第15話 受け継ぐもの
灯篭斬りの試しから二日が経った。
最後の一撃を放った後、糸の切れた人形のように意識を失ったローザリッタは、それから丸一日、目を覚まさなかった。
二日目の朝になってようやく覚醒したものの、七日間に渡る森籠りで疲労は極限まで達していたため、実際に体が動くようになったのが夕方だ。
もっとも、たったそれだけの休息で調子を取り戻すあたり、ローザリッタの回復力がいかに尋常でないか窺い知れる。
だが、肉体とは裏腹に心は疲れ切ったままだった。
何故なら――
「残念ながら、皆伝の印可はやれんな」
その日の夜、マルクスから呼び出しを受けたローザリッタは彼の部屋へと赴いた。
席に着いて、開口一番にマルクスから告げられたのが、その言葉だった。
ローザリッタは何も言い返せなかった。
当然だと思ったから。
なにせ、何も覚えていない。
自分の覚えているのは折れた太刀を振りかぶったところまで。
次に意識が戻った時には、見慣れた自室の天井が目の前にあるような状態だった。
灯籠を斬ったと聞かされても、それが事実かどうかなんてわからないし、結果的に斬ったのだからいいではないかという主張がいかに子供じみているかくらい、さすがの彼女も弁えている。
……そう。試しは失敗だ。
つまり、武者修行の話もなかったことになる。
それはとても受け入れがたい事実だった。
しかし、それでも約束は約束。自分の言ったことに責任を持てないようでは、それこそ理不尽だというものだ。
「承知……しました」
喉を震わせながらの敗北宣言。
ローザリッタの瞳は涙で滲み、今にも零れそうだった。
娘の悲痛な顔を努めて見ないようにし、マルクスは話を続ける。
「よろしい。では、明日の早朝より、改めて元服の儀を執り行おうと思う。異論はないな」
「……はい」
「うむ。では、元服の儀にはこれを身につけろ」
マルクスは席から立ち上がると、部屋の隅に立っている衣装掛けまで歩み寄る。
人型の衣装掛けは埃よけの布がすっぽりとかけられているため、そのままではどのような衣装が飾ってあるかわからなかったが、さぞや豪華な晴れ着が隠れているに違いない。
「きっと、似合うであろうよ」
言い置いて、マルクスは衣装かけの布を剥ぎ取ると、そこには――
「……
予想もしなかったその中身に、ローザリッタは目を見開いた。
人型をした衣装掛けが身につけていたのは、彼女が想像した貴族の女らしい礼装ではなく――何とも無骨な鎧だったからだ。
まさか、元服の儀に鎧を着用しろというのだろうか。
確かに、
しかも、鎧は鎧でも、これは
胸甲鎧は文字通り、胸や腹など、臓器が収まっている部分を重点的に守るためのもの。
防御力は全身を覆う板金鎧には遠く及ばず、動きやすさで言えば柔らかい革鎧には至らない。性能面だけで見ると何とも中途半端な鎧ではある。
だが、世間の評価はそうではなかった。
防御力と可動域という相反する要素の調和が取れており、他の防具と組み合わせることで、運動性を損ねることなく防御力を向上させることができる。つまり、自分の戦闘形態に適した様式を作り上げることができるのだ。
その組み合わせの自由度の高さは、身軽に動き回るには最適の鎧として旅する戦士に愛されている。
――あてこすりもいいところだ。
ずっと願い続けてきた武者修行を諦めた矢先に、この仕打ち。
せめて、元服の儀でこれを着て、旅に出た気分になれとでも言うつもりか。
そんなの、あんまりではないか。
さすがに怒りを覚えたローザリッタは、きっとマルクスを
「そんな目をするな。ちゃんとした礼装を用意しても良かったが、いちいち着替えるのは面倒だろう? 何せ、そなたは元服の儀を済ませた後、すぐに武者修行に出るのだから」
「……え?」
怒りは、その言葉で消し飛んだ。
ローザリッタの頭は真っ白になった。
なんで、どうして。そんな疑問が、口ではなく顔に出ている。
「どうした、呆けた顔をして。念願の武者修行だぞ。嬉しくないのか?」
「う、嬉しいです。嬉しいですよ。でも、そんな、どうして……お父様は頑なに拒んでいたのに……それに……」
