第16話 慈悲の涙

『アリエル』


『アリエル』


『アリエル』


『アリエル。目障りなアリエル』


『裏切ってしまおう。出来損ないの天使』


『弱い天使。いらない、いらない』


 綺心と輝星と恵慈の声で悪魔が言う。羽衣が顔をしかめた。


「羽衣、耳を貸すな」


「わかってるよ、レオ」


 羽衣が少しずつ悪魔から距離を取るように後ずさる。レオは悪魔を睨みつけながら、羽衣に続いた。悪魔がそれを追い、少しずつ赤い目が近づいて来る。


「羽衣のお友達はそんなこと言わない」


 羽衣が拳を開く。それに反応するように、レオの額の石が光を放ち、レオのタテガミの炎が勢いを増して、レオの身体を包みだした。


「羽衣のお友達を返して‼」


 レオが大きな炎へと姿を変え、羽衣の腕がその炎を纏う。羽衣は炎を纏った拳を、目の前の巨大な悪魔に向かってかまえた。


淡紅たんこう獅子しし


 羽衣が拳を振り、巨大な炎が悪魔に向かっていく。炎は大きな獅子へと姿を変え、山のように巨大な悪魔に襲い掛かり、悪魔の身を焼いた。


「ギャアアアアア⁈」


 桃色の炎が燃え盛り、悪魔の姿を照らし出す。その姿はとても異質で、上半身は美しい裸体の女で、長い黒髪と大きな角を持つが、下半身は戦車の姿をした巨大な悪魔だった。悪魔は身をよじり、逃げるように羽衣から離れながら、炎に焼かれている。


 渾身の一撃を放った羽衣は、しばらく呆然としていたが、腕の炎に気が付き「あわわ!」と腕を振った。羽衣の腕から振り払われた炎は羽衣の前で、ぬいぐるみの姿をしたレオに変わる。


「レオ!」


「羽衣‼ さすが、俺の大天使アリエル‼ 上級悪魔も敵じゃないぞ‼」


「そ、そう? えへへ……」


 羽衣がレオに褒められ、頭を掻く。その時、羽衣はレオの後ろから巨大な手が迫っていることに気が付いた。


「レオ‼」


 羽衣がレオを抱き寄せ、レオが驚きの声を上げる。レオを抱き寄せた羽衣は、ギュッと目を瞑り、レオのことを守ろうとした。


「ようやく見つけた」


 聞こえた声に羽衣がハッと目を開ける。羽衣の目に綺心の背中が見え、綺心は淡く光を放る瞳で、迫って来る巨大な手を見つめた。


心眼しんがん


 巨大な手の一部が綺心の瞳と同じ光を放つ。綺心が手をかざすと、バチン‼ という音と共に手が弾かれた。


「綺心ちゃん‼ 本物……?」


「おや。偽物に見えるかい?」


 綺心が振り返り、羽衣に微笑む。羽衣はその顔を見て、綺心に抱き着いた。レオが羽衣の手から離れ、獅子の姿に変わる。


「綺心ちゃん!」


「おっと。待ってくれ、羽衣。まだ油断しては……」


みちびきのひかり


 その時、あたりに光が溢れ、何も見えない闇が少しだけ晴れてあたりが見えるようになった。唐突な明るさに羽衣が一瞬目を瞑り、目を開けると、そこには光り輝く紫色の石が先端に付いたトーチを持った恵慈が、酷く不安そうな表情で立っていた。


「あ、ああ、あの、私……‼ こんなことしかできないので……」


「恵慈ちゃん! すごい!」


「そ、そんなことないです……後ろ‼」


 恵慈の悲鳴に近い叫び声に羽衣と綺心が振り返ると、目の前に巨大な手が迫っていた。


「⁈」


 羽衣と綺心が驚く暇もなく、手は二人を薙ぎ払い、二人が吹き飛んでいく。地面に叩きつけられた羽衣と綺心のもとに恵慈とレオが慌てて駆け寄って来た。


「羽衣‼」


「だ、大丈夫ですか———」


「まだ来る‼」


「え……」


 綺心が叫び、恵慈が前を見る。悪魔はまだ羽衣の炎に身を焼かれているにもかかわらず、一切臆する様子も見せずに、襲い掛かって来ていた。レオが手に向かって襲い掛かるが、巨大な手はレオの身体を容易く薙ぎ払う。恵慈が小さな悲鳴を上げ、トーチを両手で握って身構えた。


「マーシー‼」


「は~い」


 悲鳴に近い恵慈の声とは正反対の、とてもおっとりしたマーシーの返事がトーチから聞こえたかと思うと、トーチの石が光り輝く。悪魔がその光に怯むように動きを止めた。


 恵慈がトーチから手を離し、倒れている二人の元へと駆け寄る。トーチは恵慈が手を離してもその場に直立し、光を放っていた。


 恵慈は起き上がろうとしている羽衣たちに駆け寄り、羽衣の身体を抱き寄せる。羽衣と綺心の身体には、悪魔から受けた傷特有の黒い靄が溢れていた。


「恵慈ちゃん……?」


「だ、大丈夫です。私がなんとかします……!」


 恵慈が近くで倒れている綺心の手を取り、目を閉ざす。


慈悲じひなみだ


 恵慈の頬を涙が伝う。その涙は零れ落ちて羽衣と綺心の手の上で跳ね、光り輝くと、羽衣たちの傷が徐々に薄れ出した。


「……神の慈悲、大天使ジェレミエルの治癒能力。味方だと思うと、これほど心強いものはないね……」


「そ、そんなことないです……‼ じ、じっとしていてください……すぐに治ります……」


 その時、バキンッ‼ と大きな音がして恵慈がハッと前を見ると、光を放っていたトーチが砕け散ると同時に、マーシーが地面に落ちようとしているのが見えた。


「マーシー⁉」


 恵慈が地面に落ちたマーシーの元に駆け寄ろうとして、あたりを照らしていた光が消え、闇に呑まれる。羽衣の炎もすでに消え、闇の中で巨大な悪魔の赤い目だけが爛々と光り、羽衣たちを捉えていた。

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