第30話 速さの秘訣

(……細い背中ですね)


 リリアムの背中を流しながら、ローザリッタは思った。


 白く、すべらかで、何より細い。

 皮下脂肪がほとんどなく、背骨や肋骨がうっすらと浮き出ているほどだ。


 こんな儚いからだでありながら、リリアムは戦場では無類の強さを誇った。


 討ち取った数でいえばローザリッタが一番だっただろう。しかし、彼女が立案した作戦や後詰がなければ、討伐そのものがもっと中途半端な結果に終わってしまったかもしれない。


 この華奢な体躯のどこにそんな強さが秘められているのだろうか。ローザリッタの興味は尽きなかった。


「……無様を見せたわね」


「え?」


 リリアムの背中に気を取られていたローザリッタは、一瞬、その言葉の意味がわからなかった。


「さっきのことよ」


 真摯な声音から察する。ローザリッタの目の前で嘔吐したことだろう。


「いえ、そんな、無様だなんて……」


「人を斬ったのは初めてじゃないわ。でも、血の匂い、肉を裂く感触には未だに慣れていない。だから、斬り合いをした後は必ずこうなるの。……きっと、生理的に無理なんでしょうね」


 類稀なる力量を備えながら、リリアムが剣を抜きたがらない理由。それは、人を殺すという嫌悪から来る拒絶感だったのだ。


「けれど、私が間違っているとは思わないわ。慣れちゃいけない。慣れるべきではないのよ、人を斬る感触なんて」


「……それでも、仇を討つんですね」


「ええ。それだけは、曲げられないわ」


 リリアムは頷く。

 人を斬ることに嫌悪感を覚える彼女が、それを堪えてまで仇を討とうとする相手。どれほどの因縁があるのか、ローザリッタには想像もつかなかった。


「……それはそれとして、初めての実戦はどうだった? 手応えはあったかしら?」


「はい。稽古では学ぶことができないものがたくさんありました。太刀があんなに抜けなくなるとは思いもしませんでしたよ」


 苦笑を浮かべながら、ローザリッタは三人目の野盗に刺突を放った時のことを語った。


「……ふうん、それは危なかったわね」


の重要性を再認しました。でも、太刀の中には樋のない種類もありますよね。あれはなぜでしょう?」


「樋があると、太刀が遅くなるのよ。太刀を振ったら、ひゅって音がするでしょ。あれは樋に風を受けている――つまり、空気抵抗が発生しているからなの。樋を彫れば重量としては軽くなるけど、体感的には空気抵抗のせいでかえって重く感じるわ。それを嫌う剣術遣いは樋を彫らないって言うわね」


「樋がないほうが速く振れると?」


「ええ。でも、刺突を使えばますます抜けなくなるから難しいところね」


 ローザリッタの脳裏に閃くものがあった。


「もしかして、?」


「だ、誰が空気抵抗がないくらい真っ平だっていうのよ!」


 リリアムが顔を真っ赤にして胸元をかばった。


「……抜刀術の話ですよ?」


「え、ああ……そうだったの……」


 早とちりを恥じたのか、リリアムの顔から険が取れる。


「リリアムの抜刀術は正直、かなりの速さです。それは樋のない太刀を使っているからではありませんか?」


「残念だけど、私の太刀にも樋はあるわよ。斬るだけの戦いってほぼほぼないし」


「むぅ。そうですか……」


 だとすれば、あの雲耀うんようの抜刀術はいかにして成し得ているのか。


 エリム古流ベルイマン派の太刀技の真髄は――表向きではあるが――斬撃の速さにある。


 四方三間の狭い道場で徹底的に培われる最少、最短の動作をって繰り出される太刀は最速を極める。ましてや、皆伝相当の腕前を持つローザリッタであれば、その剣速は神速の域にあった。


 リリアムの抜刀術はそれに匹敵――いや、野盗を切り捨てた時の抜き打ちをかんがみれば、上回るほどの速さだ。


 あくまで抜刀術は戦闘中の選択肢の一つに過ぎず、それだけで勝負が決まるわけではないものの、何だか負けているようで悔しい。


 道具の差ではないところを見ると、やはり技術的な部分だろうか。


 しかし、互いに十六歳。積み上げた修練の量にそこまで差があるとも考えにくい。


 だとすれば、先天的な才能――環境、適性、素質のいずれかの違いか。


 自分とリリアムの違いは何だろう。ローザリッタはしばし、黙考する。


 まず、環境。

 技能を伸ばす土台があるかどうか。

〈王国最強〉の剣士を父を筆頭に、優れた剣術家たちに教えを請える立場だったローザリッタよりも環境に恵まれた者はいないだろう。リリアムの生家は剣術道場とのことだったが、それでも彼女の優位は揺るぎない。


 次に、適性。

 精神的に向いているかどうか。

 環境や素質に恵まれようと、それを極める明確な意思なくして成長はしない。意思の強さで言えばローザリッタは、それこそ石をも断つ頑固さだ。母の仇を討つというリリアムにも負けないだろう。よって互角。


 最後に、素質。

 肉体的に向いているかどうか。

 その技能の習得における肉体的資源を有しているかどうかだが、二人の骨格を比較しても筋肉の総量にさほど限界値に差はないだろう。


 むしろ、ローザリッタの方が明確に肉の厚みがある。筋肉が速度を生み出すというのなら、彼女の剣速が勝っていなければ辻褄が合わない。


 ――いや、待て。一つだけ明確な違いがあった。


「……やっぱり、この差なのでしょうか」


 にゅるり、と脇の下から腕を滑り込ませ、ローザリッタはリリアムの胸に触れた。


「にょわあああ!?」


 リリアムが猫のような悲鳴を上げる。


 つかむというよりはぴたりと添えると言ったとほうが的確と思えるほど、その膨らみはあまりにもささやかだった。


 しばしば触れてきたが、二人の顕著な違いはやはり胸囲の差である。


 胸があるのとないのでは、やはり運動機能に差が出るのだろう。

 それは単純に重さによるものではなく、それがあるが問題なのだ。


 糸で吊った重しを想像するとわかりやすいかもしれない。

 糸で吊った重しを手に持って左右に素早く動かすと、手の動きよりも遅れて重しが動き出す。


 人体においても同じ力が働く。

 体が動けば末端である乳房は遅れて引っ張られる――つまり、筋肉の動きと連動していないということであり、その誤差によって生じる運動力量の消耗が速度差として表れているのではないか?


 そう仮定すれば、痩身のリリアムのほうが剣速があるのも頷ける。


 ああ、なんて――


「羨ましい……」


「ぶっ殺すわよ!?」


 思わず零れた本音に、リリアムの堪忍袋が音を立てて千切れ飛んだ。

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