第9話 リリアム

 大通りの食事処は、遅めの昼餉ひるげを求める旅人たちで賑わっていた。


 その賑わいの中に、わずかにどよめきの声が混じっているのは、遠目からでもはっきりと確認できるほどに高々と積み上げられた皿のせいだろうか。


「よほどお腹が空いていたんですね……」


 どんどん重ねられる皿の山を見ながら、ローザリッタが感心したように呟く。

 武に生きる者は健啖家けんたんかであるべし――とはいえ、白銀の少女が胃に納めたのは、ゆうに五人前を超えている。


 そのほっそりとした体のどこに収まっているのか、ローザリッタは不思議でならなかった。


「道程の計算違いでね、糧食が途中で尽きちゃったのよ。ここ数日、水くらいしか口にしてなくて……あ、これ美味しい。とても好みだわ」


 少女が頬張っているのは芋の串揚げである。

 潰した芋に挽肉と牛酪ぎゅうらくを練り込んで油で揚げたものに、炙った乾酪かんらくをかけて食べるのが一般的だ。


 串一本でなかなかの満足感を得られる品だが、少女の手は止まらない。


「牛酪の香りが最高ね。表面もかりっとしてて、芋の甘さと乾酪の塩っ気がちょうどいい塩梅だわ」

「お目が高い。そいつは、この店の名物なんだ」


 ローザリッタの隣で、ヴィオラが嬉しそうに口を開いた。


 少女に食事をご馳走するにあたって、この店を推したのは彼女だ。

 ローザリッタも小さい頃から何度もお忍びで街に降りてはいるものの、庶民と同じ感覚で食べ歩きなどは許されなかった。こと、こういった知識に関してはヴィオラに一日の長がある。


「なんでもお館様――じゃなくて、領主様が兵役に就かれていたころ、野営中に松の枝を削って串代わりに芋を焼いたとかで、そこから着想を得たらしい」

「ふうん。一応、来歴があるわけね」


 どことなく皮肉めいた口調。

 自分がいま食べているものが元来の名産ではなく、ただの観光資源だと見透かている。だとすれば、この少女は領主の威光をあやかりに来たわけではないのだろう。


 考えてみればそうだ。彼女はこれほど空腹でありながら、腹ごしらえをするよりも先に鍛冶町を訪れた。観光や参拝が目的ならば、その順序はおかしい。


 ――人探し。確か、少女はそう言っていた。


(誰を探しているんだろう?)


 自分とそう歳の変わらない少女が、危険な旅を決意するほどの人物。

 その華奢な体に秘められた実力と合わせて、ローザリッタはますます彼女のことが気になってしまう。


「ごちそうさま」


 少女は都合六人前を平らげると、静かに箸を置いた。


「満腹になると眠くなるから、腹八分目にしておくわ」

「これで!?」

「……そりゃあ糧食も足りなくなるわな。計算違いなのは道程じゃなくて、あんたの食い意地だ」


 驚きに目を丸くするローザリッタと、呆れたように半眼になるヴィオラ。


「そ、そんなに食べたかしら……」


 大食いの女と思われるのはさすがに心外なのか、少女は頬を赤らめた。

 だが、積まれた皿の数が現実を如実に物語っている。


「ところで、自己紹介がまだでしたね。わたしはローザリッタ。こっちはヴィオラです」


 大量の皿と引き換えに運ばれてきた食後の花草茶を受け取って、ローザリッタはようやく本題に取り掛かった。


 本題と言っても、旅の話を聞きたいという曖昧なものだったが。


「リリアムよ」

「――リリアムさん」


 ローザリッタは口の中で響きを転がした。


「白い百合の花を差す古語ですね。その白銀しろがね御髪おぐしにぴったりな、善いお名前です」

「さんはいらないわ。似たような年齢でしょ。私もローザと呼ぶわ」

「ローザ……」

「不都合?」

「い、いえ! それでお願いします!」


 ローザリッタは頬を赤らめながら言った。


 本来、彼女は敬われる身分にある。周囲の人間からはお嬢様と仰がれ――まあ、隣にお嬢と馴れ馴れしく呼ぶ従者もいるのだが――実父以外から愛称で呼ばれる機会は少ない。とても新鮮な気持ちだった。


「それにしても、変わっているわね。旅の参考にするにしても、この街にはたくさんの旅人が滞在しているんだから、話し相手は別に私じゃなくてもいいでしょうに。わざわざ食事を奢ってまで、私を選ぶ必要性がある?」

「歳が近いから、ですかね」

「そんな理由?」

「わたしにとっては、大きな理由です」


 ローザリッタの周囲には剣術遣いも、同年代の女性もいる。

 だが、どちらも備えている人間はいなかった。

 彼女と比肩し得るだけの剣士はずっと年配な上に、異性がほとんどで、同年代の女性は彼女ほど剣術に熱中してはいない。


 ヴィオラは年齢的にはまだ近いが、それでも同年代というにはまだ開きがある。友というより姉のようなものだ。


「そ。まあ確かに、あなたと近い年齢で剣術やっている女は珍しいでしょうけどね」

「……わかりますか」

「見ればわかるわよ。並々ならぬ鍛錬を積んでいるようね」

「それはあなたも。その身のこなし、一朝一夕で身につくものではありません」

「護身術程度よ」

「まさか」


 ローザリッタは即座に否定した。

 彼女もリリアムも一見すればただの年頃の少女だ。だが、双方ともに外見通りではないと看破している。相対した者の実力を見抜く眼力。それは自身に確固たる力量がなければ成しえない。ローザリッタも言うに及ばず、リリアムも相当な遣い手だ。


