第47話 神の人、大天使ガブリエル
四大天使ガブリエルの聖域で、羽衣と綺心は上空を飛びながら、迫りくる水柱から逃げていた。下で、美しい白百合が咲き乱れる水面の上に立ちながら、百合亜が逃げまどう二人をじっと見つめている。
「……逃げてばかり」
百合亜が呟く。綺心と羽衣は先ほどから逃げてばかりで戦う素振りを見せない。
「ハニエル‼ 本当に逃げてばかりでいいのか⁈」
レオが綺心に向かって叫ぶ。追って来る水柱を避けながら、綺心が答えた。
「僕たちがするのは四大天使の足止めさ。メタトロンが首のもとにたどり着くまで、ガブリエルを止めればいい」
「わあ‼」
羽衣の横スレスレで水柱が上がり、羽衣が悲鳴を上げながら慌てて避ける。綺心の元に飛んできていたレオが「羽衣‼」と慌てて羽衣の元に戻っていった。
「……なるほど。足止めですか。無駄なことを」
綺心たちの意図に気が付いた百合亜が眉を顰める。
「ヒュー」
百合亜の呼びかけに答え、百合亜の後ろからガブリエルのエンジェリック、ヒューが飛び出した。水色の鱗を持つ、人魚のような姿をしたヒューは、大きな尾鰭と耳のようなヒレを持ち、大きな青い瞳は潤んでいる。
百合亜に呼ばれたヒューは、大きな翼を使って真っすぐ上空へと飛んでいった。水柱に追われている羽衣と綺心がそれに気が付き、身構えた。ヒューは上空へ飛んでいくと、止まる。
「
ヒューが天に向かって両腕を掲げる。魚の胸びれのようなヒューの腕が天に掲げられた瞬間、雨が降り始めた。
「⁈」
綺心と羽衣が思わず止まる。雨粒が二人の翼で跳ねた途端、二人の身体は唐突に重りを吊るされたように重くなり、重力に従って下に引っ張られた。
「羽衣‼」
「ハニエル‼」
レオとグレイシスが叫ぶ。だが、二人の身体も羽衣と綺心と同じように、雨に当てられ落下した。
「クソッ……」
綺心が悔しげにつぶやき、羽衣は「わああ⁈」と悲鳴を上げながら落ちていく。水面に落下した二人はそのまま水に沈んでしまった。
冷たい水に沈み、羽衣は思わず目を瞑る。水の中で視界が揺らぎ、綺心がどこにいるのかも見えない。すると、羽衣の視界にピンク色のなにかが通り、羽衣がハッと目を開けると、獅子の姿をしたレオが羽衣の首元を咥え、懸命に羽衣を引き上げようとしていた。
その後ろに、ヒューの姿が見えた。
羽衣がそれをレオに伝えようとするが、口から飛び出したのは気泡だけだ。羽衣の表情にレオが気が付き、後ろを見る。
ヒューは腕を振り、水の渦を作り出すと、レオと羽衣に向かって放った。レオが慌てて羽衣を連れて逃げようとするが、水中では思うように身動きが取れず、渦が二人に直撃する。二人が渦に巻き込まれ、水中を吹き飛んでいった。
吹き飛んでいく二人の背後に百合亜が現れる。水の渦に呑まれた二人は逃れることも出来ず、待ち構えている百合亜の元に飛んでいくかと思われた。
羽衣の手を綺心が掴み取った。
「!」
羽衣と共に飛んで行っていたレオは、人型に変化したグレイシスに受け止められている。綺心は羽衣の腕を引き、水中を泳いで百合亜から距離を取ろうとした。
「羽衣! 早く水中から出るんだ!」
「⁈」
口を開いていないのに綺心の声が聞こえ、驚いた羽衣が声を出そうとしたが、羽衣の口から飛び出すのは泡ばかり。羽衣はふと、綺心の瞳が淡く光っていることに気が付いた。
「僕の力で意思疎通してるんだよ!」
「あ、そっか!」
「水中はガブリエルの独壇場だ! 勝ち目がない!」
「逃がしませんよ」
水中に響き割った百合亜の声に、羽衣と綺心が振り返った。百合亜の周りに、水で出来た槍が無数に出現している。綺心がギョッと目を見開いた。
「羽衣‼ 避けろ‼」
「ハニエル‼ 避けて‼」
レオとグレイシスが叫ぶ。だが、避けようにも間に合わないことは明確だった。水中では素早く動けない。
「消えなさい」
槍が放たれる。レオとグレイシスが二人の元に行こうとしたが、唐突に目の前に現れたヒューが大きな渦を作り出し、避けることが間に合わず、渦に呑まれてしまった。
