第6話 糸口を探して

「――それまで!」


 審判役のヴィオラが腕を上げた。勝負ありだ。

 ローザリッタと師範代は所定の位置まで戻ると、もう一度深々と頭を下げる。


「……お見事でございます、お嬢様。お館様と手合わせした時は、さながらいわおのような威圧感を覚えたものでございますが、お嬢様も腕前もまた遜色そんしょくございません」


 師範代が複雑そうな顔をしながら賛辞さんじを送った。

 無理もないことだ。いくら〈王国最強〉の愛娘とはいえ、自分の子供とさほど変わらない年頃の娘に、ああも見事にやられてしまえば、己の非才を嘆きたくもなるというものである。


「いえ、紙一重でした。それに、師範代は午前の稽古を終えられたばかりですし」

「剣士たるもの常在戦場。いかなる状況においても技量を十全に発揮できなくては意味はありません。自分の完敗です」


 師範代の謙虚な物言いに、ローザリッタは思わず笑みがこぼれた。彼の禁欲的な態度は好感が持てる。わたしも負けてはいられないと身が引き締まる思いだ。


「……しかし、珍しゅうございますな。お嬢様が道場にお越しになられるのは。奥義を伝授されてからは、森のほうに入り浸っておるようでしたが」


 まだ稽古中であれば、師範代もローザリッタの申し出を断っただろう。

 未熟な門下生がいる前で地稽古――自由に技を繰り出すことを許される形式――を見せるのはどうしてもはばかられる。


「いきなり訪ねてごめんなさい」

「いえ、手隙てすきでしたから。門下生たちも、今は昼餉ひるげを取っておりますし。何かあったのですかな?」

「実は……少し行き詰っていまして。師範代と手合わせすれば、何かつかめるかと思ったんです」

「……自分と?」


 意外な言葉に、師範代は眉をひそめた。


灯籠とうろう斬りさ。聞いているだろ?」


 口を挟んだヴィオラに、師範代は軽くあごを引いた。


「ええ。聞き及んでおります。元服を認める代わりに、宗主――お館様から皆伝の印可いんかの試しを命じられたと」


 こくり、とローザリッタは頷く。

 今朝方けさがた、マルクスから印可の試練を言い渡されたあと、すぐにローザリッタは真剣を持ち出して、件の石灯篭と対峙した。


 彼女は据物すえもの斬りの経験はあったが、岩石の類を斬った経験はなかった。

 それも当然。刀剣は人を斬るための道具であって、岩石のような硬質なものを斬るようにできていない。単に破壊するなら金槌かなづちでも使った方がましである。


 だが、それでも石灯篭を斬ることが元服の――武者修行を許す条件ならば、何としても果たさねばならない。岩石を斬りつけるのは未知の領域であったが、ローザリッタはこれまでに培った技と経験を総動員して挑んだ。


「――その結果、こうなったわけだ」


 苦笑いを浮かべて、ヴィオラは一振りの太刀かたなを差し出した。


 師範代は差し出された太刀かたなを恭しく受け取り、鞘から刀身を抜き放つ。

 官能的とさえ思える優美な曲線を備えた太刀だったが――物打処ものうちどころが大きく欠け、刃をすっかり潰してしまっている。


「……これは酷い」


 師範代はまるで惨殺死体でも見てしまったかのように顔をしかめた。


 太刀において最も硬い場所は刃である。

 ベルイマン派において『攻撃は受けるよりかわせ、どうしても受けなければならない時は刃で受けろ』と教える。


 太刀の構造上、峰や側面は衝撃に対して脆弱ぜいじゃくで、そこで相手の斬撃を受けようものならすぐに折れてしまうからだ。刃で受けるのが、結果的に得物の損傷を最も抑えることができるのである。


 それをここまで潰すほどの一太刀ひとたち

 繰り出したローザリッタの技と力と、そして気迫の凄まじさを物語っている。折れ飛ばなかったのは、この太刀が名刀ゆえだろう。


「確か、お嬢様の太刀かたなはシュミットの作でしたな。この街一番の」

「はい。真剣稽古が許された歳に、父が特別に依頼して打って下さいました」

の刀匠も、この有様を見れば悲鳴を上げたくなるでしょうな」

「……正直、侮っていました。うちには〈殻断からたち〉という技がありますから、それの応用すればできると思っていたので」


 ローザリッタは悔しそうに唇をかんだ。


 ――〈殻断ち〉。

 エリム古流において、硬い甲殻や外骨格を持つ〈神〉を攻略するために開発された技術であるが、ベルイマン派では介者かいしゃ――つまり、鎧兜よろいかぶとまとった敵を正面から打倒するための技法へと転化している。


 その内容は文字通り、硬い甲殻を断ち斬るほどの高威力の斬撃。

 全身の筋肉から生じる運動量を余すことなく剣先に乗せ、正しい刀線刃筋を維持しながら。ただ力任せに剣を一点にぶつけるのとはわけが違う、緻密な太刀筋と身体制御を求められる絶技であった。


