第25話 初陣

 馬蹄ばていの音が近づいてくる。


 既に配置についていたローザリッタとヴィオラは小さく頷き合うと、腰の太刀かたなに手を伸ばした。すらりと抜き放たれた二尺三寸の刀身が、雲間から覗く夕日に照らされ、朱銀に輝く。


 間もなくして、野盗たちが細道の向こうからぞろぞろと姿を現した。素早く目視で数えたところ、総数は十五。予測通り、二十人には届かないようだ。


(頭巾の男が……いない?)


 現れた集団の中に、腕が立つとかいう頭巾の男らしき姿はなかった。

 それとも、慌てて駆けつけたから顔を隠すのことができなかったのだろうか。


「貴様ら、何者じゃあ!」


 徒歩かちの集団の中で、唯一、馬に乗った髭面の男が二人に向かって叫ぶ。


 野盗たちの大半が薄汚れた野良着をまとったな出で立ちだが、彼だけは装いが違った。修繕の跡が見られるものの、きちんとした具足を身に着けている。この集団の頭目なのだろう。


「ここはわしらの縄張りじゃ、勝手な真似は許さんぞ!」


「一足遅かったな! この村の米は、あたしたち野薔薇ハイデンローザ野盗団が貰っていくぜ!」


 不適な顔つきで、いかにもな名乗りを上げるヴィオラに、ローザリッタが心底嫌そうな顔を向けた。


「なんですか、それ」


「あたしら、臨時野盗団の団名」


「わたしの響きが入っていてすごく嫌なんですけど……」


「雰囲気だよ、雰囲気」


 緊張感のまるでない遣り取りをする二人に、頭目の髭面にありありと憤怒の相が浮かび上がる。


「この儂を愚弄ぐろうするか、小娘どもめ!」


 頭目が馬上で野太刀を抜いた。

 それを合図に、手下たちが一斉に武器を構え出す。


 太刀。剣。短槍。手斧――統一性の欠片もなかったが、どれも人を殺傷するには十分すぎる得物たちだ。


「……っ」


 ローザリッタの体に緊張が走った。

 真剣を使った稽古は経験している。白刃を向けられるのだって一度や二度ではない。武器そのものを向けられるのは慣れている――つもりだったが、明確な殺意を伴って突きつけられるのは今日が初めてだった。


 しかも、一対一ではない。

 三対十五。現状だけ見れば、二対十五。

 それら全てがローザリッタに向けられたものだと思うと、物々しさに胸が締め付けられそうになる。


(落ち着け――)


 乱れそうになる呼吸を、悟られないようにゆっくりと整える。


(わたしは十年間、鍛えてきた。あの日から、寝る間を惜しんで稽古を積んできた。もう、守られるだけのわたしじゃない。そう、今のわたしならやれる。やれるんだ――!)


「野郎ども、かかれ――!?」


 頭目が号令をかけた、その時だ。


 ひゅっと風を切る音とともに〈犬散らし〉が頭目の顔面に直撃した。

 容器である卵の殻は呆気なく割れ、中に詰まった粉塵が周囲に撒き散らされる。

 物陰に隠れたリリアムの投擲とうてきだ。


「な、なんじゃ、これは! 目が! 目がぁぁ!」


 粉塵を直に受けた頭目の両瞼りょうまぶたは真っ赤に腫れあがっていた。


 馬はあまりの臭気に驚いて、戦慄わななき声をあげてのけぞる。目を覆うために手綱を離していた頭目はそのまま落馬し、頭から地面に落ちた。


 さらに――


「ぎゃあああ!」


 思わずうずくまったところを、ひづめでしたたかに踏みつけられる。すぐに馬はいずこかに走り去っていったが、当たり所が悪かったのか、転がった頭目はぴくりとも動かない。


「お、お頭ぁ!」


 予想外の事態に、手下たちはどよめいた。

 中には背を向けて、頭目の無事を確かめようとする者もいる。


 あまりの無防備さにローザリッタは驚愕した。

 隙だらけだ。敵を前にした戦士の所作とはとても思えない。戦場に臨む心構えがなさすぎる。


 それが逆に、彼女に躊躇ためらいを生んでしまった。


 背中から斬っていいのだろうか。簡単に殺せてしまうが、相手はそれでも構わないのだろうか、と。


「ふっ――!」


 二の足を踏むローザリッタを置き去りにするように、ヴィオラが地面を蹴る。


 瞬く間に接敵し、野盗の一人を背中から容赦なくばっさりと斬りつけた。


 断末魔と共に血飛沫が舞い、周囲にざっと鉄錆の匂いが漂う。


「……一番手柄、もらったぞ?」


 ちらり、とヴィオラは挑発的な視線を肩越しに投げかける。


 ローザリッタは内心で自分の頬を打ちたい気分になった。


 心構えがなっていないのは、果たしてどちらだったのか。弱ければ死ぬ。すきを見せれば殺される。自分がいま立っているのは、そういう場所だったはずだ。


(危うく四戒に囚われるところだった。ありがとう、ヴィオラ)


 だが、目が覚めたのはローザリッタだけではない。


 仲間の血を見て動揺が消えたのか、血相を変えて手下たちが散開する。囲い込んで各個撃破するつもりだ。


「――来い!」


 わめきながら殺到する野盗たちを、ローザリッタは八双はっそうに構えて迎え撃つ。


 一人目が太刀で襲い掛かってきた。

 技も型もない、ただ力に任せた大振り。剣速は目を見張るものがあったが、動きに無駄が多い分、消耗も激しい。二度、三度と躱すうちに向こうの動きは目に見えて鈍くなる。


 その隙をついて――否、意を決して。ローザリッタは袈裟に斬りつけた。


 ――その感触を、ローザリッタは生涯忘れないだろう。


 相手の肩口に切っ先が食い込んだ瞬間、手首にずしりとした反動が返ってきた。

 質量のある肉の塊を打った確かな手応えが、波打つようにローザリッタの体の奥にまで伝わってくる。それとは裏腹に、皮と肉の繊維を、まるで氷にあてがった火箸のように、やすやすと衣服ごと切断していく奇妙な感覚。


 切っ先が右脇腹へ抜けると、筋繊維の応力で傷口がぱっくりと開き、。それを覆い隠すように血が間欠泉のように噴き出し、ローザリッタの頬に赤い斑点模様を作る。


 今宵、彼女は初めて人を斬った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る