放たれた槍が真っすぐ綺心と羽衣に向かって来る。勝利を確信した百合亜が、少し悲しそうな表情を浮かべた。
「消えないよ」
聞こえた声に百合亜がギョッとして前を見る。放たれた槍に貫かれたと思われた羽衣は、綺心を自分の後ろに庇い、百合亜に向かって片手をかざしていた。手から桃色の炎が生まれ、水中でユラユラと揺れている。羽衣は炎によって槍を掻き消したが、消しきれなかった槍によって、顔や腕に傷を負っていた。
百合亜が眉を顰める。その後ろから、レオが迫っていた。
「‼」
レオの唸り声が聞こえ、百合亜が振り返る。咄嗟に槍を作り出し、レオに向かって振った。炎のタテガミを持つレオが「ぎゃっ」と声を上げて槍に薙ぎ払われる。薙ぎ払われたレオを、後ろにいたグレイシスが受け止めた。
「……往生際の悪い……」
百合亜が苦々しげに呟く。羽衣と綺心は自分たちに背を向けた百合亜に近づこうとしていたが、目の前にヒューが現れた。二人がギョッとして止まると、ヒューは二人の目の前で巨大な渦を作り出す。
「わあ⁈」
「羽衣‼」
二人が巨大な渦に呑まれる。その渦は水中を突き抜けて外に飛び出し、二人の身体を打ちあげた。
空中で渦が消え、二人が宙に投げ出される。激しい渦に呑まれた二人は空中でバランスを取ることが出来ない。二人の眼下で、水中から出て来た百合亜が空中の二人に向かって槍をかまえていた。
「綺心ちゃん‼」
「羽衣‼ 手を‼」
羽衣と綺心がお互いに手を取る。百合亜は怪訝そうな表情を浮かべながら、周囲に生み出した水の槍を二人に放った。手を繋いだ二人は、飛んでくる槍に向かって繋いだ手を向ける。二人の腕が桃色の炎と水色の炎を纏った。
「炎が水に勝てるとでも?」
百合亜が冷たく呟く。放たれた槍が二人の目の前まで迫った。
「
「
桃色の炎と水色の炎が混ざり合い、目の前に迫った槍に襲い掛かる。その炎は大きく、槍を包み込むと、跡形もなく消し去った。百合亜が目を見開く。
「羽衣、頼んだ」
「まかせて!」
綺心と羽衣が手を離す。綺心の瞳が淡く光った。
「
次の瞬間、羽衣はグレイシスと入れ替わり、百合亜の背後に現れた。気が付いた百合亜がバッと振り向く。百合亜の後ろには、獅子の姿から炎に姿を変え、羽衣の腕に纏うレオの姿と、拳をかまえる羽衣がいた。羽衣と入れ替わったグレイシスを、綺心が抱きしめている。
「
炎を纏った羽衣の拳が振り下ろされる。百合亜が咄嗟に槍を生み出し、羽衣の拳を防いだが、羽衣の拳は槍を掻き消した。
「なっ⁈」
百合亜が目を見開く。羽衣は拳を振り下ろし、獅子の姿をした炎が百合亜に襲い掛かり、百合亜が小さく悲鳴を上げた。
次の瞬間、羽衣の目の前に飛んで来た鎖が炎の獅子を掻き消した。
「⁈」
羽衣が大きく目を見開く。レオが鎖に弾き飛ばされ、水の中に落ちていくのが見えた。羽衣が「レオ‼」と叫んだ瞬間、羽衣の腕に鎖が巻き付き、強く引っ張られて百合亜から離された。
「ようやく見つけたぞ、アリエル」
聞こえた声に羽衣がハッと前を見る。羽衣の前に現れたのは、大天使ラギュエル、天秤友音だ。友音の手に握られた天秤の鎖が、羽衣の腕に巻き付いている。
友音が現れた瞬間、百合亜は素早く振り返ると、突然の友音の登場に呆然としていた綺心に向かって槍を放った。綺心が我に返り、咄嗟に避けようとするが、槍は綺心の腕を掠め、傷を作る。
「と、友音ちゃん……」
「アリエル。首を脅かすもの。大天使ラギュエルの名のもとに、貴様を排除する」
「……無茶言わないでくれよ……」
綺心が腕を抑えながら苦々しげに呟く。
「四大天使ガブリエルだけで手一杯なのに……」
羽衣がキッと友音を睨む。腕を抑える綺心を百合亜がじっと見つめ、周囲に槍を生み出した。
羽衣が腕に炎を纏い、鎖を焼き切ろうとする。それに気が付いた友音が鎖を振り、腕を引かれた羽衣がバランスを崩して水中に叩き落された。水中に落とされた羽衣は鎖を振り払い、沈んで行っているレオに手を伸ばすと、レオを抱きかかえ、水面に浮上する。水面から顔を出した羽衣の目に映ったのは、大量の槍に襲われ、落下している綺心とグレイシスの姿だった。
