第34話 古流と我流

 堕ちたる剣士にせめてもの手向けとして、ローザリッタは今の矮小な自分が持ち得る最大の名誉――ベルイマン伯爵家、継嗣けいしとしての名を明かす。


「――感謝する」


 その声は、念願の好敵手に出会えたことへの歓喜で満ちていた。


 両者は太刀を抜き放つと、三間の距離を挟んで対峙する。

 互いに正眼に構え、り足で間合いを詰めた。


 一分の隙も無い運足に、ローザリッタは内心で称賛の声を上げる。

 ヴィオラは具足を着けてこなかったことを不安視していたが、むしろ逆だ。そのようなを加えて勝てるほど眼前の敵は弱くない。


 二人の距離が間境まざかいまで縮まった刹那、偉丈夫が


 ローザリッタはに半歩下がって、振り向きざまに繰り出された横薙ぎの一撃をかわす。巻き起こった太刀風が産毛を揺らした。


「今のを躱すか……!」


 にやり、と偉丈夫は口元を歪める。

 今のは無防備な背を見せることで相手の気勢を削ぎ、その一瞬の硬直を捉えて一撃を見舞うという、不意打ちにも等しい一太刀だった。


 それをローザリッタが躱せたのは、単純にからだ。


 先ほどの会話で、彼が誰にも師事したことがないことが知れた。ならば、その技は恐らく正道を欠くものである可能性が高い。剣術遣いらしからぬ騙し技を使っても不思議ではないと踏んだのである。


 しかし、半歩退いたために間合いを損なったローザリッタは反撃に転じることができない。偉丈夫が躍るように間合いを詰め、目まぐるしい斬撃を繰り出す。


 彼の太刀筋はどれも型破りだった。

 上段から真っ直ぐ振り下ろされたはずなのに、剣尖けんせんはまるで八双から繰り出したかのように斜めに走る。小手を狙っていたはずなのに、途中で異様な軌道を描いて喉元を貫かんと切っ先が伸びる。常の運剣とはかけ離れた動きではあるが、闇雲に振るっているわけではないようだ。


(やりにくい……!)


 怒涛の如く繰り出される小業をさばきつつ、ローザリッタは内心でうめいた。


 それは数世紀に渡って研鑽された流派の型ではない。


 同じ道具を用いる以上、動作の理想形は流派の垣根を越えて収斂しゅうれんするものだ。土竜もぐら螻蛄おけらに種としての繋がりはないにも関わらず、爪の形状が酷似しているのは、という同一の役割を持つからだという。


 流派が違っても似たような技があるのはそういうことであり、だからこそ定石が存在し、読み合いが成立する。


 しかし、独りで剣を振るってきた偉丈夫の動きにはそれがない。

 従って定石はまったく当てにならず、次の動きを読むことが極めて困難だった。


 加えて、我流が故の奇妙な技の繋ぎ方は、相対する者の拍子をかき乱す。正統派で慣らした剣術遣いほど相手の動きに引きずられ、自分の呼吸を見失ってしまう。本来であれば先ず叩き直されるであろう運剣の癖を、必殺の域にまで高めたのだ。


(――惜しい。歯車が一つ違っていれば……正しい環境さえあれば、優れた剣術遣いになっていていたでしょうに)


 天才の条件を思い出す。

 環境、適性、素質の三つの柱。そのたった一つを持ち得なかったばかりに彼は悪に堕ちた。


 ――故に、その技は堕剣だけん

 憧れた地点から遠ざかれば遠ざかるほど妖しく威力を増す、皮肉極まる我流の太刀。


 偉丈夫の切っ先が唸りをあげてローザリッタに迫る。


 真っ当な剣士ならば七度は落命するであろう奇怪な太刀筋のことごとくを躱し、受け、流しきる。厄介ことこの上ないが、あくまで厄介というだけだ。ローザリッタの実戦経験の少なさが、嘲笑あざわらう拍子の影響を最小限に留めている。


「ちぃ……!」


 なかなか有効打を与えられないことに焦りを覚えたのか、偉丈夫の顔から徐々に余裕が消えていった。


 逆に、彼の堕剣の拍子に慣れたローザリッタにはゆとりのようなものが生まれ始める。精神戦の天秤は彼女の側に傾きつつあった。


 斬り合いとは、何も技の練度だけで決するものではない。心の劣勢は技の切れを曇らせ、体を浪費させる。このままローザリッタが完全に流れを掴めば、遠からず彼は致命的な反撃を受けるだろう。


 その前に勝負を決めるつもりなのか、彼は構えを大きく変えた。


 太刀を八双に構え、股を開き、腰を深く落とす。


介者かいしゃの構え――?)


