第26話 乱戦

 初めて人を斬った感慨に浸る暇はない。

 ローザリッタは横から飛びかかってきた二人目の攻撃を軽く受け流し、ひるがえってくびに太刀を打ち込んだ。


「ぎゃあ!」


 血の筋を断たれてよろめき倒れる男の脇を走り抜け、今度は手斧を構えた三人目へと距離を詰める。


 迎え撃とうと手斧を振り上げた瞬間、がら空きになった胸へ向かってローザリッタは石火の突きを放つ。

 切っ先は肋骨の隙間を抜け、心臓を貫通し、勢い余って背中から飛び出した。


「いぎぃ!」


 吹き出る鮮血。埋もれた刀身を通じて、心臓の最後の痙攣が伝わってきた。


 その生々しさ、おぞましさにローザリッタは思わず眉根を寄せる。


 三人を瞬く間にたおしたのも束の間、左側面から四人目が迫ってきた。


「――っ!?」


 すかさず対応しようとしたローザリッタの体が、がくり、と止まる。


 ――太刀が抜けない。


 既に絶命した三人目の胴体に埋もれたままの古銭刀は、押しても引いても、びくともしなかった。


 太刀の両側面には、という溝が彫られることが多い。


 その理由は、樋をることで刀身の軽量化を図り、かつ断面を「工」の形状にすることで強靭性を高める。これらは刀剣の構造上の問題である左右への衝撃に対する脆弱さを解消するための、苦肉の策と言えるだろう。


 だが、それらは副産物に過ぎない。

 樋を彫る最大の理由は、だ。


 動物の筋肉は強い衝撃を受けると収縮する働きを持っている。

 これが刃物による攻撃の場合、切断された筋繊維の断面が蛸の吸盤のように刀身に吸着し、凄まじい摩擦によって引き抜くことができなくなってしまうことがある。


 そのため、少しでも摩擦を減少させるために、実戦向けの太刀には樋が彫られるようになったのだが――それでも確実な仕掛けではない。


 知識としては知っていたものの、まさかこれほどの吸着力とはローザリッタの想像の埒外だった。こんな経験は、それこそ人を斬ったことがなければ知り得なかっただろう。


 太刀を引き抜けないまま、四人目が間境まで接近する。


(どうする。一度、太刀から手を離して回避するか。それとも一か八か、三人目の屍を盾にするか――)


