第43話 行商人

 馬のいななきは来た道から聞こえた。

 三人の後方、約二町200m。がたごとと車輪を響かせながら一台の馬車が近づいて来るのが見える。


「……行商人かしら」


 残りのおむすびを頬張りながら、リリアムが言った。

 遠目に映る馬車は一頭立ての屋根付きの四輪荷馬車――いわゆる、ほろ馬車と呼ばれる種類だ。


 荷馬車そのものは、農作物を運搬するためにそのあたりの農村でもよく見かけるので珍しくとも何ともないが、幌馬車は少しばかり使用目的が異なる。荷台に設けられた幌布ほろぬの天蓋てんがいは雨風を凌ぐためのものであり、荷物を積載すると同時に簡易的な住居としての役割を果たす。つまり、の馬車だ。それを考えれば、おのずと持ち主の生業なりわいを絞ることができる。


「だろうな。護衛もいるようだし」


 リリアムの言葉に、ヴィオラが追従した。

 事実、馬車の周りには三人の人影がつかず離れずの位置で随伴しており、その全員が硬革鎧こうかくよろいまとって短槍や太刀で武装していた。羽織っている外套も重そうに地面に向かって垂れており、あまり風になびかない。硬糸こうしを織り込んで防刃性を高めた布地の特徴だ。防寒具一つとっても徹底的な実戦志向が伺える。


「ずいぶんと物々しい装束しょうぞくですね」

「旅の武芸者が路銀稼ぎに護衛をすることもあるが、ありゃ生粋の傭兵ようへいだな」


 国同士の戦乱が絶えない当世では、傭兵という職業は珍しくない。正規兵だけでは不足する戦力を手っ取り早く補うために雇い兵を用いるのは戦争国ではよくあることであり、一定の需要がある以上、成り手は常に存在する。


 また、戦争に参加する以外にも彼らの働き口はあった。

 旅籠の老女将が語ったように、人間が作り出した法と秩序が働かない街の外は命の保証がない危険地帯だ。それでも街の外へ出なければならない時、自衛の力を持たない者たちが護衛として傭兵を雇う。


 無論、その契約金は決して安いものではないが、かつてリリアムが語ったように『買える安全は買え』というのが旅の鉄則であり、辺境を旅する行商人の護衛は戦争がない時期の傭兵たちにとっても貴重な収入源となっている。


 幌馬車、そして、傭兵の同行という二つの観点から、あの馬車は行商人と見て間違いないだろう。


 徐々に車輪の音が大きくなる。馬の常足なみあしは人より速いとはいえ、重たい積み荷を牽引けんいんしている状態では人の足とさほど変わらない。それでも、座り込んで食事をしている状態では、あれよあれよという間に彼我の差が縮まっていく。


「……あの人、どこかで見たことあるわね」


 御者の顔がはっきり見える距離まで近づいてくると、リリアムが首を傾げる。

 それに答えるように、三人の横を通り過ぎようとしていたはずの馬車が止まった。車輪が土を噛み、その反動で、ぎしりと荷台が揺れる。


「おや、そこにいるのは、リリアムさんじゃあございませんか」


 御者台に座った旅装束の男が弾んだ声でリリアムに話しかけた。

 若い面貌めんぼうをしており、三十路みそじと呼ぶには二つ、三つは届かない。青年と呼んで何ら差し支えないだろう。せこけた頬に色白の肌、白髪しらがの混じった黒髪は、いかにも不健康そうな印象を受けるが、不思議と弱々しさは感じられなかった。


「あっしですよ、タロスですよ。奇縁きえんですなぁ」


 タロスと名乗った男は、そう言って笑った。糸のように細くなった目元を見て、どことなく瘦せ狐のような人だとローザリッタは思った。


「やっぱり、タロスさんじゃない! 久しぶりね!」


 リリアムは驚いたように目を見開き、そして、笑顔を浮かべて返す。その口ぶりから察するに、どうやら知己のようだ。


「……お知合いですか?」


 友人の豹変した態度にびっくりしながらも、ローザリッタは小声で尋ねた。


「ええ。前に話したでしょ。一時期、行商に同行していたって」

「ああ……」


 ローザリッタはリリアムと初めて出会った時のことを思い出していた。十人の野盗に囲まれ、行商の護衛と背中合わせに戦って切り抜けたという逸話。〈シルネオ〉の食事処で聞いた彼女の武勇伝の一つだ。


