第32話 故郷を想う

 食事を終え、寝間に案内された三人は早々に床に就いた。

 満腹になって、これまでの疲れがどっと襲ってきたのだろう、ヴィオラとリリアムはすぐに寝息を立て始める。


 だが、ローザリッタはなかなか眠りに落ちることができなかった。

 体は疲労困憊ひろうこんぱいしているというのに、どういうわけか目が冴えてる。


 用意された布団からそっと抜け出し、寝息を立てる二人を起こさぬよう、忍び足で寝間を後にした。


 ひたひたと冷たい廊下を歩いていると、縁側に出る。

 ちょうどいい、夜風にでも当たろう。

 そう思い立ったローザリッタはちょこんと縁側に腰掛け、夜空を照らす月をぼんやりと眺めはじめた。


 ――シルネオの街を発って数日。

 まだモリスト地方の領土境を抜けてすらいないが、故郷の街から一歩も外に出たことがなかったローザリッタからすれば、まるで異国から月を眺めているような心地であった。ずいぶん遠くに来たものだ、と懐郷するには尚早すぎるとは思うが。


「……眠れないのか?」


 どれくらいの時間が流れたのか。

 寝間にローザリッタがいないことに気づいて後を追ってきたのだろう。ヴィオラが柱によっかかるようにして立っていた。


 気づかなかった、とローザリッタは反省する。心の底から放心していたらしい。


「ごめんなさい。起こしちゃいましたか」


「いや、いいさ。初陣だったもんな。気が昂って当然だ」


 よっこらせ、とヴィオラが隣に座る。

 暫くの間、二人は口を閉ざした。春の夜風が二人の髪を揺らす。


「……もしも」


 ぽつり、とローザリッタが口を開く。


「ん?」


「もしも、わたしが灯篭斬りの試しを早くに終えていたら……誰も失わずに済んだんでしょうか」


 寝付けない原因。それは、宴の席での女性の言葉が耳に残っているからだ。


 ローザリッタがもっと早くに旅立っていたら、被害が出る前に野盗を成敗できたのではないか。犠牲が出てしまったのは、自分の未熟さが原因ではないのか。彼女はそういった妄念に囚われていた。


 しかも、一人を討ち漏らしてしまった。頭巾の偉丈夫いじょうふ。よりにもよって、あの女性の息子を手にかけた男を。


 自分は満足に仇を取ってやることもできなかった。己の未熟さを痛感する。


「なんでそうなるんだよ。まるで、お嬢が悪いみたいじゃないか」


 ヴィオラは不満げに鼻を鳴らした。


「でも」


とかとか言い出したらキリがないだろが。あたしたちがここでこうしているのは、街道で野犬に襲われて、その後に雨が降ったからだ。ちょっとでも歯車が違えば、あたしたちはこの村に立ち寄ることもなかったし、ここの人たちが野盗に苦しめられていることさえ知らなかった。違うか?」


「それは……」


「……お嬢は背負い込み過ぎだ。救えるだけ救った。それでいいじゃないか」


 励ますようにヴィオラは笑顔を向けるが、それでもローザリッタは悲し気な顔をして俯いた。


「ヴィオラの言っていることは解ります。それでも、わたしはわたしが失いたくないと思った全てを守りたい。十分じゃ足りない。上出来じゃ満足できない。誰一人取りこぼすことなく、守り抜きたい。そのために――」


 ――強くなる。誰よりも何よりも。


 その一念でローザリッタは故郷を発った。

 念願だった命懸けの真剣勝負も経験した。


 しかし、理想の自分にはまだまだ遠い。それどころか、実戦を経験したことで理想との距離が明確に見え始めた。今日一日だけを切り取っても、何度ヴィオラとリリアムに助けられたかわからない。


「もっと、強くなりたいな……」


「……変わらねぇな。ま、それがお嬢か」


 ローザリッタの切なる吐露に、ヴィオラは呆れたように肩をすくめる。


「今更、否定はしないさ。なんせ、その執念で石灯篭まで斬っちまったからな」


 白い歯を見せて、ヴィオラは笑った。


 いかなる奇跡か魔性の技か、ローザリッタは不可能に等しいとされる灯篭斬りを成し遂げた。彼女ならば、ひょっとしたら。そう信じさせる力が、その小さな体には秘められている。


 だったら、とことん付き合ってやろう。それが侍女たる者の役目だ。


「やれるだけやってみようぜ。あたしは最後までお嬢の味方だからさ」


 ヴィオラが優しくローザリッタの肩を叩いた。


「……ありがとう、ヴィオラ。大好きです」


 にこり、とローザリッタが微笑んだ。

 月夜に咲く花のような可憐な微笑みに、ヴィオラの頬が真っ赤になった。


「……お前、いきなりそういうこと言うなよな。照れるじゃんか」


「ふふ、照れた顔のヴィオラは可愛いですよ」


「はってなんだ、はって。照れてないと可愛くないのか、あたしは。大体な、そういうこと軽々しく言うもんじゃない。あたしが女だったからいいものの、男だったら間違いなく恋に落ちているぞ」


