第2話 大天使アリエル
「ただいま~」
「おかえり、羽衣」
家に帰った羽衣を出迎えたのは羽衣の母親、
「その子どうしたの? また猫でも拾って来たのかと思ったけれど、ぬいぐるみ?」
「うん! カラスに襲われてたの。ママ、お風呂場の洗面器借りるね!」
「はいは~い。制服、汚さないようにね~」
羽衣は制服も脱がずに鞄を玄関に放り出すと、そのまま風呂場に行き、洗面器に水をためた。
「破れてるところはなさそうだけど……汚いなぁ。ちゃんと落ちるかなぁ」
ぬいぐるみの後ろ脚を掴み、羽衣は「えいやっ」と洗面器の水にぬいぐるみの顔をつけた。
「目を閉じてるのはそういうデザインなのかな?」
羽衣がそのままジャブジャブとぬいぐるみを洗っていたその時だった。
「○!※□◇#△⁈」
声にならない声と共に、ぬいぐるみが暴れ出した。
「わぁ⁈」
羽衣が驚いてぬいぐるみから手を離し、ぬいぐるみがボチャン‼ と洗面器の中に落ちる。ぬいぐるみは「死ぬ‼ 死ぬ‼」と叫び声を上げながらもがき苦しみ、しばらくすると洗面器が浅いことに気が付いて、立ち上がった。
その様子を、羽衣は呆然と見つめていた。
「死ぬかと思った‼」
ぬいぐるみは二足歩行で立ち上がり、プルプルと身体を震わせて水を弾くと、ハッとして呆然としている羽衣を見た。
「ありがとうございました‼」
そして、まったく事態を飲み込めていない羽衣に対して、深々と頭を下げた。
「どこの誰かは知りませんが、助けていただきありがとうございます‼ あんたは命の恩人だ‼」
「……ぬいぐるみが……しゃべった……?」
羽衣の口から飛び出したのはそんな言葉だった。「ありがとうございます‼」と頭を下げるそれは、ピンク色の毛皮を持った、虎のような、二等身、二足歩行の可愛らしいぬいぐるみにしか見えない。
「この御恩は忘れな———」
そこまで言って、ぬいぐるみは羽衣の顔を凝視したまま固まった。羽衣もぬいぐるみを見つめてジッとしている。
「アリエル!!!!?」
ぬいぐるみの大声に、驚いた羽衣が「わあ!」と声を上げた。ぬいぐるみは信じられないと言うように口をパクパクさせている。羽衣は「アリエル?」と首を傾げた。
「見つけた‼ 見つけたぞ‼ ようやく見つけた‼ アリエル‼ アリエル‼ いままでどこにいたんだ⁈」
ぬいぐるみはキラキラと目を輝かせて嬉しそうにしている。その時、風呂場の外から柴乃の声が聞こえて来た。
「羽衣~? 大きな声がしたけれど、どうしたの~?」
ぬいぐるみがビクッと身体を震わせ、慌てた様子で羽衣の後ろに隠れようとする。その瞬間、羽衣はぬいぐるみを抱き上げると、自分の制服が濡れるのもかまわず、風呂場を出て柴乃のもとに走って行った。
「ママ! 見て! すごいの! 最近のぬいぐるみは喋るし、動くんだねぇ!」
「あらあら、そうなの?」
「違う‼ 俺はぬいぐるみじゃない‼」
ぬいぐるみが羽衣の腕の中で暴れ、柴乃が「あらまあ、ほんと!」と驚きの声を上げた。羽衣が嬉しそうに「ね?」と笑った隙を見て、ぬいぐるみは羽衣の腕から抜け出し床におりたが、顔を上げたぬいぐるみの目に映ったのは、爛々と光る瞳でこちらを見つめている、三匹の猫たちの姿だった。
「ぎゃああああああ⁈」
ぬいぐるみが悲鳴を上げ、羽衣の足元をすり抜けて二階に続く階段を駆け上っていく。
「あれ。ミーとニーとナーにびっくりしちゃったかな」
三匹の猫は動くぬいぐるみに一切の興味を示さず、小さくあくびをして各々で去っていく。羽衣は二階に逃げて行ったぬいぐるみを追いかけ、濡れた足跡が自分の部屋に続いているのを見て、自室の扉を開けた。
「大丈夫だよ~。怖くないよ~。出ておいで~」
そして、羽衣が部屋に入って来たのを見計らって、扉のそばに立っていたぬいぐるみは扉を閉め、ジャンプして扉の鍵を閉めた。物音に気が付いて羽衣が振り向く。
「あ、いた。ほら、おいで~」
「俺はぬいぐるみじゃない‼」
目線を合わせようとしゃがみ込んだ羽衣をぬいぐるみが睨みつける。
「俺はレオ‼ 大天使アリエルのエンジェリックだ‼」
不思議そうに首を傾げる羽衣に向かって、レオは「そして‼」と指差した。
