第3話 神の獅子
「⁈」
羽衣が思わず目を開ける。背中の翼は羽衣の身体をフワリと持ち上げ、羽衣はゆっくりと家の前の道路に着地した。
「……」
羽衣が呆然と自分の手を見て、背中を見る。背中から翼が生えただけでなく、恰好まで変わっていて、羽衣はいつの間にかにピンク色のナース服に白いフリルのエプロンを身に着けており、ピンク色のストラップシューズを履いていた。背中の大きな翼は羽衣の意思で動く。
「な、なにこれ⁈」
「大天使アリエル‼ その姿を見るのはいつぶりだろう‼ 数世紀……いや、何世紀に渡って探したことか……‼」
羽衣の目の前に現れたレオの背中にも大きな翼が生えていた。レオは感動して涙ぐんでいる。
「え、えっと……それで、羽衣はどうしたらいいの……?」
「もちろん! これから悪魔退治だ!」
レオはさも当然というように言ったが、羽衣は「悪魔?」と首を傾げた。
「首に立てつく悪しき存在だ! 七大天使になるためには、首に認めてもらわなきゃならない。そのために、首に牙を剥く悪魔を倒し、首に忠誠心を見せるんだ!」
「え、えっと……その首っていうのは……」
「神様のことだ‼ 首はいつだって天使のことを見ているんだぞ!」
「うえええ……?」
「とりあえず、悪魔退治だ!」
そう言うと、レオは空高くへと飛んでいき、羽衣が「ええ⁈」と声を上げる。
「羽衣、飛べないよ⁈」
「なんのためにその翼が付いてるんだ⁈」
「そ、そんなぁ!」
「大丈夫だ! アリエルは天使なんだから!」
「そんなこと言ったって……‼」
羽衣がそう言った瞬間、背中の翼が唐突に動き、羽衣の身体が空に飛びあがった。
「わああ⁈」
「お! 上手い、上手い!」
「こ、これ大丈夫⁈ 落ちたりしない⁈」
「しない、しない! 大丈夫だ! いくぞ!」
しばらくの間、羽衣は空中でバランスを取るのが精一杯だったが、次第に慣れ始め、レオの後を安定して飛び始めた。
「悪魔ってどこにいるの?」
「暗いところだ。悪魔は闇に潜んで神が作り出したものを壊す。だから、夜が悪魔の活動時間だ」
そう言うと、レオは「あそこ」と言って止まり、下を指差した。羽衣がレオの指差した方を見ると、そこは暗い路地裏で、よく目を凝らすと、闇に紛れてなにかが蠢いていた。
「あれが悪魔だ」
それは黒い靄のような身体に、爛々と光る赤い目が浮かんでいるような不気味な姿をしていた。たびたび揺らぐ姿は、原形をとどめない人間の女のような姿にも見える。
「あれを……倒すの……? どうやって?」
「俺と出会ったアリエルは、天使の力を使えるはずだ。それで倒すんだ。あれは天使も人間も、神が創り出したものならすべてを壊す悪しき存在」
「……人を襲う……」
羽衣はじっと悪魔を見つめる。すると、レオが「ほら、早く行こう」と羽衣を急かした。
「で、でも、戦い方なんてわからないよ」
「大丈夫! アリエルは元々戦闘能力の高い強い天使だ! いままで七大天使じゃなかったのが不思議なぐらい! 俺も手伝うから!」
レオに手を引かれ、羽衣は困惑しながらも悪魔の前に降り立った。悪魔は羽衣の姿を見ると、裂けた口を開け、威嚇するように甲高い声を上げた。羽衣が顔をしかめる。
「これぐらいの下級悪魔、アリエルなら余裕だ!」
「え、ええっと……」
羽衣が困惑しながら自分の手を見る。その間にも悪魔は甲高い声を上げ、羽衣に向かって来ていた。
「わぁ⁈」
その時、羽衣の手から桃色の炎が飛び出した。悪魔が炎に驚いたように立ち止まり、しり込みする。炎を出した羽衣自身も驚いている。
「こ、これどうしたらいいの⁈」
「悪魔に向かって放てー‼」
「えええ⁈」
困惑する羽衣の様子に、悪魔がまた向かって来る。羽衣は困惑しながらも悪魔に向かって「えいや!」と手をかざし、炎は悪魔に向かって行って悪魔に直撃して、悪魔の身を焼いた。
「キャアアアアッ‼」
悪魔が甲高い悲鳴をあげる。その様子に羽衣が「ひっ……」と小さく悲鳴をあげた。悪魔は桃色の炎に身を焼かれながらも、最後まで羽衣に手を伸ばそうと向かって来る。
