第4話 学年のマドンナ

「七大天使は、首に仕える天使たちの最上位の存在。首のそばで仕えることを許される天使だ」


 翌日、羽衣は退屈な午前中の学校の授業中、眠たげな瞳を擦りながら、昨夜、家に帰ったあとにベッドの上でレオに聞かされたことを思い出していた。


「いま、七大天使の席に座っているのは四人。四大天使と呼ばれる、七大天使争奪戦争において誰よりも早くに首の元へと昇り詰めた四人の天使だ。七大天使になるためには、いまや、首の前に四大天使に認められなければならない、なんて話も出ているぐらいには強い天使たち」


「ふうん」


「興味ないだろ」


「そんなことないよぉ。ちょっと眠たいだけ……」


「あのなぁ……大事な話なんだぞ。羽衣だって天使なんだから、七大天使の残りの三席を目指して、他の天使を蹴落としていくんだからな」


「おやすみ~」


「おい‼」


 強引にレオの話を終わらせて眠りについた羽衣だったが、寝るのが遅くなったせいか、午前中の授業は睡魔に襲われ、あくびを連発しながらウトウトと授業を聞いていたのだった。


「授業中の居眠りはよくないぞ、羽衣」


 休み時間、学校にまでついてきて、羽衣の鞄の中に入っているレオが羽衣に声をかけて来た。羽衣が「う~……」と小さくうなり、声をすぼめて話し出す。


「レオが夜更かしさせたからでしょ~……」


「途中で寝たくせに」


「ていうか、学校にまで付いてこなくても……」


「エンジェリックはいついかなる時も天使のそばにいなくちゃならないんだ! いつ、他の天使に決闘を仕掛けられるかわからないんだから……!」


「決闘ってなあに?」


「その説明をしようとしてたのに、羽衣が途中で寝たんだろ!」


 その時、教室内が騒めき山し、羽衣がなにごとかと顔を上げる。クラスメイトたちが教室の出入り口付近に集まり、誰かに群がって黄色い歓声を上げていた。


「ごめんね。ちょっと通してくれないかな」


 人込みの中から聞こえてきた声に、女子生徒がさらに黄色い声を上げる。レオも「なんだ?」と不思議そうな顔をしたが、羽衣はたいして興味がなさそうに「さあ?」と言って机に伏せて眠る体勢になろうとした。


「獅子野羽衣さんがいるのは、このクラスであってる?」


 唐突に聞こえて来た自分の名前に、羽衣が思わず顔を上げると、クラスメイトが全員、羽衣の方を見ていた。多くの視線に晒され、居心地の悪さを感じながら、羽衣が人混みの中心にいる人物を見る。


「ああ、いた。ごめんね、騒がしくして」


 人込みの中心にいるのは、端正な顔立ちをした、女子生徒だった。淡い空色のサラサラの髪に、作り物のように白く、きめ細かい肌。長いまつ毛に縁どられた空色の瞳は、羽衣を捉えている。


 羽衣はしばらく周囲の注目を浴びながら、その顔をどこかで見たような気がして、思い出そうとして、思考を巡らせた。その間に女子生徒は他の生徒を掻き分けて羽衣の席へとやってきて、羽衣の目の前で立ち止まり、その美しい顔立ちで、女神のように美しい微笑みを浮かべた。


「……あ! えっと……伝田つただ綺心きこ……ちゃん……?」


「おや、知ってくれていたのかい? 嬉しいな」


 綺心は中性的な美しい笑みを浮かべ、その表情を見た数人の女子生徒が黄色い悲鳴を上げ、数人はその場で崩れ落ちた。羽衣はあたりの反応と、綺心の美しい顔立ちに、伝田綺心という、羽衣の学年内でマドンナと呼ばれている名前を思い出したのだ。


 伝田綺心。天音中学校二年の間で、圧倒的な人気を誇る、マドンナだ。女子でありながら女子生徒からの人気が高いのは、中性的な美しい顔立ちと、お伽噺の王子様を思わせる口調と立ち振る舞いからだ。そして、誰もが憧れの眼差しを浴びせる中、誰も綺心の素性を詳しく知らないというミステリアスさも綺心の魅力になっている。


 学校で授業を受けてない時間は常に飼育小屋に入り浸っている羽衣でも、その名前と顔ぐらいは知っていた。


「えっと……なにかよう?」


「そう怖がらないで欲しいな。ただ少し、話してみたくなっただけだよ。飼育小屋に入り浸る、可愛らしいウサギちゃんがいると聞いてね」


 綺心に微笑まれ、羽衣は面食らう。クラスメイトたちの注目を浴び、女子生徒たちはいぶかしげな目線を羽衣に浴びせているのもあり、羽衣は引きつった笑みを浮かべるのが精一杯だ。学年のマドンナに、唐突に名指しで接触された生徒が注目を浴びないわけがない。