 介者とは具足を纏った状態のことを指し、その構えは基底面を広く取り、重心を低くしてどっしりと構える。重たい甲冑を纏った状態では一度の転倒が命取りになるため転ばぬよう、倒されぬように姿勢を取るのが基本だ。


 だが、それにしては膝を曲げすぎている。これでは蝦蟇がまだ。


 体勢を低くした相手というものは厄介なものである。


 人体の構造上、自分の重心より下の位置を斬ろうとすると、その威力は驚くほど減衰する。地に低く伏した相手に致命傷を与えることは難しい。それとは裏腹に、相手は立ち合いにおいて最も防御の薄いこちらの足元を一方的に斬りつけることができる。まさに攻防一体の構え。


 ――と言えば聞こえはいいだろうが、実際はそこまで完璧な構えというわけではない。


 確かに、低姿勢の構えは斬られにくく、斬りやすいだろう。


 だが、その状態から攻撃を繰り出そうとすれば、その範囲は相手の下半身に限定されてしまう。


 どれだけ攻撃が鋭かろうと、どこを狙っているかわかるのならば防げない道理はない。また攻撃が失敗すれば、今度は無防備に晒された頭を相手に狙い斬りされてしまう。


 何よりも致命的なのは、この姿勢では迅速な足運びができないことである。一度後手に回ってしまえば、避けることも躱すこともできない。守りやすく攻めやすくなるのは相手も同じなのだ。


(――何故、この構えを取った?)


 ローザリッタの心にさざ波のような迷いが生まれる。


 この場合、下段に構え、足を刈る薙ぎに備えるのが定石だろう。だが、彼は邪道の剣士だ。彼女が下段に構えることを見越してのことだろうか。


 だとすれば、その裏に何かある。偉丈夫が狙っているのは、おそらく――


 だが、偉丈夫は熟慮する暇を与えない。

 ぬるり、と爬虫類じみた静かな運足で距離を詰めてくる。


(――よし、誘ってみよう)


 いずれにせよ、正眼に構えたままでは足を刈られる。意を決して、ローザリッタは構えを下段に移す。


 ――瞬間。

 上半身の守りが薄くなったと同時に、偉丈夫は怪鳥けちょうのごとく跳び上がった。


 そう。彼は転ぶことを恐れて腰を落としたのではない。跳躍する力を蓄えるために膝を曲げたのだ。


 ローザリッタの剣尖は下を向いたまま。防御は間に合わない。数瞬の後に、がら空きになった彼女の頭蓋は叩き割られるであろう。

 ――彼女が、地上にいれば、だが。


 偉丈夫が瞠目どうもくする。

 飛び斬りは堕剣の専売特許ではない。彼が地面を蹴ると同時に、ローザリッタもまた真上に跳んでいたのだ。


 二点を結ぶ最短距離は直線。故にローザリッタの方が先に頂点に到達する。その高さは、偉丈夫の剣尖けんせんの遥か上。


 ――〈空渡り〉。


 翼を持たぬ人類が、それでも翼あるものと渡り合うために長い歳月をかけて生み出した準三次元機動。


 人の身で、こうも軽やかに空を舞えるのか。

 未だ上昇の途上にある堕剣士は、その姿に見惚れた。


「見事。俺も、お主のように羽ばたきたかったものだ――」


 偉丈夫の太刀は空を切り、ローザリッタの太刀は後頭部をかち割った。

 体勢を崩した偉丈夫は、鮮血をまき散らしながら墜落する。


 偉丈夫はその最期の瞬間まで、何者にもなれないまま、その生涯を終えた。

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