第42話 貴族の結婚事情

 三人が〈ミノーズ〉を出発して一刻約2時間ほどが経った。

 太陽は徐々に南の空へ昇り、街道を往く三人の影は時間経過に伴って短くなっていく。朝か昼か判断に迷うような時刻になる頃には関所のすぐそばまで辿り着いているだろう。


「そろそろ朝餉あさげにしましょうか」


 到着までの目途が立ったところで、リリアムが提案する。

 一行は他の通行人の邪魔にならないよう街道上から離れた。手頃な位置に一休みするのにちょうどいい木陰があったので、そこに腰を下ろすと、三人とも鞄から旅籠の厨房で受け取った弁当を取り出す。


 竹の皮でできた包みのを開くと、つやつやに輝くたわら型の握り飯が三つ入っていた。握り飯は単純ではあるが、当座の携行食としては定番だ。悪く言えばありきたりだが、それでも三人は嬉しそうに頬を緩ませた。


 理由は、その形状にある。


「なるほど、ね。縁を結ぶ。角が立たない。丸く収まる。最後の最後まで気遣いに溢れた、いい旅籠だったわね」


 ぱくり、と小さな口を開けておむすびに齧りつきながらリリアムが言った。


「だな。従者として学ぶことが多かった。いい宿だ。お館様も気に入るわけだよな」


 竹筒の水筒の栓を抜きながら、ヴィオラが同意する。


「ええ、本当に。わたしが子を成して、武者修行に出るまで育てた暁には、あの宿に泊まりなさいと言って聞かせたいと思います」

「もし、そうなったら親子三代の縁になるわね」

「そうですね」


 ローザリッタは穏やかに応える。親から子へ、子から孫へ。もし、そんな縁故の連鎖が実現したら、あの老女将はどれほど喜んでくれるだろうか。


「じゃあ、お嬢はさっさと子供を作らないとな。最短でも十六年後だ。今からすぐ仕込めば、あの婆さんがぎりぎり存命中に間に合うんじゃないか。回れ右して〈シルネオ〉に帰るか?」


 ヴィオラの意地の悪い質問に、ローザリッタが頬を膨らませる。


「それとこれとは話が別です。そもそも、途中で引き返しては、せっかく武者修行を許してくださったお父様に顔向けできません」

「いや、今でも小躍りして喜ぶと思うんだけど……旅に出るのが許されたからって、跡継ぎ問題が消えてなくなったわけじゃないからな? 絶賛、お家の危機だからな? そこんとこ忘れてないだろうな?」

「ちゃんと覚えていますよ。別に結婚しないとか言ってないじゃないですか。ちゃんと来るべき時が来たら結婚します。ですが、今のわたしに必要なのは縁談の依頼状ではなく、他流への挑戦状なんですよ」


 豪語しながらおむすびを頬張る主人に、ヴィオラは複雑そうな表情を浮かべる。

 ローザリッタの主張は一貫して変わらない。家の問題と個人の問題。どちらかではなく、どちらも譲るつもりもない。二兎を追う者は二兎とも獲る――決して理想を諦めない鋼のような想念が、尋常では斬ることができないはずの石灯篭さえも両断して見せた。結果を出した以上はただ黙るしかないが、従者の心配の種を尽きない。


「……私が親子三代なんて口にしたからだけど、結婚だの縁談だの、珍しく浮ついた話になったわね。聞いている限り、結婚相手に困っている風でもなさそうだけど、地元に許嫁でもいるのかしら?」

「許嫁は聞いたことはありませんが、まあ、これでも伯爵家の跡取りなので」

「縁談だけなら、そこらへんに転がりまくって足の踏み場もないくらいある」


 ヴィオラの言に、リリアムは一瞬だけ目を丸くしたが、次の瞬間には納得がいったように頷いた。


「意外……でも何でもないか。ローザ、美人だしね」


 リリアムはローザリッタをしげしげと眺める。

 艶やかな金髪。白磁の肌。整った目鼻立ち。何より、苛烈な鍛錬を幾度繰り返しても決して損なわれることのない女性的な体つき。

 貴顕きけんの美と呼ばれる、何百年と続く血統が約束する美の品種改良のろい。当の本人が自身の容姿についてあまりにもいい加減すぎるために、原石以上でも以下でもないが――素体としては経国傾城の可能性を秘めている。


 同性視点の綺麗や可愛いといった評価は何も造形美だけが基準になるわけではないが、リリアムの目から見てもローザリッタは十分に美人の範疇だ。その美貌目当てに、結婚を希望する男は星の数ほどいるだろう。本当に縁談の書状が床いっぱいに転がっていても不思議ではない。


「見てくれは関係ないだろ」


 リリアムの素直な感想を、ヴィオラがバッサリと切って捨てた。


「重要なのは、ベルイマン伯爵の継嗣けいしって地位と肩書。国王陛下の信任厚き伯爵家に、自分の血を入れたがっているやつらは山ほどいる。まあ、お嬢が器量好しなのは事実だが、仮に超絶醜女しこめであっても、求婚の数はそこまで変わらんさ」