「……そうだな。少し場所を変えようか。ここではゆっくり話せない」


 羽衣の様子を察してか、綺心が羽衣の手を取り、騒めく生徒たちを掻き分けて教室を出て行く。


「ちょ、ちょっと待って! どこいくの?」


「中庭。君のお気に入りの場所だろう? 僕もあそこは静かで好きだ」


 綺心に手を引かれながら、羽衣は他の生徒がじっとこちらを見つめていることに気がついたが、生徒たちは綺心と羽衣の後を追いかけてくることはなかった。


    ◇


 綺心に連れられ、中庭に着いた羽衣は、綺心に促されるまま、中庭の大きな一本の木の下に置かれたベンチに座り、綺心もその横に腰掛けた。


「いい天気だねぇ」


「そ、そうだね……?」


 澄み渡った空を眺めながら、しみじみと呟く綺心に困惑しながらも、羽衣は相槌をうつ。すると、綺心は「そうだ」と手に持っていた手さげから、大きめの弁当箱を取り出した。


「今朝、作りすぎてしまってね。一人では食べきれないから、手伝ってくれないかな?」


 そう言って綺心が開けた弁当箱の中には、とても綺麗な卵焼きや、ノリで動物を象ったおにぎり、その他色鮮やかなおかずが詰められており、それを見た羽衣が「わあ!」と目を輝かせる。


「う、羽衣がもらっちゃっていいの?」


「もちろん。逆に助かるよ」


「じゃあ、遠慮なく!」


 綺心から手渡された箸で卵焼きを取り、口に運んで「美味しい!」と目を輝かせる羽衣に、綺心は嬉しそうに微笑む。しばらく綺心に勧められるままに弁当を食べていた羽衣は、我に返り、ふと綺心に問いかけた。


「えっと、なんで羽衣に声をかけてくれたの?」


「おや。人と仲良くなりたいと思うのに理由が必要かい?」


「う、ううん……そういうわけじゃないけど……綺心ちゃんって有名人だし、羽衣じゃなくてもお友達がいっぱいいそうで……」


 すると、綺心は「ふふふ」とミステリアスな笑みを浮かべた。


「休み時間のたびに楽しそうにウサギと戯れている可愛らしい子がいたから、声をかけてみたいと思っていただけだよ。僕は楽しそうにしている可愛い女の子が好きさ」


「え? ずっと見てたの?」


「たまにここに座ってたんだけど、気が付かなかった?」


「全然……」


「君は一つのことに熱中すると周りが見えなくなるタイプみたいだね」


 綺心はなおも楽しそうに笑う。その姿はどこか浮世離れしていて、ミステリアスな魅力を醸し出している。羽衣はその様子を間近で見ながら、学年のマドンナと呼ばれるのも納得だ、と考えていた。


「ねぇ。放課後、予定がなければ一緒に帰ってもいいかな?」


「もちろん! あれ? でも、羽衣と帰る方向一緒なの?」


「一緒だよ。じゃあ、また放課後に」


 そう言うと、綺心は弁当箱を片付け、羽衣に手を振って中庭から去っていった。


「羽衣」


 聞こえた声に羽衣が振り返ると、中庭の茂みに隠れたレオが顔を出していた。


「レオ! 鞄から出て誰かに見つかったらどうするの? 動くぬいぐるみがー! って騒ぎになっちゃうよ」


「大丈夫だ。俺たちエンジェリックは、天使の生まれ変わり以外の者に視認されにくい。天使が首から与えられた力の具現化であり、神の力に近い存在だからな」


「……ちょっと、よくわかんない」


「羽衣はそれでいいよ……」


 呆れたようにため息をついたレオは、真剣な表情を浮かべた。


「それにしても、あの女子、なんか怪しいぞ」


「え? そう? お弁当分けてくれたし、綺心ちゃんはいい子だよ?」


「羽衣はちょっと単純すぎる……なんか、どっかで見たことがある気がするんだよ。あの顔……」


「一回見たら忘れられないと思うけど?」


「うう~ん……」


 レオが顔をしかめて考え出す。真剣に考えているレオをよそに、羽衣は「お弁当、美味しかったなぁ」と笑顔で呟いた。

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