衣の問いを笑った。
「私ぃ? 私はアザゼル。堕天使よぉ?」
「堕天使?」
「わー‼ 羽衣、大変だー‼」
「え、え? なに?」
レオが羽衣に縋り付き、羽衣は困惑の声を上げる。
「堕天使は首に反逆を示した天使‼ つまり、首の敵だ‼」
その瞬間、レオの横すれすれで、バチン‼ と大きな音がした。
「⁈」
「その名前を堕天使の前で口にすることがなにを意味するかわかってるぅ?」
アザゼルの手元に、黒い鞭が現れている。レオは素早く羽衣から離れると獅子の姿に変わり、「グルルルル……‼」とアザゼルに牙を剥いた。
「大天使アリエル。あなたがいまここで出来ることは、選択することだけ」
アザゼルが羽衣を見る。アザゼルの不気味な瞳に、羽衣は生唾を飲み込んだ。
「首を裏切り、堕天する? それとも、ここで死ぬ?」
「え……?」
「ダメだ、羽衣‼ 耳を貸すな‼」
レオが叫び、羽衣がビクリと肩を震わせてレオを見た。レオはアザゼルに向かって唸りながら、羽衣に叫ぶ。
「堕天なんてダメだ‼ 堕天すれば首に見放される‼ 天使の存在意義は首だ‼ 首に見放されれば、天使は永遠に孤独感と焦燥感に苛まれることになるんだぞ‼」
「ど、どういうこと?」
「苦しみ続けるんだ‼ 自身を否定し続ける‼」
「そこの子猫ちゃんは黙っていてくれなぁい?」
次の瞬間、レオに向かって鞭が飛んできて、レオが慌ててそれを避けた。
「私は大天使アリエルに聞いているの。どうするのぉ? 堕天する? 死ぬ?」
「えっと……だ、堕天はしたくないけど……羽衣、あなたと戦いたくないよ……?」
「は?」
予想外の答えにアザゼルが目を丸くする。羽衣は「だって……」と恐る恐る口を開いた。
「あなたも……苦しんでるんでしょ?」
アザゼルは目を見開いたまま、唖然として羽衣を見つめていた。そして、鼻で笑った。
「……あなた、変なこと言うのねぇ。天使なら、堕天使を見た瞬間に襲い掛かって来るでしょうに」
「え?」
「堕天しないなら、あなたは敵」
アザゼルが鞭を振り、鞭が羽衣に迫る。レオが「羽衣‼」と叫び、額の石が光って、羽衣は天使の姿に変わると、慌てて飛び上がって鞭を避けた。羽衣がレオのそばに降り立つ。
「煉獄は地獄と下界の間にある、堕天使の唯一の居場所。帰るには、堕天使を倒すしかないぞ」
「え……? でも……」
「羽衣‼ まずは自分の身を考えろ‼ 相手は殺しに来てるんだぞ‼」
次の瞬間、アザゼルが羽衣の目の前に現れた。
「⁈」
「同情なんて、必要ないわぁ」
アザゼルが鞭を振り上げ、羽衣が咄嗟に鞭を防ごうとして目を瞑る。鞭が羽衣の身体を打ちつける前にレオがアザゼルに体当たりをしようとして、それを避けたアザゼルが羽衣から離れた。
「羽衣‼ 戦え‼」
「っ……‼」
羽衣は苦しげな表情を浮かべながら、手に桃色の炎を出現させた。アザゼルに手をかざし、炎を放ち、炎がアザゼルに向かって行く。アザゼルは容易くそれを避けた。
「……神の獅子アリエル。けれど、その軟弱さはなぁに?」
「う、ううう、うるさいぞ‼ 羽衣はまだ覚醒して三日なんだ‼」
「あらぁ……それは残念。でも、エンジェリックが天使の名で呼ばないのはどうしてぇ?」
「お前には関係ない‼」
炎の中からレオが飛び出し、アザゼルに牙を剥く。アザゼルは目の前に現れたレオに驚くそぶりも見せず、鞭を振った。
「ギャンッ‼」
レオが小さく声を上げて地面に叩き落される。羽衣が「レオ‼」とレオに駆け寄ろうとしたが、その行く手を阻むように、羽衣の足元に鞭が打ちつけられた。羽衣がハッとしてアザゼルを見る。
アザゼルは冷たい目で羽衣を見ていた。
「あなた、このままじゃ七大天使争奪戦争で殺されるのが関の山だわぁ」
そう言うとアザゼルは羽衣に向かって鞭を振り、羽衣が咄嗟に鞭を避けようとしたが、鞭は羽衣の右腕に巻き付いた。
「きゃあ⁈」
羽衣が悲鳴を上げながら鞭に引っ張られ、地面に倒れこむ。レオが羽衣の元に向かおうと、立ち上がろうとしているが、鞭で打たれ、地面に叩きつけられたせいで足元がおぼつかず、立ち上がることができない。
「だったらいまここで、殺してあげるぅ」
アザゼルの手にもう一本の鞭が現れ、振り上げた。
羽衣は地面に倒れたまま、頭上のアザゼルをキッと睨む。すると、羽衣の手に桃色の炎が出現し、羽衣の腕を伝って鞭を焼き切り、羽衣は素早く立ち上がると、振り下ろされる鞭から逃れようとした。
「間に合わないわよぉ」
鞭が振り下ろされる。レオが「羽衣‼」と叫んで走って来ようとしているが、間に合いそうにない。目の前まで迫る鞭に、羽衣が身構えた。
「ここでやられてしまうのは、面白くないよネ?」
その声が聞こえて来た瞬間、羽衣の目の前に、若葉色の毛皮を持つ豹が現れ、目の前まで迫っていた鞭を、鋭い爪で弾き飛ばした。
「ルック⁈」
羽衣の元に走ろうとしていたレオが叫ぶ。アザゼルは目を見張り、豹の姿を見て「豹……」と舌打ちをした。
「未来とは、いつだって変えられるものなのでアル!」
その時、羽衣の目の前に着地した豹の隣に少女が降り立った。
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