 一秒にも満たない逡巡。しかし、戦場では落命に等しい隙。


「――おおっと!」


 横から割り込んできたヴィオラが、四人目を一刀のもとに斬り伏せた。


「ヴィオラ!」


「これで犬の借りは返したからな!」


 にやり、とヴィオラは獰猛な笑みを浮かべた。


「そういう時はすぐに得物を離せ。戦場じゃ武器離れができない奴から死ぬぞ!」


「はい!」


 ヴィオラの助言を受け、ローザリッタは柄から手を離した。


 そして、未だ直立する三人目の屍を蹴り飛ばし、距離を取って体勢を立て直す。


 代わりの武器を探そうと地面に視線を向けると、すぐ近くに既に死亡した頭目の野太刀が転がっているのが見えた。


「させるか!」


 武装を失った好機を逃すまいと考えたか、短槍を構えた五人目が躊躇なくローザリッタとの間合いを詰めてくる。


 槍は武器の王である。

 俗に、剣で槍に勝つには三倍の段位が必要と言われるように、槍という武器はあらゆる白兵武装に優位性に立つ。


 武器を捨てる前ならいざ知らず、今のローザリッタは徒手空拳。いくら鎧による防御があったとしても、圧倒的な射程距離の前には一方的に突き殺されるしかない。


 ――


「ふっ!」


 ローザリッタは籠手に内蔵された小刀を引き抜くと、五人目に目掛けて投擲とうてきした。


 小刀は太腿に深々と突き刺さり、五人目は悲鳴を上げながら体勢を崩す。


 その隙を逃さず、ローザリッタは足元に転がっていた野太刀を蹴り上げると、中空でそれを掴んで、そのまま五人目の懐に飛び込んで小手を打った。


 手首から先を斬り落とされた五人目が絶叫をあげる前に、ローザリッタは返す刀で首筋を横薙ぎに切り裂く。


 生暖かい血をまき散らしながら、五人目はきりむように倒れ伏した。


 二人の快進撃は止まらない。

 七、八、九、十――あっという間に死体の山が積み重なっていく。


 ここにきて、ようやく野盗たちは自分たちが刃を向けた相手の強さを理解する。


 彼らが無法者に落ちぶれた理由は様々あるが、要約すれば楽だからだ。


 汗水垂らして地道に畑を耕すよりも、その収穫を奪った方が遥かに効率的なことに気づいてしまった者たち。一度味を占めてしまえば、もう元には戻れない。


 しかし、彼女たちはその真逆。


 血のにじむような鍛錬、耐え難い修行を何年、何十年と続けてきた者たちだ。実力は言うまでもなく、土壇場の根性も胆力も、刹那的な生き方を選んだ彼らとは比較にならない。いや、比較するのもおこがましい。


 勝てないと恐れをなして、残った四人が背中を向けて逃げ出した。


 だが――


「残念。予測済みよ」


 草陰から姿を現したリリアムが逃げ道を塞ぐように回り込む。


 すれ違いざまに雲耀の抜刀術が閃き、一瞬のうちに三人を斬り伏せた。


(なんて、速さ――!)


 乱戦の最中だというのに、ローザリッタはリリアムの剣技に見惚れた。


 最小、最短、最速のベルイマンの太刀筋はしばしば風に例えられるが、リリアムの太刀筋はさながら稲妻だ。輝きは一瞬だが、大岩をも砕く威力を宿している。


 しかも、よりも一段と速い。


 単純な身体運用の効率化だけではなく、別の何かが作用しているようにも思える。


「――っ!」


 背後に鋭い殺気を感じ、ローザリッタはすかさず振り向きざまに太刀を薙いだ。


 ぎん、と甲高い音。


 思わず驚愕する。誰も躱せなかった神速の一刀を受け止められた。


――!)


 受け止めたのは、顔を深々と頭巾で覆った偉丈夫いじょうふだった。


 さっき目視で数えた時はいなかった。まさか、あの状況で隠れていたのか。


「……急ぎ駆けつけてみれば、このざまとはな。俺の忠告を聞いていれば、こんなことにはなっていなかったのだが」


 言葉とは裏腹に、一切の憂いを感じさせない口調。


 交差した太刀を引くに引けなかった。鍔迫り合いながら、互いに次の手を探っている。これは剣術遣いの駆け引き。これまで斬り捨てた野盗とは次元が違う。


「……お仲間は壊滅しましたよ。まだ続けますか?」


「知っている。見ていたからな。実に天晴あっぱれだ。寡兵かへいよく衆を制すとは、まさにこのことよ!」


「くっ!」


 どん、とローザリッタが突き飛ばされた。

 ローザリッタはたたらを踏んで後退する。いくら鍛えていようと女、それも十六の小娘だ。体格差からくるだけはどうしようもない。


 だが、頭巾の男も深追いはしなかった。

 二間の距離を挟んで、互いに正眼に剣を構えてにらみ合う。


「一つ尋ねる。お主、何流だ?」


「……生憎あいにくと、悪党に名乗る流名は持ち合わせていません」


「風の如き剣速。羽のような体捌き――当ててやろう、?」


 ローザリッタは沈黙する。

 それを肯定と受け取ったのか、男が歯を剥き出しにして笑った。


「くはははっ、ようやく――ようやくだ! 天は俺に機会を与えたもうた!」


 男は太刀を下ろすと、頭巾をかなぐり捨てた。

 明かされたのは、ざんばらの黒髪に鷹のように鋭い眼光、額に走る刀傷が印象的な壮年の顔だった。


「この顔を覚えておけ。――


 次に男がとった行動は、ローザリッタの予想を超えるものだった。

 背を向け、逃走を計ったのだ。


「なっ……逃げるのですか!?」


「今宵は騒がしい。それに消耗したお前と戦って意味がないからな――」


 瞠目どうもくするローザリッタを置き去りにして、傷の男は夕闇の中に消えていった。

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