第16話 旅立ち

 満天の星空の下、リリアムは野宿をしていた。

 焚火たきびのわずかな明かりを頼りに、使い古した地図を眺めている。


 結局、シルネオの街には『探し人』の手掛かりはなかった。

 もっとも、糸口を得られなかったのは今回が初めてではない。

 振り出しに戻るのは、いつものことだ。


 それでも、リリアムが旅を止めることはない。

 彼女の胸の中で、憎悪の炎は燃え続けている。それがある限り、諦めるという選択肢はない。


 それにしても――


「……買い過ぎたわ」


 睨めっこしていた地図から目を離し、焚火を見やる。

 正確には、そのそばに突き立てられているいくつもの串を。


 持ち帰り用に包んでもらった芋の串揚げである。

 シルネオの街で酔狂な少女と一緒に食べて以来、すっかり病みつきになっていた。観光資源と侮っていたが、味は悪くない。むしろ良い。


 街を去る時、食べ治めと思って弁当代わりに大量に買い込んだものの、他の保存食と違って日持ちはしない。今夜中に食べてしまわなければならなかった。


 いくら好みでも揚げ物ばかりではさすがに飽きる。

 とはいえ、捨てるなど健啖家の矜持が許さない。

 はてさて、どうしたものか――


「こ、こんばんは……」

「――――」


 遠慮がちに投げかけられた声に、リリアムの体が硬直する。


 街の外において、夜に行動するもののだいたいは人間にとって不都合なものだ。

 夜行性の肉食獣。寝込みを襲おうとする野盗。

 あるいは、いずれでもない


 一人で旅をする身の上。こういった事態には慣れている。

 今更、驚くようなことではない。

 問題は、声がかかる距離までそれが接近していることに気づけなかったことだ。


 リリアムはすぐさま腰の太刀に手を伸ばした。

 彼女には座った状態から即座に斬りかかる技があるが、彼女の感知をすり抜けるような手練れにどこまで通用するかわからない。


 慎重に視線を動かし――その先に立っていたのが見知った顔とわかって、リリアムは太刀の柄から手を離した。


 それは武装した少女だった。

 馬のしっぽのように結った長い金髪。暗がりでもわかるほど、澄んだ空色の瞳。


 清潔そうな色合いの旅装束の上から胸甲鎧きょうこうよろいまとい、腕には籠手こて、足はすね当てで防御を固めていた。そのどれもが真新しかったが、腰の革帯に差さっているのは古めかしい太刀である。


 少女はどこか照れた表情を浮かべていた。

 語るまでもない――来訪者はローザリッタである。


「……久しぶりね。ずいぶん立派な旅装束じゃない。あの時は気づかなかったけど、あなた、いいところのお嬢様だったんだ?」


 ローザリッタの装備は旅人というよりは遍歴の騎士そのものだった。

 太刀にしろ鎧にしろ、用意するには相当な資金が必要だ。どれだけ中古品でも、庶民の親がぽんと買い与えられるほど安くはない。そこから導き出された解答。


 ローザリッタは申し訳なさそうに頭を垂れる。


「騙してすみません。あなたとは立場や身分を抜きにして、対等にお話ししたかったものですから……」

「そ。別に怒ったりしてないわ。……その様子じゃ、やり遂げたようね」

「リリアムのおかげです」

「斬ったの?」

「はい。と言っても、どうやったかはまるで覚えていないんですが……」


 ローザリッタの答えは曖昧なものだったが、リリアムは疑わなかった。

 無念無想というのは案外、そういうものかもしれない。

 念じず、想わず、無意識の内に事を成す。意識を取り戻した時には、それは既に過去のこと。結果だけが目の前に残る。確信が持てなくても仕方あるまい。


「あの、それで、ですね……」


 恥ずかし気に、もじもじと指を絡ませるローザリッタ。


「わたしもヴィオラも街の外に出るのは初めてで、その、これからどこを目指そうか迷っているんですが……」

「なに? どこに行くかも決めてなかったの?」

「はい。正直、実戦のことしか考えてませんでした」

「……剣術馬鹿って言われてもしょうがない気がしてきたわ」


 リリアムは呆れたように溜め息を吐いた。あまりにも無計画すぎる。


「そういうわけで……しばらく一緒に行きませんか? もちろん、お邪魔じゃなければですけど……」


 その提案に、リリアムはしばしし黙考する。


 彼女が一人で旅をしているのは、その理由があくまで彼女個人の憎悪に所以ゆえんするものだからだ。

 自分の事情に他人を巻き込みたくはなかったし、何より他人に関わってほしくない。


 だが、目的地も決めずに旅に出るような世間知らずのお嬢様を放っておくのもどうだろうか。


 彼女の腕前ならば野盗ごときに易々やすやすと遅れは取らないだろうが、どれほど腕に自信があろうと、旅ではあっさり野垂れ死ぬ可能性は充分ある。


 顔見知りが行き倒れるのは何とも寝覚めが悪い。

 それが自身の技の曇りにならないだろうか。何より――


「……まあ、いっか」


 あっさりとリリアムは結論を下した。自分でも意外に思うほど。


「どうせ、次の街に行くには街道を通らないといけないし。同じ道を歩くなら複数人いた方が安全だし。それに……また会えたら一緒に食事をするって約束だったしね」

「それじゃあ」


 ローザリッタの顔がぱっと明るくなり、リリアムは薄く微笑んだ。


「さっそく、一緒に夜食を食べましょ。ちょうど、一人じゃ食べきれないと思っていたところよ」


 ローザリッタは何気なしに、焚き火で温められている串を目視で数え――嘘だ、あなたなら余裕でしょうと言いたげな視線を向ける。


 リリアムは、少しむっとした表情を浮かべた。


「……いらないなら、全部私が食べるけど」

「い、いえいえ! ありがたくご相伴しょうばんに預からせていただきます! あ、ヴィオラも呼んできますね!」


 誤魔化すようにぱたぱたと手を振って、ローザリッタは近くに控えているであろうヴィオラを呼びに走っていく。


 剣術遣いらしからぬ弾んだ足取りは、彼女の気持ちの表れだろうか。


「……やれやれ。これから騒がしくなりそうね」


 吐息を一つ。

 リリアムは地図を丁寧に懐にしまいながら空を見上げる。


 夜空に散りばめられた無数の星々の煌めきが、少女たちの門出を祝うように瞬いていた。






/天命の魔剣、了。

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