第33話 お相手仕る!

 今度は三人がっ取り刀で飛び出す番だった。

 村のはずれまで一息に駆けると、少し開けた場所に、頭巾の偉丈夫が静かに佇んでいるのが見える。


 その視線は足元に注がれていた。

 地面が不自然に盛り上がっているのは、その下に昨日退治された野盗たちの死体が埋まっているからだ。


 血の匂いと腐肉が危険な肉食獣を招き寄せるというのもあるが、悪党とはいえ遺体を野晒しにすることに抵抗を感じた村人たちが、夜のうちに総出で埋葬したのである。


 目当ての人物の到来に気づいたのだろう、偉丈夫がゆっくりと振り返った。


 頭巾で顔が隠されているので表情ははっきりとはわからなかったが、その目元は穏やかなものを感じさせる。昨晩と違って、これから狼藉ろうぜきを働こうという雰囲気ではない。本当に、ローザリッタとの決闘を望んでいるというのか。


「埋めてくれたのだな。感謝する。雇われの身とはいえ、同じ釜の飯を食った者たちだ。骸を野晒にされては気の毒だと思っていた」


「……雇われ?」


 偉丈夫の言葉に、ローザリッタは怪訝そうな顔をする。


「俺自身は雇われ用心棒だ。野盗ではないつもりだが、まあ、お前たちにとっては同じものだろうよ」


 どんな事情があろうと、この男が悪事に手を貸した事実は変わりない。少なくとも、彼はこの村の住人を一人斬り殺している。それは紛うことなき事実であり、決して揺らぎようのない罪過だった。


「もうじき騎士団が動くのだろう? だとすれば、いずれ俺は討ち取られる。その前に、お主と勝負がしたかった」


 鋭い眼差しが、ローザリッタを射貫く。

 その感触は殺意とは異なっていた。鋭利だが禍々しさはなく、それでいて炎のように熱い。強いて言えば闘志だろうか。


「……なぜ、わたしに決闘を申し込むなどと?」


「知れたこと。名にし負うベルイマンの剣士と立ち合えるなど、それこそ一生に一度あるかどうかだからな。命を賭ける価値はある」


 エリム古流ベルイマン派は家伝の剣法。

 一般的な剣術流派と違い、その家系に所縁のある人間にしか伝授されない特殊な流派だ。当代随一の剣士を輩出したこともあって、レスニア王国における剣の大家として扱われてはいるものの、その遣い手は局所的にしか存在しない。偉丈夫が言うとおり、市井に流布する他の流派と比べれば対決する機会は少ないだろう。


「……やっぱり、そうなのね」


 リリアムの小さな呟き。

 彼女がローザリッタと出会ったのは、王国最強のお膝元であるシルネオの街だ。そこで剣術を学んでいるとすれば、真っ先にエリム古流を連想する。


 しかし、ローザリッタの己の流派を語らなかった。家伝の剣法である以上、それを遣うからには伯爵家に所縁があると明言するようなものだからだ。


 リリアムが複雑そうな視線を向けるが、ローザリッタはそれに気づかなかった。


「……あの集団の中で、あなただけは只者ではないと思っていました。自分勝手な理由で落ちぶれた彼らとは違う。あなたには長きに渡って鍛え抜かれた技がある。そこまで磨いてきた腕を、なぜ悪事に遣うのです?」


「俺とて、最初から野盗の真似事をしていたわけではない。若い頃は真っ当に剣の道を歩んでいたつもりだ」


 遥か昔に失ったものを懐かしむように、偉丈夫は目を細めた。


わらべの頃、決闘というやつを見た。技と技、信念と信念を賭けた二人の剣士のぶつかり合い。俺自身は剣の道とはまるで縁のない農民のせがれに過ぎなかったが、だからこそ、その剣士たちの華麗な戦いは鮮烈に目蓋に焼きついた。彼らのようになりたい。その一念で、畑を耕すかたわら、見よう見まねで棒切れを振り続け……ついには家を捨てて剣術修行の旅に出た。その道行は険しいものと覚悟していたよ。落命することも、不具になることも承知の上。……だが、俺はそれ以前だった」


 その声には、どこか自嘲の響きがあった。


「腕試しをしようにも、どこの道場も門前払いだった。肩書とやらがなければ、試合を引き受けてはくれぬらしい。名のある師に教えを請うて位を授かったか、名のある武芸者を打ち倒した実績がなければ、名のある連中とは戦えんのだ。名のある師に学んだこともなく、名のある武芸者を倒したこともない我流の俺は、どうやったら表舞台で戦える? どうやったら他流に実力を示せる?」

 

