第7話 辺境都市の喧騒

 喧騒けんそう漂う目抜き通りを、ローザリッタとヴィオラはひっそりと歩く。


 石畳の上を歩く二人は道着、あるいは侍女服の上から外套がいとうを羽織っている。

 寒いからではなく、正体を隠すためだ。いわゆるお忍びの格好。


 二人が目指しているのは鍛冶町かじまちだ。


 どの街にも鍛治町はあるものだが、行政都市シルネオの鍛冶町は、武名に優れたベルイマン伯爵のお膝元というだけあって特に栄えており、刀鍛冶やぎ師のみならず、金工師きんこうし鍔工師つばこうしに至るまで優秀な人材が揃っている。破損したローザリッタの太刀も、問題なく修繕できるだろう。


「今日もが多いこって。役人連中の努力の賜物たまものだな」


 途切れない人の波を眺めながら、ヴィオラが皮肉気に言った。

 昼下がりシルネオの街は、マルクスの威光をあやかりに来た『モリスト詣で』の旅人たちで祭りのような賑わいを見せている。


 都市とは名ばかりの田舎町を、一端いっぱしの観光名所に仕立て上げたのは政務代行を任されている行政区の役人たちだ。


 領主たるマルクスは自身の来歴を利用した経済戦略に難色を示していたが、


『人が行き交えば物が行き交う。物が行き交えば商いが盛んになり、商いが盛んになれば職を得られる人も増えます!』


 ――と政策担当者の説得に根負けして、了承してしまった。


 自身の栄光よりも領民の生活を選んだとも取れる。そのあたりの大らかさと善良さが、領民から慕われる理由かもしれない。


 ただし、マルクスは剣術を見世物にすることだけは頑なに許さなかった。


 技術の漏洩を懸念しているということもあるが――それ以上に、由緒ある武家において剣術は領民、ひいては国を守るためのものであって、それ以外の使い道を快く思わないからだ。


 なので、観光の目玉と呼べるものと言えば――


「おお……! これが〈王国最強〉の剣士、マルクス卿のお姿か!」

「なんと勇ましい!」

「いつか、俺もこんな像を建ててもらえるような、立派な剣士になってやるぞ!」


 ――大通りの広場に異様な迫力を伴って鎮座する、見上げるほど大きなマルクスの石像であった。


「相変わらずそっくりですね」


 少し離れたところ歩いていたローザリッタが、石に刻まれたマルクスを見て呟く。


 太刀を上段に構え、飛び上がった瞬間で静止するマルクス像は、作り物であることを忘れさせるほど真に迫った造形をしている。


 それは明らかに〈空渡り〉の体勢。

 秘するべき奥義を衆人環視の中で堂々と披露している人間が、よくもまあ『奥義を乱用するな』などと言えるものだ――と、ローザリッタはこの像を見るたびに胡乱うろんな表情になってしまう。


 とはいえ、実の娘であるローザリッタだからこそ、この石像がいかに良くできているかが理解できる。作成者は正真正銘、神域の天才だったに違いない。


 ……余談ではあるが。

 この像は未来の大剣豪たちから尊ばれる反面、あまりに迫力があるためか、街のお母さんたちから『言うこと聞かないと伯爵様が頭かち割りに来るよ』などと、駄々をこねる子供への脅し文句として引き合いに出されることがある。


「こんなものの作成を善しとしたあたり、お館様も意外と自己顕示欲が強いのかもしれないな」

「街が潤うのは良いことですけど、こんなものを有り難がる人の気がしれませんね」

「まあ、あたしらが身内だから言えることだけどさ。……お」


 鍛冶町に続く裏通りに入る直前、ヴィオラが何かに気づいたような声を出す。


「お嬢、せっかく街に降りたんだ。下着を新調していこうぜ。今朝、合ってないって言ってたろ?」


 ヴィオラが指さしたのは少し先に構えている衣料店だ。別の地方から仕入れたであろう、ここいらでは馴染みのない染物が店先に並べられている。


「また今度で」


 色鮮やかな生地が並べられた店先を見ようともしないローザリッタに、ヴィオラは諭すように言う。


「あのな、お嬢。仕立て屋だって呼べばすぐに来るわけじゃないし、下着一つ仕立てるのだってそれなりに時間がかかるんだ。その間、体型に合わないのを着け続けてもいいことなんてないぞ。既製品でもいいから、面倒臭がらずにきちんと体型に合ったものを身に付けるべきだ」

「ちょっときついくらいですし、どうせまたすぐ大きくなりますから。いま買ったところでもったいないだけです」

「……そんな台詞、あたしも言ってみてぇなあ」


 ヴィオラは呆れるような、それでいて妬むような声をあげる。


 彼女も今年で二十二。

 女としてほぼ成熟し終えた年齢だ。日々の生活の中での体型変化はあるだろうが、成長期のような劇的な変化はもう見込めない。


「そんなに羨ましいものですかね。わたしからすればただの重しでしかないのですが。これがなければ、もっと高く跳べるのに……」


 ローザリッタは小首を傾げながら、そっと胸元に手を添えた。厚ぼったい外套の上からでもはっきりわかるほどの圧倒的な膨らみが、そこにはある。


「持ってるやつは言うことが違うね」

「なんですか、それ。だいたいヴィオラは自分で言うほど小さくないでしょ。均衡のとれた綺麗な体つきだと、一人の女として思いますよ」

「そりゃあ、そこそことは思うけどさ。普通というか、中途半端なんだよなぁ。おまけにがあるせいで、相対的に小さく見えちまうし」


 ヴィオラは自身の頭上のあたりで手のひらを水平に揺らした。

 それが行き来する場所は、ローザリッタよりも頭一つほど高い。思わず、唇を尖らせる。


「わたしはそっちのほうが羨ましいです。もう少し背が高ければ、それに比例して腕も伸びますから、間合いの取り合いに苦労しなくて済みます。それに筋力だってもっとつきますし」

「何でも剣術基準かよ。背が小さいほうが可愛いじゃんか」

「可愛いだけで勝てれば苦労しませんよ」


 贅沢な悩みだ、とお互いに思う。

 そんな軽口を叩き合いながら歩く姿は、仲のいい姉妹に見えなくもない。


 歩きながら、ローザリッタは間深く被った頭巾ずきん隙間すきまから行き交う人々――特に、隊商を護衛してきた傭兵や流浪の剣客などの姿を観察する。


(……いいな)


 ローザリッタは、ぼんやりと思った。

 彼らはどこから来たのだろう。旅の道中でどんなことがあったのだろう。そして、どんな強敵たちと戦ってきたのだろう。


 武の道に生きるのは簡単なことではない。

 士官先が見つからず、何年も貧しい生活をしなければならないかもしれないし、実戦で四肢を欠損したり、志半ばで落命してしまうことだって珍しくない。


 それでもローザリッタは羨ましかった。

 更なる強さを求める彼女にとって、実戦は何よりも必要な経験だ。

 狭い世界に押し込められては、そんな機会に巡り合おうはずがない。彼らを見ていると、自分に与えられなかった玩具おもちゃを自慢げに見せつけられるようで、ひどく心が痛む。


 ――いや、まだだ。


 灯篭斬りさえ果たせば、自分も武者修行の旅を許される。

 この街の外へ行くことを許される。


 ――わたしは強くなる。誰よりも、何よりも。あらゆる理不尽を斬り伏せるだけの強さを手に入れなければならない。


 だから、こんなところで、つまづいてはいられるものか。

 ローザリッタは弱い心を振り切るように歩幅を広めた。


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