「あの時は世話になったわねぇ。馬車に乗せてもらえたおかげで、道中、ずいぶん楽をさせてもらったわ」

「いえいえ。こちらこそ、リリアムさんのような剣の達人に護衛をしてもらえて安心でした。なにせ独り行商ですからね。隊商たいしょうと違って、野盗に集団で狙われたらひとたまりもありません。あっしも荒事はそんなに得意じゃありませんし……」


 金と金目の物。そのどちらも持っている行商人は、野盗たちの格好の獲物である。

 その毒牙から命と積み荷を守るために、行商人たちが相互扶助的に集結して、何百人という隊列を組んで活動するのが隊商だ。


 隊商は、その人海戦術によって野盗たちもおいそれと手は出せない存在だが、それ以外の行商人にそこまでの自衛力はない。彼らは常に追い剥ぎから狙われる立場にあり、よほど腕に自信がある場合を除き、専門の護衛を雇って旅をするのが一般的である。


「そういえば、オップさんはどうしたの? 見当たらないけど」


 きょろきょろと周囲を見渡すリリアムに、タロスの表情が曇る。


「ああ、それが……オップさんとの契約は終了したんですよ」

「……そうなんだ。惜しいわね。優秀な人だったんだけど」


 言葉の端に滲む、心の底から残念そうな響き。そのオップという人物は、リリアムと背中を合わせて野盗と戦ったという護衛のことだろうか。


「ええ。彼には何度も命を救っていただきました。ですが、向こうにも仕事を選ぶ権利はありますからね。無理に引き留めることもできません」


 二人の会話に耳をそばだてながら、ローザリッタの胸中にも僅かな無念が生じる。あのリリアムが手放しで褒めるような傭兵なら、こちらとしても是非とも手合わせしたかったのだが。


「じゃあ、この人たちが新しい護衛なのね。三人も雇うなんて羽振りがいいじゃない。私がいない間に、ずいぶんと儲けたようね」


 リリアムは馬車の周囲で待機している傭兵三人を一瞥いちべつした。いざ近くで見てみると、いかにも荒くれ者といった風貌をしている。


「いやあ、そうであったらいいんですがね。この方々は駆け出しの傭兵さんたちで、すごく安く雇われてくれたんですよ」

「ああ、なるほど」


 得心が言ったようにリリアムが頷いた。

 傭兵は正規兵とは違って金銭のみの繋がりしか持たない。忠誠心は期待できず、旗色が悪くなったら戦場から逃げ出したり、敵国に買収されて裏切ったりする可能性がある。また、彼らの多くが異邦人であり、軍律によって完全に縛ることが困難で、国によっては禁止されている敵地で略奪などの狼藉を働くこともしばしばあった。そういった無法な行いは終戦後の外交において禍根を残してしまう。


 金さえ詰めば早急に戦力になるのが傭兵の利点ではあるが、このような欠点も備えているため、国が誰彼だれかれ構わず傭兵を雇用することはまずありえない。


 それが、たとえ国の一大事であったとしても――否、一大事だからこそ、終戦までを見越して雇うべき人材かどうか厳選して雇用する。なりふり構わず数だけを揃えようとする国はそもそも敗色が濃いため、傭兵側としても好んで雇われたくはないだろう。


 それ故に、傭兵たちは国の信頼を勝ち取ることを至上命題としている。腕っ節一本で成り上がろうとしても、まず雇ってもらわなければ始まらないからだ。


 そのため、駆け出しの傭兵たちは赤字覚悟の値段で顧客に自分を売り込み、ひたすら依頼をこなしては、絶対に裏切らない、必ず依頼を果たす――という業界的な信用作りに心血を注ぐ。タロスが雇った傭兵三人もまた、そういった実績を稼いでいる最中なのだろう。


 特に、商人たちは独自の情報網を持っているため情報の拡散が速い。護衛に成功した暁には知名度は急上昇するし、雇い主に気に入ってもらえればそのまま安定した収入源に繋がる。


 もっとも、逆に護衛に失敗してしまえば、その不名誉も迅速に広がってしまうので、今後の仕事にありつけない危険性はあるが、もとより覚悟の上だろう。それくらいの覚悟がなければ、そもそも傭兵という命がけの仕事に向いていない。


