新約・少女剣聖伝 ~天才剣士の伯爵令嬢は辺境の地で最強を目指す!~

白武士道

序章

第0話 少女の過ち

 少女が、おのれの道を定めたのは十年前のこと。

 生まれて初めて『喪失』というものを味わった、春の初めの日のことだった。


 少女はベルイマン伯爵家の嫡子ちゃくしとして、この世に生を受けた。

 レスニア王国の東の果て。深い森と豊かな田園地帯が広がるモリスト地方を治める伯爵家は、建国史に名を連ねる英雄を祖に持ち、伝説に語られた秘剣を現在いまに伝える剣術の名家である。


 少女の父は歴代当主の中でも最高の腕前。

 若くして近衛騎士団の長を就任するという華々しい経歴に留まらず、幾度もの天覧てんらん試合で名立たる剣客たちを打ち負かし続け、


『ベルイマン卿こそ真のつわもの。王国中の剣士が目指すべき剣の頂点である』


 と、国王直々に絶賛された、正真正銘〈王国最強〉の剣士であり。


 母親も下級貴族の出身ではあるものの、嫁ぐ前は剣客令嬢とあだ名されるほどの気骨と気高さ、花のような美貌を備えた女傑であった。


 そんな由緒ある家柄に生まれ、偉大な父、才色兼備な母の血を引いている少女は、さぞや剣を愛し、剣に愛された貴婦人に育つだろう。そう周囲の誰もが少女の将来の姿を信じて疑わなかった。


 ――しかし。


『……ヤだ。けんじゅつなんて、したくない』


 周囲の想像に反し、少女はまったくと言っていいほど剣術に興味を示さなかった。

 それどころか、歳を重ねるにつれて拒否的な態度が現れるようになり、剣術に関わることからはおのずと距離を取り出す始末。


 日常的に、屋敷の道場で稽古けいこに明け暮れる門下生たちの姿を見てきたからかもしれない。


 木刀のぶつかり合う猛々しい音。叱咤しったに怒号。絶えない生傷。時には流血。何より彼らの鬼気迫る表情。


 当時、まだ六つを数えたばかりの少女の目には、剣の稽古というものは痛いもの、恐いものにしか映らなかったのだろう。世の中には楽しいことがたくさんあるのに、わざわざ楽しくないことなんかしたくない。遊びたい盛りの年頃の娘には、自ら進んで苦行に挑もうとする気概はまだ養われていなかった。


 とはいえ、貴族の令嬢というものは決して安穏な立場ではないのも事実である。

 特権階級というものは、その立場ゆえに何かと厄介事を招きやすい。伯爵令嬢ともなれば、命を狙われる理由も機会も掃いて捨てるほど転がっているものだ。最悪の事態を想定して、年頃になれば、努めて何かしらの護身術を修めるのが貴族の子女のらいである。


 しかし、教育係からその必要性をこんこんと説明されても、少女は剣術の手ほどきを受けることを拒み続けた。


 それも無理からぬことである。

 少女には、その必要性とやらがまるで理解できなかったのだから。


 父親は〈王国最強〉とうたわれる剣士で。

 わたしの周りには、そんな父に教えを受けた腕利きの剣士がたくさんいる。

 何があっても家の誰かが助けてくれるのだから、


 そんな幻想を心の底から信じるほどに、〈王国最強〉の剣士に守られた日々の暮らしは、少女に絶大な安心感と――致命的な危機感の欠如をもたらしていた。


 だから、少女はまだ知らなかった。知ろうもしなかった。


 この世界に、真に安全な場所など存在せず。

 また悲劇は――血の貴賤きせんを問わず、万人に平等に訪れるものだということを。

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