「お前は大天使アリエルの生まれ変わりなんだ‼」
キョトンとした表情を浮かべる羽衣に、レオは「だから‼」と声を荒げる。それを遮って羽衣はレオを抱き上げ「最近のぬいぐるみはすごいねぇ‼」と頬ずりをした。
「違う‼ ちがーう‼ 俺はぬいぐるみじゃないー‼」
「まって、まって、暴れないで! 身体を拭かないと部屋がビショビショになっちゃう‼」
「いいから‼ 俺の話を聞けー‼」
「わかった! わかったから! 身体拭かせて!」
しばらく暴れるレオと押さえつける羽衣の攻防が行われた後、レオはとりあえず落ち着きを取り戻し、タオルを敷いた羽衣のベッドの上に座らせられ、羽衣に頭を拭かれていた。
「何度も言うけど、俺はぬいぐるみじゃ———ぶっ⁈」
話している途中で顔を拭かれ、レオが情けない声を上げる。
「話を聞けー‼」
「わぁ‼ ごめん、ごめん!」
レオに振り払われたタオルを拾い、羽衣はまたレオの頭を拭き始めた。「ドライヤーも必要かなぁ」と呟き、まったく話を聞こうとしない羽衣に、レオがため息をつく。
「話を聞かないのは昔から変わらないな、アリエル……」
「えっと……そのアリエルっていうのは羽衣のこと?」
「さっきからずっとそう言ってる‼ ていうか、ほんとに何も覚えてないのか⁈」
「う、うう~ん?」
レオは信じられないというように目を見開き、額を押さえてため息をついて「覚醒が遅すぎたから、前世の記憶がないのか……?」と呟いた。
「お前は大天使アリエルの生まれ変わりで、俺はアリエルに仕えるエンジェリック。記憶がないってことは、七大天使争奪戦争のことも、なにも覚えてないのか?」
「えっと……つまり、羽衣は天使の生まれ変わりってこと……?」
「その通り! そして、七大天使の称号をかけて、他の天使と戦い、天界に帰るんだ‼」
「えええ……⁈」
突拍子もない話に羽衣が困惑の声を上げる。レオは真剣だ。
「大天使ルシファーが堕天したことで、
「え、えっと、えと……そんなこと急に言われても信じられないよぉ……‼」
「なんで思い出さないんだ、アリエル‼ 俺と出会った時点で、天使は覚醒し、前世の記憶が全部戻るはずなのに……‼」
「わ、わかんないぃ……けど、とりあえずドライヤーするね?」
羽衣がドライヤーの電源を付け、レオを乾かし始める。レオはしばらく抗議の声を上げていたが、ドライヤーの音でそれは羽衣の耳には届かず、しばらくするとレオは大人しくなって乾かされた。
乾かし終ると、レオの毛皮はモフモフと手触りの良い毛皮になり、汚れもすべて綺麗になっていた。
「わぁ! モコモコ!」
羽衣が思わずレオを抱き上げ、頬ずりをすると、レオは諦めた様子でため息をついた。
「信じてないし、話しを聞く気もないなぁ……?」
「え⁈ そ、そんなことないよ……?」
すると、レオは羽衣の腕から飛び出し、ベッドに着地すると、ビシッと羽衣を指差した。
「俺が言った話が全部真実だって嫌でもわからせてやる‼ いくぞ‼ アリエル‼」
「い、行くってどこに⁈ あと、その、アリエルって呼ぶのやめてくれないかなぁ? 羽衣の名前は獅子野羽衣だから……羽衣って呼んで?」
「いいから‼ 行くぞ、アリエル‼」
そう言うとレオはベッドの横の窓を開け放った。
「まさか、飛び降りるの⁈ ここ、二階だよ⁈」
羽衣が驚きの声を上げ、開け放たれた窓から夜の冷たい風が部屋に吹き込んでくる。
「大丈夫だ‼ アリエルは天使なんだから!」
「そ、そんなこと言ったって……‼」
「いいから、行け‼」
いつの間にかに羽衣の背後に回り込んでいたレオは、後ろから羽衣の背中を蹴り飛ばし、唐突なことに羽衣はバランスを崩して窓の外に飛び出した。
「きゃああああ⁈」
窓から飛び出した羽衣が悲鳴を上げ、身体が宙に放り出される。羽衣が思わずギュッと目を閉じて、羽衣と一緒に飛び出したレオの額にあるピンク色の石が光り輝き、その光が羽衣の身体を包み込んだ。
その瞬間、羽衣の背中から翼が飛び出した。
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