「街の外は危険だと聞きます。護身術程度の技量で渡り歩けるわけがありません」


 そもそも、その程度で回避できる危険ならば、マルクスがローザリッタの門出を渋るはずがない。


「まあ、危険なのは本当ね。野盗にも何度か出くわしたから」

「おお!」


 ローザリッタの双眸が日の出のように輝いた。


「やはり、わたしの見立ては正しかったようですね。嗜む程度の腕前で野盗の群れをどうにかできるわけもありません! それでそれで!? どのようにして切り抜けたのですか!?」

「群れなんて言っていないけど……まあ、十人くらいはいたかしら。その時は行商に同行させてもらっていたから、護衛の傭兵と一緒に戦ったわね。囲まれた時は、背後を取られないように背中を合わせて――」


 それからしばし、ローザリッタはリリアムが語る冒険譚に耳を傾けた。


 街の外の危険については実父を含め、周囲の人間からさんざん言い含められてきたことではあるが、自分より年齢的に離れていることもあってか、どことなく説教臭く感じていた。しかし、リリアムの話は内容は同じでも、同年代だからこその現実味があって受け入れやすい。


 熱心に続きを請うローザリッタに、リリアムは呆れたように溜め息を吐いた。


「……そんなに面白い? 本当に変わっているわね。こんな血生臭い話なんて、誰も好んで聞きたくないでしょうに」

「こいつは剣術馬鹿だからな。早く斬り合いを経験したくてしょうがないんだよ」

「……斬り合いを? どうして?」


 リリアムは眉をひそめる。


「もっと剣の腕を磨きたいからです」

「見たところ、あなたは相当な強さだけど。これ以上先を求めるの?」

「強さに充分はありませんから」


 ローザリッタは周囲を見回した。

 昼餉ひるげ時を過ぎてなお注文が飛び交う店内で、従業員たちがあくせく働いている。忙しそうにしているが、みんな精気に満ちた表情をしていた。


 店の中だけではない。窓の向こうの街路では、露天商と客の熾烈な値引き交渉が勃発しており、ちょっとした賑わいを見せている。


 往来を行き交う大人の間を縫うように遊び盛りの子供が駆け抜け、その近くで母親たちが世間話に花を咲かせていた。


 ちょっとした都市部なら、当たり前のようにありふれた光景。


 それをローザリッタは愛おしそうに目を細めた。


「わたしはこの土地の善良な人々が好きです。わたしの手で守れるのなら守りたいと思います。けれど、もしも戦いになった時、自分より敵のほうが強かったら守り切れません。だから、わたしは強くなりたい。誰よりも。何よりも。わたしが守りたいと願う全ての人々を守れるだけの強さが欲しい。そのための努力を怠りたくないのです。たとえそれが斬り合いであっても」

「……よかった」


 リリアムの唇から漏れた小さな呟きに、ローザリッタは首を傾げる。


「あなたは剣術に取り憑かれたわけじゃないのね」


 その言葉に、二人は目を丸くした。


「リリアム。お前、何を聞いてたんだ?」

「自分で言うのも難なんですが、実際、剣術馬鹿って言われてもおかしくないとは思いますよ?」

「二人とも思い違いをしていると思うわ。剣術馬鹿って言うけれど、あなたの本質はあくまで守ることであって、剣術はそのための手段に過ぎない。もちろん、数多ある手段の中で剣術を選んでいるんだから、剣術そのものも好きなんでしょう」


 でもね、とリリアムは言葉を続ける。


「世の中にはいるのよ。剣の深みから抜け出せなくなった人が。戦うために剣を振るうのではなく、剣を振るうために戦うような目的と手段を違えた人間が。それこそ本当の剣術馬鹿よ。もし、あなたがそっち側だったのなら、話すことはなにもなかったでしょうね」


 リリアムの言葉には若干の苛立ちをはらんでいた。


「私はね、剣術が嫌いなのよ。たまたま家が剣術道場だったから、私の意志に関係なく仕込まれただけ。自分の身を守ったり、誰かを守るのには都合がいいから受け入れてはいるわ。でも、剣に全て捧げるような人間は反吐へどが出る」

「……それが探している人ですか?」


 恐る恐るといった感じで、ローザリッタが切り込んだ。


「――母の仇よ」


 ぞわり、とローザリッタの背筋が震えた。


 リリアムから漂う気配は馴染みのないものだ。

 まして、領主の娘として、周囲の人間から大切にされてきたローザリッタには、まず向けられたことのないものである。

 ――殺気というものは。


「そいつを探し出して、仇を討つ。そのために私は旅をしているの。あなたみたいなご立派な大義はないのよ、私には。……軽蔑したかしら?」


 リリアムは自嘲するように唇を歪めると、ローザリッタは視線を下げた。


「……いいえ。気持ちはわかります」


 湯飲みの水面にローザリッタの顔が映る。

 ただし、それはではなかった。


「仇とは違うかもしれませんが、わたしにも絶対に許せない人間が一人だけいます。わたしが強くなりたいのは……に負けたくないからかもしれません」

「……そ」


 二人ともそれ以上は語らない。

 深い事情に踏み込むにはまだ距離がある。お互いに。



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