第5話 大天使ハニエル
放課後、羽衣は校門で綺心がやって来るのを待っていた。羽衣が持っている鞄の中には、レオが入っている。
すると、学校の玄関から騒がしい声が聞こえてきて、多くの女子生徒に囲まれた綺心が現れた。羽衣はその人だかりに臆することなく、綺心に向かって「綺心ちゃ~ん!」と手を振る。綺心が羽衣に手を振り返し、女子生徒たちが羽衣を見た。
綺心は自分を取り囲む女子生徒たちに「じゃあ、また明日」と軽く手を振ると、羽衣の元にやって来た。
「お待たせ。それじゃあ、帰ろうか」
「うん!」
羽衣が嬉しそうに頷き、綺心が微笑む。二人は並んで歩き出した。
「そのヘアピン、お気に入りなのかい?」
「これ?」
羽衣がウサギのヘアピンを指差すと、綺心が頷いた。
「うん! 可愛いでしょう? ママが作ってくれたの!」
「へえ。君は本当に動物が好きなんだね」
「うん! 大好き! お家にね、猫が三匹いるの。ミーとニーとナーって言うんだけど、可愛いんだよ!」
「見てみたいな」
「お家来る?」
「ご家族に迷惑がかからないなら、是非」
綺心とそんなたわいもない会話をしていた羽衣は、ふと、綺心がいつもの通学路と異なる細道に入って行こうとしていることに気が付いた。
「綺心ちゃん。道が違うよ?」
「ん? ああ。こっちの方が近道なんだ。公園の裏手に続いてる道なんだよ」
「へえ。そんな道があるなんて知らなかった! なんか、秘密の道みたいでワクワクしちゃう!」
「そう? こっちの道には猫がたくさんいるよ。僕はよく使ってる」
「本当⁈」
羽衣がキラキラと目を輝かせ「早く行こう!」と綺心を急かして細道に入っていく。綺心が「ちょっと待って」と羽衣の後を追って来た。
「ミーとニーとナーもね、元々野良猫で、羽衣が拾って来たの。あ、あとね。ベランダに亀の亀太がいるよ」
「猫と亀……」
「ハムスターとか、インコとか、小動物も好きだけど、猫と一緒に飼っちゃうのは可哀想でしょ?」
「それはそうだね」
細道は二人並んで歩くのがやっとの狭さをしており、薄暗い。少しひんやりとした細道で、羽衣の楽しそうな話し声だけが響き、あたりはシンとしていた。
その時、羽衣たちの頭上に影が落ち、あたりが暗くなった。
「ん? 影っちゃった?」
「おや。お日様が雲に隠されたかな」
二人が上を見ると、爛々と光る赤い瞳と目が合った。
「⁈」
「悪魔だ‼」
羽衣の鞄の中からレオが飛び出す。羽衣たちの頭上にいたのは、昨夜よりも一回りほど大きな悪魔だ。綺心は悪魔とレオの姿を見て、固まってしまっている。
「綺心ちゃん‼ 逃げて‼」
羽衣が叫ぶが、綺心は動かない。悪魔が羽衣たちに向かって手を伸ばし、羽衣はキッと悪魔を睨みつけた。
「羽衣‼」
レオが叫ぶと、レオの額の石が光り輝き、羽衣がその光に包まれて天使の姿に変わる。羽衣の背中から飛び出した大きな翼に、綺心が目を見開いた。
羽衣は手の中に桃色の炎を出現させると、こちらに向かって手を伸ばす悪魔に炎を放つ。炎は悪魔の身を焼き、悪魔が悲鳴を上げながら地面に落ちた。
「逃げて‼」
羽衣の言葉に我に返ったのか、綺心が慌てた様子で来た道を戻って走り出す。
「羽衣‼」
レオが叫び、羽衣がレオの方を見ると、細道の奥、薄暗がりの中からゾロゾロと悪魔がやって来るのが見えた。
「ええ⁈ なんか、多くない⁈」
「ここは下級悪魔の巣窟だったんだ‼ 悪魔は暗くて人気のない場所に集まる‼」
「きゃあっ‼」
聞こえた悲鳴に羽衣が振り返ると、羽衣たちが来た道からも悪魔がゾロゾロとやって来ていて、綺心が悲鳴を上げていた。
「綺心ちゃん‼」
羽衣が慌てて綺心の元に走る。悪魔たちは綺心の目の前まで迫り、鋭い爪のような手で綺心を斬りつけようとしていた。綺心がその場で尻もちをつき、悪魔が綺心に手を伸ばす。
悪魔の手が綺心に届く寸前、綺心のもとにたどり着いた羽衣が両手を広げて綺心を庇い、悪魔の鋭い手が羽衣の身体を斬りつけた。
「羽衣‼」
レオが叫び、獅子に姿を変えて唸り声を上げながら、羽衣の元に走って行こうとする。しかし、道の奥からは悪魔がゾロゾロとやって来ており、レオは踏みとどまって、向かって来ている悪魔たちに食らいついた。
悪魔に身体を斬りつけられた羽衣は一瞬バランスを崩したが、すぐに持ち直し、手に炎を出現させて目の前の悪魔に向かって放つ。悪魔が焼かれるが、その悪魔の後ろにいる悪魔たちは傷を負った羽衣に手を伸ばしてきた。
「なるほど。大天使アリエルは動物と他者をこよなく愛する心優しい天使というのは本当のようだ」