それに、灯籠斬りの試しだって失敗した。
そんな自分に、どうしてマルクスが武者修行を許す気になったのか、ローザリッタにはさっぱり思いつかなかった。
「なに、見てみたくなったのよ。お前の剣が、どこまで育つのか。どこまでの高みに届くのか。父親としてではなく、一人の剣士としてな」
それは偽らざる本心だった。
ローザリッタは常識では斬れないものを斬ってみせた。
それはつまり不可能を可能にしたということ。
彼女の放った最後の一太刀は、伯爵家の存続を天秤にかけても、その先を見てみたいと思わせるほど可能性に満ちたものだったのだ。
「だが、無理強いはせんぞ。ここに残るなら残るで、こっちとしては願ったり叶ったりだからな」
「いえ……! ありがたく、ローザは旅に出ようと思います!」
試すようなマルクスの視線に、ローザリッタは頭を下げて気持ちを伝えた。
望外の結果に、ローザリッタは溜まりに溜まった涙があふれ出す。
これまで彼女を苛んでいた不安が洗い流されるようだった。
「……ぐす。ですが、お父様。空を駆けるわたしたちに具足は
「そうでもない。道中は糧食やら何やら大荷物を背負っていかねばならん。どうせ跳べぬのであれば、いっそ、しっかり防具はつけておいたほうが安全だ。あとでヴィオラを呼んで、試着してみなさい。ああ、それと。そなたの太刀だが……」
あ、とローザリッタが呟く。
灯篭斬りの時、
「蔵から適当なのものを出してやっても構わんが……まあ、せっかくだ。これをやろう」
そう言うと、マルクスは部屋の奥の棚から藤編みの
そこから一振りの太刀を取り出すと、それをローザリッタに差し出す。
それは全体的に古い
飾り気のない無骨な鍔。黒塗りの鞘に納められた刀身は二尺三寸。
「儂が若い頃に使っていた太刀だ。儂が元服した時に父、お前の祖父より贈られたものでな。銘はないが、
「古銭刀……」
その名は、ローザリッタも聞いたことがあった。
古銭刀は、ある曰くつきの刀鍛冶が打った特殊な太刀だ。
究極の一振りを探求する彼は、その過程で一風変わった素材を使用した太刀を鍛造していた時期があり、古銭刀はその頃の作品だとされる。
古銭刀は文字通り古銭――鉄貨を素材したもの。
歴代の名刀に決して劣らない性能を備える逸品だが、当人からすれば、究極の一振にはまだまだ及ばない試作品。
失敗作として破棄するつもりだったらしいが、縁があって先代領主に献上されたと言われている。
「もう四十年以上前になるか。元服したばかりの儂はこの太刀を携え、武者修行の旅に出た。旅先では多くの困難に見舞われたものだが、この一振りのおかげですべて乗り越えることができた。この太刀が儂の旅を素晴らしいものにしてくれたのだ。だからきっと、お前の旅も善き方向へと導いてくれるだろう」
「ありがたく、頂戴します」
差し出された太刀を、ローザリッタは
古びた太刀と思って侮ってはならない。
実戦を経験した武器というものは、過不足なく戦いに耐えたということだ。
一度も実戦で使われたことがない新刀を持たされるよりも、こんなに心強いものはなかった。最高の贈り物だ。
「また折らないように大事にしますね」
「そうしてくれ。折れたらさすがに儂も傷つく。……ところで、ローザよ。シルネオを出て、まずはどこへ向かうつもりだ?」
「それは……考えておりません」
「おいおい。修行の旅なら、相応しい場所がいろいろあるだろう。例えば、王都の武術大会に参加するとか、辺境都市アシュランの闘技場へ行くとか……」
呆れながらも旅程の参考を口にするマルクスに、ローザリッタは首を振った。
「私にとって、街の外は初めてなのです。東へ行こうと西へ行こうと、未知であるということに関しては大して差はありません。どこへ行くかは旅立ってから考えます」
「ふむ。そういうものか」
「あ、でも……」
「でも?」
続きを促すマルクスに、ローザリッタはにっこり微笑んだ。
「
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