 貴族は王国運営のための大きな歯車であり、その婚姻は政治に直結する。貴族にとって結婚は他家との結束を強め、歯車同士が円滑に機能するための潤滑油なのだ。


 故に、貴族に自由恋愛など許されない。歯車としての役割を無視して、私的な感情で婚姻を結んでしまえば、政治的な軋轢あつれきとなって領民の生活にも支障をきたしかねないからだ。下級貴族であればそこまで影響力があるわけではないため目をつむることもあるが、一地方を統括してきた譜代ふだいの血を引くローザリッタはそうはいかない。


「あくまで家と家の繋がりが最優先か。平民にもお家騒動があるから、まったく理解できないわけじゃないけど、あまりにも結婚観が違いすぎるわね……」

「貴族ですから。そういうものです」


 さらり、とした表情で答えるローザリッタにリリアムは眉をひそめた。

 庶民的な感覚しか持ち合わせていない彼女からすれば、同い年でありながら血の宿命をすんなり受け入れているローザリッタはとても異質な存在に見えただろう。


「特にわたしは一人っ子ですからね。どうあっても、家の問題からは逃れられないのです。何せ、わたしが死んだ瞬間、直系の血筋が途絶えますから。その場合は親戚筋から養子を取って家の存続を図るのでしょうが、お父様の影響力を考えれば、それでも没落のそしりは免れないでしょうね」

「女の子しか生まれない場合も同様だよな。女当主は一代限りだし」

「……そうとわかっていながら、命を落とすかもしれない武者修行をするの?」


 聞けば聞くほど、改めてローザリッタが置かれている状況の危うさが浮き彫りになり、さすがのリリアムも懐疑的な思いを抱く。


「ローザが死ねば詰む。男の子を産めなくても詰む。そもそも懐妊できなかったら詰む。それだけの責任を負っていながら、それでも危険な旅を続けるの?」

「……自分の使命と立場は、十分理解しているつもりですよ」


 ローザリッタは寂し気な笑みを浮かべた。


「わたしという女は、家の存続のために守られて然るべきでしょう。実際、幼い頃のわたしは、その特権に胡坐あぐらをかいて、守ってもらうのが当たり前だと思っていましたから。ですが、ある時、気づいたのです。誰かに守られるということは、守ってくれる誰かを危険に晒し、犠牲を強いることになるのだと」


 横で聞いているヴィオラが複雑そうな顔をしていることに気づいたが、ローザリッタは言葉を続けた。


「前にも言いましたよね。あの土地に住む善良な人々が好きだって。もし、わたしに守られるだけの価値が本当にあったのだとしても、そのせいで好きな人たちに犠牲を強いることになるのだとしたら……わたしは守られたくなんかない。大好きな人たちに命を投げ出してほしくなんかないのです。わたしの身はわたしが守り、わたしが好きな人々もまた、わたしの手で守りたい。そのために――」

「――誰よりも強くなりたい」


 リリアムは最後の言葉を引き取った。


「はい。幸い、わたしには剣術の資質も環境も恵まれていました。あとはただひたすらに、それを伸ばすだけです」


 ここまでのローザリッタの言葉には少しだけ情報が欠けていた。強さに拘泥こうでいするきっかけとなった発端が説明されていないのだ。リリアムが友人となった今でも、いや、友人となったからこそ――その原罪を口にするには躊躇ためらいがあった。


(……そう、全てはわたしが自分でいた種だ)


 もし、幼い自分が怠惰たいだおぼれなかったら、母を失うことはなかった。母だってまだ若かったのだから、存命していたのなら弟が生まれていたかもしれない。そうすれば伯爵家だってもっと盤石だったはずだ。


 けれど――自分の怠惰が、全てを台無しにした。


 残された自分は、伯爵家のために全てをなげうつ責任がある。それが真っ当な贖罪しょくざいだ。だが、それ以上に己が無力であることが許せなかった。家のために人生を捧げたとしても、自分が怠惰のままではあの時と同じように大切な人に犠牲を強いてしまうかもしれない。


 ――あんな想いは、二度と御免だ。


「自分の信念と背負わされた宿命、どちらも捨てることはできない、か。あなたが歩くのは茨の道よ。覚悟はできているのね?」


 これから歩む道の険しさを思えばこそ、リリアムは努めて厳しい表情でローザリッタに尋ねた。


「重々承知です」


 その鋭い白刃のような視線を、ローザリッタは正面から受け止めた。決して揺らがぬ決意が空色の瞳に宿っている。


「まあ、一応、ヴィオラもついてきていますし、今はリリアムという心強い友人だっていてくれるのですから、きっと大丈夫ですよ」

「一応ってなんだ、一応って」

「照れ隠しです。ちゃんと頼りにしてますよ」


 半眼で抗議するヴィオラに、くすくすと笑うローザリッタ。本当にわかっているのかしらね、と言わんばかりに肩をすくめるリリアム。


 朗らかな遣り取りをする三人の間を、一陣の春風が吹き抜けた。

 遠くの馬のいななきとともに。

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