次の瞬間、羽衣は綺心に手を引かれ、綺心の後ろに庇われた。
「綺心ちゃん⁈」
羽衣が驚愕の声を上げる。悪魔たちは綺心に手を伸ばし、目の前に迫っていて、羽衣は慌てて綺心を助けようと手を伸ばすが、その瞬間、綺心の身体が青い光に包まれた。
「⁈」
光に包まれた瞬間、綺心の姿が変わる。背中から大きな翼が飛び出した綺心は、ノースリーブの白いブラウスに、濃い青色のショートパンツを身に着け、ショートパンツの上から身に着けた長めのコルセットスカートが風でひらめいている。
首元に巻かれたリボンは濃い青色で、綺心の淡い空色の髪によく映え、白いガーターベルトで止められた白いニーハイソックスとショートパンツの間から覗く、綺心の太腿は、女性的でありながら中性的な魅惑を放っていた。
羽衣がその姿に目を見開く。綺心は目の前の悪魔たちに臆することなく、不敵な笑みを浮かべると、綺心の瞳が淡い光を放ち始めた。
「
綺心がそう言った瞬間、すぐそこまで迫っていた悪魔たちの身体の所々が綺心の瞳と同じような光を放ち始め、綺心が悪魔たちに向かって片手をかざし、拳を握った瞬間、光を中心に、悪魔たちの身体が弾け飛んだ。
「わあ⁈」
羽衣が驚きの声を上げる。弾けた悪魔たちの身体はザラザラと空気に溶けて消えていった。
「羽衣‼」
聞こえたレオの声に羽衣が振り返ると、悪魔をあらかた片付けたレオが一体だけ悪魔を取り逃がしており、その悪魔が羽衣たちに向かって来ていた。羽衣が小さな悲鳴を上げる。
次の瞬間、羽衣の目の前に、不思議な人型のなにかが降り立った。
「ハニーに触れるんじゃないわよ」
それは、全身空色の、人間の女性のような姿をした不思議な者で、背丈は羽衣たちとほとんど変わらず、長いドレスを身に着けているような姿をしており、頭には二つに結われた巻き髪のようなものが飛び出していた。レオと同じように額に青い石が埋め込まれている。
それは、向かって来た悪魔に人差し指を突きつけ、指が悪魔の額に触れた瞬間、悪魔の頭が淡い光を放ったかと思うと、弾け飛んだ。
唖然としている羽衣と、振り返った不思議な人物の目が合う。美しい青い瞳を持つ、人間の女性のようなそれは、冷ややかな目を羽衣に向けていた。
「グレイシス⁈」
レオの言葉に、グレイシスと呼ばれた人物がレオを見る。レオはいつの間にかにいつものぬいぐるみのような姿に戻っており、信じられないというように目を見開いていた。
「あら。エンジェリックの中でもポンコツと名高いレオじゃないの。ようやく天使を見つけたのね。ご苦労なこと」
グレイシスは嘲笑を浮かべ、次の瞬間、身体が縮んでいき、レオと同じような二等身のぬいぐるみのような姿に変わった。動物のような見た目をしているレオとは異なり、グレイシスの見た目は人型の妖精のような姿に見え、空色の身体に、頭にはチョココロネに似た、二本の髪のようなものがある。髪の部分には、大きな青いリボンを付けていた。
「……うっ……」
「おっと」
唖然としていた羽衣は、不意に悪魔に斬りつけられた傷が痛み、その場に崩れ落ちそうになって、綺心がその身体を支える。綺心はゆっくりと羽衣を地面に寝かせ、頭を身体を自分の膝に乗せた。
「羽衣‼」
羽衣の様子に気が付いたレオが大慌てで羽衣の元に飛んでくる。悪魔によって羽衣が負った傷口から、黒い靄のようなものが溢れており、血は流れてはいないものの、その見た目はとても不気味だ。
「うわぁ……なにこれぇ……」
「羽衣‼ 羽衣‼ 大丈夫か⁈ 羽衣‼」
「え、えっと……そんなに痛くはないけど、なんか気持ち悪い……」
「大丈夫。慌てなくても悪魔から負った傷は重傷でない限り、天使が持つ治癒能力で時間経過で消えるはずだよ」
綺心は優しく微笑み、羽衣の頭を撫でた。綺心に膝枕をされながら、羽衣は綺心の美しい瞳を見つめる。
「えっと……綺心ちゃんも天使ってことで合ってる……?」
「まあ‼ 失礼ね‼ ハニーを一目見て、気が付かない天使なんていないわ‼」
羽衣の目の前にグレイシスが飛んできて、ズイッと羽衣に顔を近づける。羽衣はグレイシスを見て「わあ……こっちも動くぬいぐるみだぁ……」と呟いた。
「なんて失礼なの‼ 私は大天使ハニエルのエンジェリック‼ 『神の栄光』の力なのよ‼」
「ということは、綺心ちゃんは大天使ハニエルなの?」
「気が付いてなかった割にはあっさりしているね、君」
「き、気が付かなかった……」
呟いたのはレオだった。
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