第39話 知らない方が幸せ
淡い茶色のウルフカットの髪に、猫を思わせる、大きな銀色の瞳。小柄で華奢な体つきに、オーバーサイズのTシャツを身に着けているせいで少年にも見えるが、その少女の後ろにはエンジェリックがいた。
「……天使……?」
愛歌が険しい表情を浮かべて身構える。恵慈が「ひぇ⁈」と情けない声を上げ、その声に気が付いた羽衣と綺心がこちらを見た。
見知らぬ少女は不敵な微笑みを浮かべている。少女の後ろにいるエンジェリックは、こげ茶色の毛皮に大きな耳と鹿のような二本の角、深緑色の瞳を持っていた。額には白い円のような模様があり、ひし形の緑の石が、どういう原理か、角の間で宙に浮いている。
「なにかよう?」
警戒を露にしている愛歌が問いかける。すると、小柄な少女は険しい表情を浮かべる愛歌に臆することなく、口を開いた。
「首の名のもとに、大天使ラジエル、サンダルフォンの決闘をここに宣言する」
次の瞬間、愛歌は真っ白な空間にいた。一瞬目を見張った愛歌は、すぐに状況を理解する。
「ツゥイン」
愛歌の後ろから飛び出したツゥインの額の石が輝き、光に包まれた愛歌が天使の姿に変わる。黄色いドレスの青色のリボンがひらめき、背中から翼が飛び出した。
「奇襲なんて、酷いじゃない?」
愛歌の前には小柄な天使がいた。白いブラウスの上からベージュのベストを身に着け、白いショートパンツを履いたその天使は、小柄な身体に相応しいとは思えない、大きなオリーブ色のローブを身に着けている。ショートパンツから覗く華奢な足は、夜空色のタイツに覆われ、サイズが合っていなさそうな茶色のブーツを引きずる天使は、愛歌を前にして不敵な微笑みを崩さなかった。後ろでエンジェリックが羽ばたいている。
「僕は
結虹の声は少年の声にも聞こえる、中性的な声だった。愛歌が「ラジエル?」と眉を顰める。
「神の神秘、大天使ラジエル。すべての秘密を司る天使が、私にいったいなんの用よ」
「知らない方がいいこともあると、そう、思ったことはない?」
「はい?」
愛歌が困惑の声を上げる。結虹はいたって真剣な様子だった。
「知らないほうが幸せなことだってあるだろうに、どうしてそれを暴こうとするのか」
「ちょっと待ちなさいよ。なんの話し?」
「君のお姉さんのことだよ。大天使サンダルフォン」
「芽児? 芽児が何だって言うの?」
唐突に出された姉の名に、愛歌が険しい表情を浮かべた。
「大天使メタトロンによる神殺し……そんなことをして幸せになるものなどいないのに」
「なにが言いたいの」
「神が死に、露呈するのは神の秘密だ」
結虹が少し悲しそうな表情をした。
「知れば絶望する。これは天使たちのためなんだよ」
「それと私たちがなんの関係があるの」
「メタトロンを止めるには、その妹のサンダルフォンを殺すべきだろう?」
「……なんですって」
「妹が死ねば、神を殺そうなんて馬鹿なことも考えなくなるだろう。いいかい。サンダルフォン。僕たちは神のために生きているんだ」
結虹が愛歌に向かって右手をかざす。愛歌が身構えた。
「神の秘密の守護。それが、大天使ラジエルに課された責務なんだよ」
結虹が「ミスティ」とエンジェリックの名を呼ぶと、名を呼ばれたミスティは分厚い本へと姿を変え、結虹の右手に収まった。
「
その瞬間、本の中から無数の白い鳥が飛び出し、鋭い嘴を愛歌に向けた。よく見ればその鳥はすべて紙で折られた鳥で、鳥を作る紙には文字が綴られており、すべてが本のページだと言うことがわかる。
「ツゥイン‼」
愛歌が叫び、ツゥインの姿が変わる。ツゥインはバイオリンに姿を変えると愛歌の手に収まり、愛歌は自分に向かって来る無数の鳥をキッと睨みつけると、大きく息を吸い込んだ。
「
甲高いバイオリンの音とともに、愛歌の力強い歌声が響き渡る。その歌は耳を劈くような激しい歌で、鳴り響いた歌に、愛歌に向かって行っていた鳥たちが次々と紙片になって宙に舞った。
「芽児に害をなすのなら、私は貴方を消すわ」
「音を愛する天使サンダルフォン。君はなにも知らないでしょう?」
「そうよ。だってみんな教えてくれないもの。芽児も、ハニエルも。でもね、なにも知らないまま大人しくしているようなキャラじゃない」
結虹が手に持った本のページを開く。すると、本から紙で作られた大きなヘラジカが飛び出し、愛歌に向かって来た。
「神の秘密なんて関係ないわ。だって、神になるのは芽児だもの」
「そんなことが許されると思っているのかい? 僕たちは天使なのに」
愛歌がバイオリンから手を離し、バイオリンが姿を変えて、宙に浮かぶ鍵盤に変わった。愛歌は向かって来るヘラジカから逃げようとする素振りも見せず、結虹を見つめる。
「天使だからなんだというの。私たちは生きている」
愛歌が叩きつけるように鍵盤を鳴らし、響いた音がヘラジカを掻き消す。愛歌はそのまま鍵盤をかき鳴らし、結虹が思わず耳を塞いで小さなうめき声を漏らした。結虹が本から手を離すとともに、本がミスティに姿を変え、耳を塞いだ結虹の腕を引いて羽ばたき、結虹を愛歌から離す。
「逃がさないわよ」
愛歌は鋭い眼光で結虹を捉え、鍵盤が今度はマリンバの姿に変わって、愛歌が大きく息を吸い込んだ。
「
愛歌の声とマリンバの軽快な音が響いた途端、愛歌から離れようとした結虹を取り囲むように光の柱が現れ、鳥かごのような形を作り上げて結虹とミスティを閉じ込めた。ミスティが慌てて止まる。檻に閉じ込められた結虹が、愛歌を見つめた。
「サンダルフォン。なぜ天使が堕天するのかわかるかい?」
「なにそれ。関係ないわ」
「君は強いな」
結虹が少し寂しそうな顔で笑った。その笑顔の意図がわからず、愛歌が困惑する。
「ミスティ」
名前を呼ばれたミスティが本に姿を変える。本を手にした結虹は、変わらず悲しそうな笑顔を浮かべていた。
「……あなたは、なにを知っているの?」
「僕はそれに答えられないんだ」
突如、本の中から紙で作られた巨人が現れた。巨人はゆっくりと身体を起こすと、手にした巨大な大斧を振りかぶり、愛歌が思わず身構える。巨人が振った大斧は、愛歌が作り出した光の檻を粉砕した。
「天使は神に命じられたことがすべてなのだから」
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