第8話 放浪の少女剣士

 小一時間ほどかけて、二人は都市郊外の鍛治町に到着した。


 シルネオの鍛治町は街路に沿って水平に建てられた長屋仕立ながやじたてで、区切られた部屋の一つ一つに、それぞれ独立した鍛冶工房が店を構えている。


 あちこちから絶え間なく響くつちや、灰色の煙を吐き出す煙突が等間隔に連なっている光景は、先程の目抜き通りとはまた一味違う情緒があった。


 通気のために開放されている戸口からちらりと中をうかがうと、半裸の職人たちが規則的な拍子で相槌を打っている姿が目に入った。


 真っ赤に焼けた鉄を叩く度、飛び散った火花が薄暗い工房をぱっと照らす様子はとても幻想的である。


(あれは蹄鉄ていてつでしょうか。こっちはくわ……いろいろありますね)


 鍛冶町といっても、店を開いているのはなにも刀鍛冶ばかりではない。

 包丁やはさみなやかまなど、生活に関わる専門鍛冶もここに拠点を構えている。


 日常的に使われる道具が産声を上げる様子は、見ていて非常に興味深くはあったが、残念ながら今日の本題ではない。ローザリッタは努めて専門鍛冶店の一画を通り過ぎ、目的の場所まで歩を速めた。


 歩くことしばしし。

 鍛冶町の一端に、この街いちの研ぎ師の工房があった。


 ローザリッタとヴィオラは工房の門を叩く。

 すると、弟子と思しき若者が顔を出したので、名前と用件を伝え、親方に取り次いでもらうようお願いする。


 若者はびっくりした様子で慌てて奥へ引っ込んだ後、すぐに老齢の研ぎ師が平伏して出迎えた。


「これはこれはローザリッタ様。こんあところにわざわざお越しになられずとも、遣いを寄越していただければ、せ参じましたのに」

「こんなとろこだなんて。鍛治町は領民の生活を支える大切な場所。直接、この目で視察するのも領主の娘として当然ですよ。それに、自分で歩いたほうが速いですからね」

「……なるほど。どうやら、お急ぎのご様子。まずは、太刀かたなを拝見させていただきましょう」


 老研ぎ師はローザリッタから手渡された太刀を受け取ると、丁寧に鞘から抜いた。

 あらわになった白刃に視線をわせると、顔の皺が一気に深まる。


「……何をお斬りになられました?」

「石灯篭を」

「なるほど。印可いんかの試しでございますな」

「ご存知でしたか」


 老研ぎ師にこぼれの原因をずばりと言い当てられ、ローザリッタは意外そうに目を見開く。


「ええ。伯爵家所縁ゆかり御方おかたが十年に一度ほど、こういった破損の太刀をお預けになられます。聞けば皆、印可の試しに臨まれたとか」


 その言葉を聞いて、ローザリッタの表情が和らいだ。歴代の印可を授かった者たちも自分と同じようにつまづいていたのだと知って、少しだけほっとする。


「この破損具合。優先的に取り掛からせていただいたとしても、六日は頂くことになりますが……」

「構いません。お願いします」

「は。誠心誠意、務めさせていただきます」


 老研ぎ師は再度、平伏して答えた。


 試練までの猶予は七日。

 刀身の研磨に六日費やせば、そのほとんどの期間、太刀が手元にないことになる。


 だが、この街一番の鍛冶師の作品を使っても駄目だったのだ。

 師範代がほのめかした通り、灯篭斬りを果たすためには太刀の質以外のが必要だと考えるのが妥当である。今は、それを探すのに全力を費やすべきなのだろう。


 しかし、ローザリッタはそのについてまったく心当たりがなかった。


 ここまで来る道すがら、ずっと考えてはいたものの答えは出なかった。


 本当に石灯篭を斬る手段などあるのだろうか。


 道具でない以上、おそらくは技術的なものだとは思うが、そうであれば、皆伝相当の実力を持つ彼女がきっかけさえ掴めないのは不自然だ。


 何とも雲をつかむような話である。


 すると――


「お邪魔するわ」


 りんとした声。

 店先の暖簾のれんをくぐって、質素な旅装束たびしょうぞくの少女が現れた。


 年齢はローザリッタと同じくらいだろうか。

 左右の耳元のあたりで結わえられた、さらりとした長い銀髪。

 目鼻立ちの整った小さな顔。氷のような透明感のある白い肌。それとは対極に、まるで炎を宿したかのように煌々こうこうと輝く真紅の双眸そうぼう


 背丈は小柄の部類に入るローザリッタよりもなお低く、体格は華奢きゃしゃの一言に尽きた。


 枯葉色の外套がいとうの襟元から覗く、ほっそりとした首筋。


 体の線に沿ってぴったりとしつらえた軟革鎧なんかくよろいによって引き立つ、今にも折れそうな儚い腰つき。若草色の短袴たんこから伸びた太腿にも、まったく贅肉がない。


 反面、胸や尻などの女性らしさを象徴する部位の肉付きも極めて薄かったが――それが、かえって少女特有の無垢な清らかさを際立させている。


 まるで永遠の少女という題目で作られた人形のような、妖しい美貌の持ち主だ。


(――綺麗)


