第14話 魔剣

 ――種明かしをすれば。


 皆伝の試しの本質は棄却ききゃく

 斬れないものは斬れない、とにある。


 魚のように泳げても魚には勝てないし、馬のように速く駆けても馬には及ばない。鳥のように空を渡ることができても、それでもやはり、鳥ではない。


 いくら強くなったところで、所詮、人間は人間に過ぎない。

 そして、人間には弁えるべき相応のがあり、それ以上を求めてはならぬという訓戒である。


 強さを手に入れた人間は、その優越感ゆえに傲慢ごうまんな考えに至りがちだ。まして、皆伝の伝位まで到達するような才能ある剣士であればなおのこと。


 しかし、そのままでは、いつか他人を見下し悦に入るようになってしまう。


 人間は人より優れているという快感に、長く抗うことはできない。最初は自信という自己肯定感で済んでいたものが、次第に道徳を侵し始め、やがては誰かをあざけり、おとしめるように変質させてしまう。


 容易に人を殺せる技術だからこそ、その遣い手は誰よりも己を律し、清廉潔白でなければならない。傲慢、慢心などもってのほかだ。


 そうでなければ、剣術は悪党の振る凶刃と何ら変わらない、ただの暴力になってしまう。


 この試練は、剣術をただの暴力装置にしないための――ありていに言えば、才ある者の傲慢を諫めるためのものだった。


 試練に挑む者が斬るべき灯籠を前にして、断念して太刀を納めた時。

 もう、その者の心には傲慢さなど残っていないだろう。


 自分以上の何かを認めることでしか、人は、本当の謙虚さを身につかけることはできないのである。


 マルクスはこの試練を通じて、世の中には抗えないものがあるとローザリッタに教えたかった。


 やりたいことと、できることは違う。

 したいことと、すべきことも違う。


 ローザリッタにはローザリッタの分相応がある。

 子を産み、育て、領主の後継としての務めを果たし、領民を守る。

 そんな、彼女にしかできない戦いもあるのだとわかってほしかった。


 しかし――


「本当に、斬ってしまいおったか……」


 糸の切れた人形のように倒れた愛娘を抱きかかえながら、マルクスは呆れるように呟いた。


 その視線の先には、袈裟懸けの形で両断された灯篭の残骸が転がっている。


 その断面は磨かれた鏡のように滑らかだ。

 一目でと鮮烈に伝わってくる。


「まったく……とんでもないな、そなたは。諦めない意思だけで灯籠さえ斬ったか。なんたる魔剣よ」


 マルクスは苦い笑みを浮かべた。

 意思で石を斬るなど言葉遊びにしても出来が悪すぎる。


 とはいえ、こうなってしまっては、もう認めるしかないだろう。


 きっと、彼女が旅立つのは天命。

 領主だの、跡継ぎだの。そんな人間基準の狭い価値観を笑い飛ばす、大いなる意志の決定なのだ。


「……だが、困った。斬ってしまっては皆伝の印可はやれん。最後まで儂を悩ませおってからに」


 そうぼやきながら、気を失った娘の頬を愛おし気に撫でる。


 ローザリッタの成したことは試しの本質から言えば、明らかな失敗。


 試練の真髄を隠したまま、皆伝の印可を与えられないことをいかに伝えるか。今度は、それで悩まなければならないようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る