その時、唐突に現れたのは、桃色の炎のタテガミを持つ、大きな獅子だった。
「⁈」
羽衣が驚いている間に桃色の獅子は悪魔に向かって行き、その鋭い牙で悪魔に食らいつくと、悪魔の悲鳴諸共を掻き消し、悪魔はザラザラと黒い粉になって消えていった。
獅子は悪魔を消すと、ゆっくり振り返り羽衣を見た。額にはレオの額についていたピンク色の石が埋め込まれている。
「ほら。大丈夫だったろ」
「……レオ……?」
「そうだ」
獅子からはレオの声が聞こえる。翼を持つ獅子の姿は神々しく、夜の路地裏に似合わない。二等身の時はなかったはずのタテガミは桃色の炎で出来ていて、夜風に吹かれてユラユラと揺れていた。
「アリエルは『神の獅子』の異名を持つ天使。悪魔を薙ぎ払う、天の戦士だ」
そう言うと、レオの姿が唐突に炎に包まれ、次の瞬間、炎の中から現れたのは、二等身のぬいぐるみのような姿をしたレオだった。炎のタテガミも消え、その姿は獅子というよりは虎に見えてしまう。
「この調子で悪魔を倒して、次期に上級悪魔を倒せば、首はきっとアリエルを認めてくれるぞ! 覚醒が遅かった分、これから頑張らないとな!」
嬉しそうなレオとは反対に、羽衣は浮かない顔をしていた。それに気が付いたレオが「アリエル?」と首を傾げる。
「……羽衣……戦いたくないなぁ……」
「へ?」
「天使とか、神様とか、関係ないもん。羽衣は獅子野羽衣で、アリエルじゃない」
「な、なに言ってるんだ⁈ アリエルはアリエルで、七大天使になって天界に戻らないと……」
「だから、羽衣は羽衣なの! アリエルって呼ばないで!」
声を荒げた羽衣にレオが信じられないと言うような顔をする。羽衣は頬を膨らませながら、目を逸らした。
「羽衣はお家でミーとニーとナーと遊んだり、ウサギさんたちのお世話したり、ずっとそうしていたいよ。天界になんて行きたくない」
「な、ななな、なんだって⁈」
「七大天使? はすごい人なのかもしれないけど、羽衣は別になりたくないもん。だから、ごめんなさい」
「なんでそうなるんだ⁈ 人間として生きて来た時間が長すぎたせいか⁈ お願いだ、アリエル‼ そんなこと言わないでくれ‼ 俺の天使はアリエルだけなんだ‼」
「アリエルじゃないもん。羽衣だもん」
「それが首への反逆だと見なされれば、堕天するんだぞ⁈」
レオが慌てた様子で言うが、羽衣は「知らないもん」と目をそらして膨れる。レオが何度も「アリエル‼ アリエル‼」と呼んだが、羽衣は知らん顔をしてけして答えようとせず、レオは怒りで身体を震わせたあと、大きなため息をついた。
「羽衣」
「なあに?」
羽衣がようやくレオを見る。
「羽衣の言いたいことはよくわかった。でも、羽衣が天使なのは運命で、逃れられないことだ。間違っても首に立てつくようなことは言うな。堕天したら、もう、戻れなくなる」
「……でも……」
「悪魔は人を襲う。野放しにすれば、羽衣の大切な人が傷つくことだってあるんだ。それを止められるのは、羽衣だけだ」
「……」
「いまはまだ七大天使とか、天界とか考えなくてもいいから、とりあえず悪魔退治だけは力を貸してくれ。俺は羽衣のエンジェリックだ。羽衣がいなきゃ、戦えない」
羽衣はしばらく考え込むように黙っていたが、レオの目を見て笑った。
「わかった」
レオがほっと胸を撫でおろす。すると、羽衣がレオに手を伸ばし、ギュッと抱き寄せた。
「わあ⁈」
「じゃあ、これからよろしくね! レオ! ママに紹介しなくっちゃ! それから、うちの三匹とも仲良くしてね? これからは羽衣と一緒に寝ようねぇ」
「ぬいぐるみ扱いするなー‼ 俺は勇敢な獅子なんだぞ‼ 大天使アリエルの獅子なんだぞー‼」
「こんなに可愛いライオンさんなら、大歓迎!」
「そういうことじゃない! 離せー‼」
腕の中で暴れるレオを押さえつけ、羽衣は楽しそうに笑う。羽衣の腕の中で抵抗を試みていたレオは、しばらくすると諦め、ため息をついて大人しく羽衣に抱かれていた。
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