 少女の美しさに、ローザリッタは瞬く間に目を奪われた。

 その整った容姿だけではない。

 何気ない足運びだけでも鮮烈に伝わってくる合理を極めた所作に、だ。


 一瞥いちべつしただけでかなりの修練を積んだ武人だと理解できる。

 しかも――


 少女は武器らしいものを何も携帯していなかったが、ローザリッタは確信していた。

 

 都市の内部では治安維持のために武装制限がかかっているため、どこかに預けてきたのだろう。


(すごい……!)


 ローザリッタの胸に沸き起こったのは、強い憧憬どうけいの念だった。


 彼女には同年代の友人というものがいない。

 貴族としての横の繋がりで、似たような年齢の知り合いは何人もいるが、彼女たちとはあまりにも価値観が違い過ぎて、とても友達とは呼べなかった。


 詩吟しぎんや舞踊を嗜み、豪奢ごうしゃに着飾り、縁談のために自分を磨くことにひたすら専心する。それが典型的な年頃の貴族の娘というものだ。


 男勝りに剣をり、朝から晩まで生傷だらけで稽古に明け暮れるローザリッタは、そういった意味でまったくの異端なのである。分かり合えるはずもないし、仲良くなれるはずもない。


 だが、目の前の少女はどうだ。

 自分と大して変わらない年齢でありながら剣術を修め、旅をしている。

 自分の理想の姿そのものではないか!


 彼女と言葉を交わしてみたい。彼女のことをもっと知りたい。

 ローザリッタは胸の中で、純粋で抗いがたい好奇心が芽生えるのを感じた。


 そんな熱烈な視線を送るローザリッタには目もくれず、旅装束の少女は淀むことのない足つきで老研ぎ師の前に立つと、懐から四つ折りの紙を取り出した。


「人を探しているのだけど。こういう男が太刀を研ぎに来ていないかしら」


 ローザリッタの位置からはよく見えなかったが、差し出したのはどうやら人相にんそう書きのようだった。


「……人探しなら、ここではなく、もっと人の多いところに行かれたらいかがですかな?」

「いえ、ここでいいのよ。この人、剣術つかいだから。この街に立ち寄ったのなら、間違いなく太刀を研ぎに来る。あなた、この街一番の研ぎ師でしょ?」


 老研ぎ師は受け取った人相書きを眺め、眉根を寄せて記憶を探ったものの、最終的には首を横に振った。


生憎あいにくですが、見覚えはありませんな」

「そう。……ここもはずれか。一番の目星だったのだけど」


 老研ぎ師の返事に、少女の肩が下がった。落胆したのが目に見えるようだ。


「――いいえ。諦めるにはまだ早いわね。あなたの言う通り、別のところを回ってみましょう。お邪魔したわね」


 少女は人相書きを懐に仕舞うと、さっときびすを返す。


(行っちゃう……!)


 ローザリッタは試しのことなどすっかり忘れ、慌てて少女へと駆け寄った。


「あ、あの!」

「……何かしら?」


 呼び止められるとは思わなかったのか、少女は怪訝けげんそうな視線をローザリッタに向ける。


「た、旅の人とお見受けします。あの、よろしければ、道中のお話を聞かせてもらえませんか?」

「……あなたに? どうして?」

「えっと、その……」


 ローザリッタはあまり人見知りをする性格ではなかったが、それでも予期せず現れた理想の体現者を前に緊張せずにはいられなかった。しどろもどろになりながらも、必死に言葉を紡ぐ。


「わたしもいつか旅に出たいと思っておりまして、その参考にさせていただけたらなって……」

「悪いけど、私は吟遊詩人ぎんゆうしじんではないわ。先を急いでいるの。他を当たってちょうだいな」


 けんもほろろとはこのことか。旅の少女はローザリッタの肩を優しく押しのけ、店を後にしようとする。


「旅の御方おかた、無礼ですぞ。その方は――」


 言いつのろうとした老研ぎ師に向けて、ローザリッタは唇に指をあてた。

 ここで立場を明かすのは彼女の望むところではなかった。権力や立場を利用して従えさせるやり方は好まない。第一、彼女自身がに反抗している真っ最中だ。


「そこをなんとか! あなたじゃないと駄目なんです!」

「しつこいわね。先を急いでいるって――」


 言いかけて、ぐう、と音が鳴った。


 少女のほっそりとした腹の奥から。

 響き渡るつちの音に負けないくらい、はっきりとした腹の虫。


「……言っているじゃない」


 頬を朱色に染めながら、気まずそうに少女は視線を反らした。

 ローザリッタの次の言葉は決まった。

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