第23話 斬る覚悟

 老人の言葉通り、雨は日暮れ前には止んでいた。

 散り散りになった雲の隙間から、うっすらとした茜色が見える。


「ひゃっはー! 燃えろー!」


 村の広場で火を焚いていたヴィオラが無邪気にはしゃいでいた。

 まきわら、布――燃えそうなものを一切合財いっさいがっさい投げ入れられ、炎の勢いに比例するように黒い煙がもくもくと立ち昇る。


 黒煙は一つではなかった。村のあちこちから同様の煙が発生している。一見すると火事に見えるが――


「こうやって、あちこちで煙をけば、野盗たちは、自分たちとは別の勢力がこの村を焼き討ちしたと思うでしょう。連中、がたなで駆けつけるはずよ」


「注意散漫になったところを迎撃するということですね」


 黒煙を眺めるリリアムの隣で、ローザリッタが入念に古銭刀の目釘を改めていた。


 結局、老人は――この村の長は、リリアムの提案を呑んだ。


 三人が野盗を退治できれば良し、失敗しても彼女たちに責任を全て押し付ければ自分たちは必要以上に奪われずに済む。協力して抵抗するという意思は微塵も感じられなかったが、責める気にはなれなかった。


「でも、意外でした」


「……なにが?」


「リリアムなら止めると思いましたから」


 目的のためにしか剣術を遣わない――そう公言し、ローザリッタとの手合わせさえ受けなかったリリアムである。まさか、自ら厄介事に首を突っ込むとは思いもしなかった。


「普段なら、目をつむって立ち去るわ。騒動にいちいち関わっていたら、命がいくつあっても足りないもの。……ただ、今回は気になることがあってね」


「気になること?」


「村長が野盗の中に、相当腕の立つ剣術遣いがいるって言っていたでしょ。ひょっとしたら、そいつが私の探している男かもしれない」


 リリアムの探し人――彼女の母の仇。


 強さを求め続ける剣術遣い。

 ローザリッタと似て非なる剣士。その強さを何かに活かすことなく、ひたすらに次の高みを、次の階梯を目指す者。


「現任訓練の話、覚えてる?」


「稽古は実戦のために、実戦は稽古のためにある……という話ですね」


「そ。より強くなるためには実戦が必要不可欠。だけど、人間の集まりには必ず法や道徳が敷かれている。命の遣り取りなんて手軽にできるものじゃないのよ。戦でもない限りね。あなただって、いくら強くなるためとはいえ、誰彼構わず斬りかかるような真似はしないでしょ?」


「もちろんです」


 むしろ、そういった理不尽から人々を守りたいのがローザリッタの在り方だ。


 戦いそのものは否定しない。名誉のため、大事なものを守るため、人間は戦う。非戦主義が尊ばれるほど、この世界は人間には優しくない。


「そう言い切れるのは、あなたにとって強くなることが目的を達成するための手段に過ぎないからよ。誰かを守るために強くなりたいあなたは、目的の性質上、法や道徳を犯せない。けれど、単に強くなることが目的だったら、法や道徳なんて捨ててしまったほうが合理的でしょ。一回でも多く斬り合わなくちゃならないんだから。だから、が悪に堕ちていたとしても否定できないわけ」


 言い換えれば、リリアムの追う仇は必ずしも悪とは限らないということか。


 仇敵という概念は個人的なもので、必ずしも反社会的な存在と等価というわけではない。リリアムの実家が剣術道場ということも鑑みれば、跡継ぎの問題などの遺恨が元になっている可能性だってある。


「だから、ここに残ったのは個人の都合のほうが大きくて、あなたのためとは言い切れないのが本音なの。ごめんなさいね」


「……いえ。実戦を経験している方が一人でも多く側にいてくれるのは、初陣の身としてはとても心強いです」


 それはローザリッタの本心だった。


 野犬の群れに遭遇した時の対処も、今回の奇策も、リリアムがいなければ成し得なかった。経験の差というものを嫌というほど痛感する。


「……でも」


「でも?」


「いつか、リリアムの事情も話してくれると嬉しいです」


 勇気を振り絞るように、ローザリッタは言った。


 まだ二人の関係性は浅い。出会って数日。過ごした時間はもっと短い。リリアムが事情を語らないのと同様に、ローザリッタにも打ち明けられないものもある。


 けれど、もっと時間が経って。お互いのことを知って。友達と呼べるような関係性になることができたのなら――話してみたい、話してくれたら嬉しいとローザリッタは思うのだ。


「……そうね。いつか、話せる時が来たらいいわね」


 リリアムは優し気な微笑を浮かべた。

 もしかしたら、彼女も同じことを考えているのかもしれない。


「それよりも。あなたが待ちに待った実戦よ。覚悟はできているでしょうね?」


「はい」


 ローザリッタも神妙な顔つきで頷いた。

 太刀の寝刃ねたばも合わせてあるし、目釘の具合も確かめている。具足の留め具もあらためた。物理面の準備は万端だ。


 あとは――


「……もう、後戻りはできないわよ」


 リリアムの静かな言葉は、ローザリッタの唯一の不備――心の所在を突いていた。


 ローザリッタは今日、人を斬る。人を殺す。誰かの命を奪う。


 真剣を用いた戦闘において殺さないことは殺すことよりも難しいし、そうしなければ村を守れないのは事実だ。相手の命を気遣うような余裕は、これが初陣となるローザリッタにはないだろう。


 だが、どれだけ免罪符があろうと、正しい行いであろうと、人が人を殺めることはとても罪深いことだ。


 それでも――


 その手を血でけがす覚悟はあるのか?


 ――と、強い光を湛えた真紅の瞳は問うていた。


「覚悟はできています」


 ローザリッタは真摯に答える。

 武者修行に出た時点から、いや、もっと前。剣をると決めた日から、自分の手を血で穢すと決めていた。


 血で穢れることがなんだというのか。何もせずに。何もできずに。大切なものを失った時の絶望のほうが、もっと――。


「それは結構――ね!」


 刹那、リリアムの右手がかすんだ。


 それが、と認識できる人間など王国内にどれだけいるだろう。


 気配も素振りもなく、リリアムは太刀を抜いた。

 それ自体は剣術遣いならできて当然の所作。されど、それが稲妻を思わせる速度ともなれば話は別だ。


 ――抜刀術。


 文字通り、太刀を鞘から抜く技法である。


 互いに納刀した状態で、相手よりも先に攻撃をしかけるため、あるいは、既に抜刀している相手の優勢を崩すために編み出された攻性防御術。


 常人であれば斬りつけられるまで、下手をすれば死してなお彼女が太刀を抜いたことに気づかない。それほどまでにリリアムの抜刀速度は異常だった。


 ――だが。

 驚くべきことに、さやりは重なって聞こえた。


「……やるじゃない」


 リリアムが満足そうな笑みを浮かべる。


 ローザリッタの首元に切っ先。

 そして――リリアムの首元にも切っ先。

 互いの柔肌に触れるか触れないかの距離で、二つの白刃が凍ったように動きを止めている。


 リリアムが動いた瞬間、ローザリッタもまた動いていた。

 雲耀うんようの抜刀に対し、神速の抜刀で合わせたのだ。


「……いきなり何をするんです」


 抜刀の態勢のままローザリッタは尋ねる。動揺した様子はなかった。


「この程度に反応できないようなら、実戦はまだ早いってこと。でも、安心したわ。ちゃんと動けるようね」


「寸止めできなかったらどうするんですか」


?」


「それは、まあ」


 互いに不敵な笑みを交わすと、どちらからともなく太刀を鞘に納めた。


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