「……ヴィオラにしか言いませんよ、こんなこと」


 ローザリッタははにかみながら囁いた。ヴィオラの中で何か邪なものが弾ける。


「いつの間にそんな悪い娘に育ったんだ、お前は!」


「きゃー!」


 がばっとヴィオラに抱き着かれ、ローザリッタはわざとらしい悲鳴を上げた。


「あ、お嬢、また下着付けてねぇな!? 寝る時もしとけって言っただろうが!」


「だって苦しいんですもーん」


「言うこと聞かないやつはお仕置きだ!」


「あはは、ヴィオラの手つき、いやらしいです!」


「このこの!」


「もう! お返しです!」


 きゃいきゃいと二人はじゃれ合う。気心知れるヴィオラとの触れ合いは、早すぎる望郷の念に駆られたローザリッタを優しく癒していく。


「布団がもぬけの殻だから、どこに行ったかと思えば……」


 二人の姿がないことに気づいたのか、それとも騒ぎを聞きつけたのか、リリアムも縁側にやってくる。


「元気なのはいいけれど、安眠妨害よ、あなたた……ち……?」


 寝ぼけ眼に飛び込んできたのは、はだけた衣装のまま絡み合う主従の姿。リリアムの表情がみるみる凍り付く。


「……ヴィオラさん、やっぱり……」


「ん? なにがやっぱりなんだ?」


「なんていうか……その……ごゆっくり……?」


 気まずそうな表情を浮かべながら、音もなく去っていくリリアムにヴィオラは首を傾げる。


「なんだったんだ、あいつ?」


「なんだか、ひどく誤解されている気がしますね……」



 ◆◇◆◇◆◇



 朝餉あさげも昨晩のうたげにも負けず劣らず豪華だった。


 寝起きであるにもかかわらず、三人の食欲は大したものだ。

 リリアムは言うに及ばず、ローザリッタとヴィオラも忙しなく箸を動かす。剣術遣いは体が資本。特に朝餉は一日の活力だ。せっかくの馳走を平らげない道理などない。


「さて、これからどうする?」


 ヴィオラが三回目のおかわりをよそった茶碗をリリアムに手渡しながら尋ねた。


 日の出とともに、最寄りの騎士団の駐屯部隊に宛てた書状を持ったつかいが村を発っている。事態を書き記した書状が届き次第、すぐにでも動いてくれるだろう。


「騎士団が到着するまでは、念のためにここに滞在したほうが良いでしょうね」


「そうね。今日明日で終わるでしょうけど、ここまでご馳走になっているもの。最後まで付き合ってあげましょう」


「ありがたいことですじゃ」


 同席していた村長が、しみじみと手を合わせる。三人は今や村の英雄だ。


「あ、それと村長。もし、今夜も泊まらせてもらう場合、この二人と部屋を分けてもらっていいかしら?」


「それは構いませんが……何か、ご不満でも?」


「ちょっと身の危険を感じるのよ」


 半眼のリリアムに、ローザリッタが頬を赤らめる。


「ご、誤解ですってば。誰彼構わず、ああいうことするわけじゃないんですって」


「どうだかね」


 視線が冷たい。無遠慮に胸を――掴まれた、いや、それには語弊ごへいがある――でられた身としては、信じられなくとも無理はないか。


「別におかしいことでもないだろ。女同士、付き合いが長けりゃ乳を揉み合うことくらいあるさ」


「ないわよ」


 ヴィオラの偏った意見を、リリアムはばっさりと斬り伏せる。

 すると――


「た、たいへんです!」


 悲鳴に近い声をあげながら、村の若い男が転がり込んできた。

 物々しい様子に村長が眉を顰める。


「なんじゃ、なんじゃ。息せき切らしおって。なにがあった?」


「そ、それが……野盗の生き残りが……!」


 その言葉に朝餉の和やかな空気が吹き飛んだ。


 野盗の生き残り――あの頭巾の偉丈夫のことか。ローザリッタの脳裏に、昨夜の女性の寂し気な背中が鮮明に浮かび上がる。


(……今度は逃がさない。決着をつける。あの女性ひとの無念を晴らす!)


 ローザリッタは立てかけておいた太刀を掴むと、荒々しく席を立った。


「お嬢、具足は!?」


「そんな暇はありません!」


 鎧を身に着けている間に、また誰かが斬られないとも限らない。

 手遅れになってしまうかもしれないのに、そのような些事にかかずらわっている場合ではなかった。


「お、お待ちください! それが、その……どうにも様子が違いまして……」


 今にも飛び出そうとするローザリッタを男は制する。


「……どう違うって言うのよ?」


 怪訝そうに眉根を寄せるリリアム。


「それが、その……」


「その?」


 男は息を整え、ごくりと唾を飲み込んだ。


「ローザリッタ様に決闘を申し込みたいと!」


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