「綺心ちゃん‼」
羽衣が慌てて自ら飛び出し、落ちていく綺心を受け止める。一緒にグレイシスも受け止め、その重さに羽衣が「うっ」と小さく声を漏らした。綺心が羽衣の腕の中でうっすらと目を開ける。
「羽衣、後ろ……」
羽衣の後ろから水の槍と、友音が迫っていた。気が付いて振り返ろうにも、間に合わない。
「
その時、響いた声と共に、どこからともなく出現した無数の赤い毒針が、羽衣に迫っていた槍を掻き消した。友音がギョッとしながら、羽衣に向かって天秤を振り下ろす。羽衣が覚悟を決め、ギュッと目を瞑ったが、しばらくしても衝撃はやってこず、恐る恐る目を開ける。
羽衣の前で、鮮巳が赤い毒針を手に、ふり下ろされた友音の天秤を止めていた。
「鮮巳ちゃん⁈」
羽衣が思わず声を上げる。止められた友音は悔しそうな表情を浮かべ、鮮巳は友音をはじき返して、友音が羽衣から離れた。
「鮮巳ちゃ———」
振り返った鮮巳の顔を見て、羽衣が絶句した。鮮巳の目には黒い包帯が巻かれており、目が見えていない様子だ。よく見れば、白かったはずの翼も黒く染まり、マリスの姿がない。
「……鮮巳ちゃん?」
「羽衣、約束守れなくてごめん」
鮮巳が悲しそうに言う。その後ろから友音が迫り、羽衣が「危ない‼」と声を上げた。だが、鮮巳を取り囲むように出現した赤い毒針が友音に襲い掛かり、友音がギョッとして天秤で毒針を薙ぎ払う。
「堕天使サマエル‼ そこをどけ‼」
「堕天使……」
羽衣が信じられないと言うように呟く。鮮巳がもう一度「ごめん」と呟いた。
「ぶ、無事でよかったぁ……‼」
羽衣がボロボロと泣き出した。
「え」
「急にいなくなっちゃうから、死んじゃったかと思ったよぉ……‼」
「え、えっと……私、堕天してるんだけど……」
「無事ならなんでもいいよ‼ また助けてもらっちゃった!」
「ま、羽衣はそう言うだろうね」
綺心が目を覚まし、羽衣の手から離れる。羽衣が「大丈夫?」と聞くと、綺心が「なんとか」と答えた。綺心の腕の中でグレイシスがぐったりしている。
「ただ、状況がマズすぎるのに変わりはないかな」
「呑気に話している暇があるとでも?」
羽衣たちの前に百合亜が飛んでくる。百合亜は自分の周りに槍を出現させていた。羽衣たちが身構える。百合亜の後ろで、友音が待ち構えていた。
「どれほど味方を増やそうと結果は同じこと。どこまで悪あがきを続けるのですか」
「そちらこそ、僕たちにここまで手こずっていていいのですか? 首が殺されてしまいますよ」
「殺されません。ミカエルがいる限り」
「ルシファーは負けないよ」
鮮巳の言葉に百合亜がギョッとして身を固くした。
「……ルシファーが来ているのですか」
「堕天使はメタトロンの味方をする」
「……関係……ありません。ミカエルは負けません」
百合亜の言葉は、まるで自分に言い聞かせているように聞こえた。百合亜が出現させた槍の矛先が、羽衣たちを捉える。
「そこまで」
次の瞬間、ガブリエルの聖域が一瞬闇に呑まれた。百合亜がギョッとし、事態を飲み込めない羽衣たちが困惑する。
「これは……」
百合亜が呟いた瞬間、闇が晴れ、目の前に堕天使が現れた。
「サタナキア……‼」
「お久しぶりです。ガブリエル」
現れたのは堕天使サタナキア。ルシファーの側近だ。
「なにをしに来たのです。あの天使たちの味方でもしに来たのですか」
「ルシファーに命じられてきました」
「ルシファーに?」
「ミカエルは死にましたよ。ガブリエル」
サタナキアの言葉に、百合亜が大きく目を見開く。あたりに出現していた槍が弾けて消え、サタナキアを凝視する百合亜の表情は顔面蒼白だった。身体がガタガタと震え出す。「……嘘……」
百合亜の口から漏れだしたのは、震えた声だ。
「嘘だ‼」
その声は、絶望に満ちた、悲痛な声だった。
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