 それは、武家以外の出自を持つ剣士の懊悩おうのうであった。


 流派によって考え方の差異はあるものの、他流試合そのものは日常的に行われていることである。


 しかし、有名な流派の道場ともなれば、一日に何十人と挑戦者が現れる。それら全ての申し込みを受けてしまっては、門弟の指導に時間を割くことができず、道場として本末転倒の事態に陥ってしまう。


 そこで、道場主は、挑戦者が果たして時間を割いてまで剣を交えるに相応しい相手かどうか見定める必要があった。


 その基準の一つが伝位である。


 多くの流派において、他流試合の許しは、免許皆伝を授けられた弟子、あるいは流派の代表として認められる実力を持つ者にのみ与えられるものだ。


 そして、伝位は特定の流派に属した剣士にしか与えられない。

 そう、

 当然、そのようなやからは真っ先に選考から外される。


 ならば、どこぞの道場に入って一から学び直せばいい――そう言うのは簡単だ。


 資金があるなら、誰しも初めからそうしている。偉丈夫だって好きでを振っていたわけではないだろう。剣を志すすべての人間が、剣を学べる環境にあるわけではないのだ。


 あるいは、戦いで名声を得た剣士であれば、その機会もあるかもしれない。


 だが、そもそも名声を得られるような剣士は、位の一つも持っていない、どこの馬の骨とも知れない剣士など相手するはずがなかった。勝っても旨みがないからだ。


 位がないから他流試合を申し込めず、名声がないから名誉の剣士と戦えない――板挟みの堂々巡りである。


「ある時、気がついた。こちらから挑めないのであれば、向こうから来るように仕向ければいい。悪行を成せば、俺を裁くために名のある剣士が派遣される、とな。俺は野盗に己の腕を売り込んだ。今にして思えば浅知恵だったがな。実戦の機会には恵まれたものの、そのほとんどが野盗同士の縄張り争いで、著名な剣士とは一度たりとも巡り合えなかった。――だが」


 偉丈夫は顔を覆う頭巾を剥ぎ取り、放り捨てた。

 額に傷のある精悍せいかん面貌めんぼうが、陽の下に晒される。


「天はどうやら俺を見放してはいなかったようだ。人生の最後になって、俺はお前という名誉の剣士に出会った。戦ってもらうぞ、ベルイマン」


「そんなことを望める立場かしら。あなたの願いを聞く義理はないわね」


 リリアムが姿勢を低くして腰の太刀に手を回すが、ローザリッタが遮った。まだ問いかけは終わっていない。


「……どうして顔を隠していたのですか?」


 素顔を隠すことが目的ならば、ここで頭巾を脱ぎ捨てなくともよかったはずだ。つまり、素性を隠蔽することが目的ではない。別の理由があると考えるほうが自然だろう。


「願掛けだ」


「願掛け?」


「事実、俺は何の肩書もない無名の剣士だ。未だ何者でもなく、顔も名前も何ら価値を持たない。ならばいっそ、顔も名も晒さなくともよかろうと思ったのさ。名誉を勝ち取る、その時まではな」


「……その様子では、名前をお聞きしても答えてはもらえないのでしょうね」


 ローザリッタは悲しい気持ちになった。


 彼は生涯、名誉を手にすることはできない。

 名のある剣士と戦い、勝利を得たとしても――これまでの悪行がその名誉を貶める。彼は悪に堕ちた時点で、望むものを手に入れる資格を永遠に失っているのだ。


 そんな当たり前のことが解らないほど彼は苦しんだのだろう。努力では覆せない出自の差に。生まれ持った環境の差に。その理不尽に。


 だからといって、許されるものではない。

 理不尽を理不尽で塗りつぶすような真似を看過することはできなかった。


 だから、せめて――


「――いいでしょう。その勝負、受けて立ちます」


「おい、お嬢。勝手に決めるな。具足もつけてないんだぞ」


「ヴィオラさんに同意。馬鹿正直に相手をする必要なんてないわ。吐きたくはないけど、三人で仕留めたほうが確実よ」


 制止するヴィオラとリリアムに、ローザリッタは首を横に振った。


「これはわたしが始めた戦い。幕を引くのもわたしの役目です。それに――」


 きっと彼は自分にしか救えないのだ、と彼女は思う。

 正真正銘のベルイマン――〈王国最強〉の娘という名誉を持つ自分にしか。


「二人とも、手出しは無用ですよ」


 心を定めたローザリッタは臆せずに一歩、前に進んだ。


「ミリアルデ=ローザリッタ=ベルイマン。モリスト地方領主にして〈王国最強〉の剣士たるマルクスが一子。我が身、我が血に受け継いだ最古にして最強の太刀にて――ここに、お相手つかまつる!」


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