「……ところでリリアムさん、そちらの方々は?」


 タロスが興味深そうにローザリッタたちに目を向けた。


よ。ちょっと縁があってね、一緒に旅をしているの」


 その言葉に、ちくり、とローザリッタの胸が痛んだ。


「……ローザリッタです。こちらはヴィオラ」

「ども」


 おずおず、という感じでローザリッタが頭を下げ、ヴィオラは雑に手を上げる。


「これはどうも、ご丁寧に。ははあ、あのリリアムさんが連れを……ねぇ」


 タロスは肩をゆすりながら、くつくつと笑った。


「何よ、その含みのある笑いは」


 リリアムがめつけるように半眼になると、ますます可笑おかしそうにタロスの口元の笑みが深まる。


「いえね? あっしと一緒にいた時のリリアムさんは、なんというかこう、抜き身の太刀と申しますか。寄らば斬るといった鬼気迫る感じで、決して他人と馴れ合うような人ではなかったと記憶していますが……どうやら、少し離れていた間にずいぶん丸くなられたようですな」

「え、そうだったんですか?」


 ローザリッタは軽く驚いた。

 まだ一月余りの付き合いではあるものの、彼女にとってリリアムは、冷静沈着で、克己心こっきしんが強く、仇討ちに燃えてはいるものの――最終的には、困っている人を放っておけない優しい性格の少女だと思っていたからだ。


「ええ。それはもう。あっしに同行したのも、お互いの利害が一致していたからというだけですし、それ以外で不用意に近づこうものなら斬られてしまうかと思いました。食事をご馳走する、と言っても決してはしをつけようとしませんでしたし」


 リリアムとタロスが出会ったのは、野盗が頻繁に出没する危険地帯だったいう。一人旅のリリアムと、護衛が一人のみのタロス。いざと言うとき、戦える人間が一人でも多いほうが双方の利益となると考えて同行するに至ったのだという。


 まあ、そんなことより――


「同行の経緯は理解できますが、あのリリアムが食事を断るなんて……」

「確かに、出会ったばかりの人間を信用しろというのも無理な話ですが、そんなに胡散うさん臭い顔をしているのかと落ち込んだものですよ」

「あ、あの時は旅立ったばっかりでちょっと気が立っていたのよっ。もういいじゃない、昔の話は!」


 恥ずかしそうに頬を赤らめながら、リリアムが話を切った。これ以上、昔話をされては旅の先達としての沽券に関わるのだろう。彼女の必死さが伝わってくる。それがまた可笑しいのか、ますますタロスの笑みが深まる。


「へへ、すみません。ところで、リリアムさんたちも関所に向かうところですかい?」

「街道を歩いているんだから、向かうところはそこしかないでしょ」


 リリアムは、ふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「こうして再会できたのも何かの縁です。関所はもう目と鼻の先ですが、乗っていってくださいな。もちろん、そちらのお二人もご一緒に」

「え、いいの?」


 タロスの提案にリリアムの表情がころりと変わる。


「あとで運賃を請求されても払わないわよ」

「おっと、先に釘を刺されてしまいましたか。それじゃあ、お代はあっしと離れていた間の武勇伝で結構ですよ」

「実質無料ただね。好きな言葉だわ」


 リリアムは、にやりと笑って御者台へ飛び乗った。


「それじゃ、ご相伴しょうばんに預かるとするかね。……よっと」


 ヴィオラも続く。こちらはほろのついた荷台へ。侍女服の裾を持ち上げ、軽やかに乗り込むと、後ろで待つローザリッタに向かって手を差し出す。


「…………」

「……お嬢?」


 ローザリッタは呼びかけに息を飲み、慌ててヴィオラの手を取った。


「どうかしたか?」

「い、いえ。なんでも」


 えへへ、と照れたように愛想笑いを浮かべるローザリッタ。

 だが、彼女の胸の内には名状しがたいわだかまりつつあった。


(……友達って言ってほしかったな)


 ちらり、と御者台に視線を向ける。

 楽し気に言葉を交わすリリアムとタロスを見て、ローザリッタは自分の中の感情の正体を確信した。


 ――ああ、わたしは嫉妬しっとしているんだ。

 自分が知らないリリアムを知っている、この人に。

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