 とはいえ、元来、防具とは斬られないように作られているもの。

 革鎧かわよろいが一般的だった時代ならいざ知らず、冶金技術やきんぎじゅつの向上で鎧の質がいちじるしく頑丈になった現代では、もはやすたれつつある技だった。


 そもそも、ベルイマン派の剣士は針の穴に糸を通すような緻密な運剣が可能。

 狙って相手の鎧の隙間に切っ先を通すことができるのだから、殺傷するための手段としてはそちらの方が効率が良い。対人戦闘において、〈殻断ち〉のような高威力の技はあまり需要がないのだ。


 それでも型に組み込まれているのは、このような試しがあるからか、とローザリッタは内容を言い渡された時に思ったのだが――


「〈殻断ち〉でも駄目でした。表面を多少砕くことはできましたが、あれではとてもとは言えません」


 試練は予想以上に難しかった。

 単に石灯籠が硬かったというだけではない。石という材質が持つ特性こそが厄介だった。


 マルクスより課させた試練は石灯篭を『斬る』ことだ。

 砕くと斬るとでは、その意味が大きく異なる。


 そもそもという現象は、刃を押し当てられた物体が、左右に引っ張られる応力によって変形する性質を利用して分裂することをいう。


 つまり、逆に硬いだけで粘りのない石などは、斬るということに関してはまったくの不向きなのである。何せ、のだから。


 石灯篭を斬るという行為は、いかにして斬れないものを斬るかという問いかけに他ならない。技術習得の総仕上げ、皆伝の印可を得るに相応しい難問と言えた。


「師範代も皆伝印可を授かった御方おかた。手合わせをすれば、何か解決の糸口が見えてくるかと思ったのですが……」

「なるほど」


 自分を指名した理由がそれか、と得心したように師範代は頷く。


「お教えしたいのは山々ですが……印可の試しは他言無用のおきて。どうかご理解いただきたい」


 深々と頭を下げる師範代に、ローザリッタは慌てたように手を振った。


「違います違います。答えを聞き出そうとか、そういうのじゃありません。そんな恥知らずではないつもりですよ」

「……知ってほしいなあ、恥。半裸同然で外に飛び出すのは恥じゃないとでも?」

「あれは、若気の至りです」


 ヴィオラの茶々に、ローザリッタが渋面を作る。

 元服できると勝手に思い込んで舞い上がっていた今朝の自分が、情けなくてしょうがない。


「しかし、困りました。これ以上の太刀かたななんてすぐには用意できないでしょうし、研ぎに出すにしても時間がかかるでしょうし……」


 思い悩むローザリッタに、師範代はばつの悪そうな顔をした。

 おきては掟。破ることは許されない。が、麗しい少女の悲痛な顔を見るのは、どうにも居心地が悪かった。彼はあごに手を添えて、しばし考え込む。それが試練の真実に抵触するかどうか測っているかのように。


「試しの核心を語ることは許されませんが……自分が用いたのは無名の太刀です。名刀であれば達成できるような、単純な試練ではありません」

「……そうですか」


 ローザリッタは安堵あんどの息を吐く。

 少なくとも、名刀探しはしなくて良さそうだったから。


「つまり、武器の性能に因らない何かが必要だ、と仰るのですね」

「それは……お答えしかねますな」


 言っているようなものではあるが、具体性はまったくない。これくらいの助言ならいいだろう、と心の中で宗主にびる。


「道具の性能は無関係とはいえ、それでもこの太刀は早めに研ぎ師に見せたほうがよろしいでしょう。芯は折れていないようですが、どこに疲労が蓄積しているかわかりませんから。次は折れ飛ばないとも限りません」


 師範代は丁寧に納刀すると、受け取った時と同様に恭しく持ち主に返した。


「そうですね。せっかくの頂き物をこのまま放置するのは、さすがに気がとがめます」

「そういった心のおりが、本番に臨んでは大きな歪みになるものです。行き詰った時は気分を変えることも肝要。御用達ごようたしの職人を呼ぶのは簡単ですが、久しぶりに鍛治町まで降りてみてはどうですか。歩きながら考えれば、何か閃くやもしれません」

「……ご助言、痛み入ります。では、さっそく」


 笑顔で一礼をして、ローザリッタはきびすを返した。

 気丈に振る舞っていても、その小さな背中には悲壮感が漂っている。地稽古で何も掴めなかったのは明白だ。先程の助言も、どれほど意味があるだろう。


「お嬢様!」


 その姿を労しく思ったのか、師範代が声を投げかける。

 はい、とローザリッタは肩越しに視線を向けた。


「……ご案じなさいますな。自分のような非才な者にも成し得たのです。お嬢様であれば、きっと試練を乗り越えることができましょう」

「ありがとう。――ええ、何としても果たさねばなりません」


 決意を込めてローザリッタは言った。悲痛な横顔だった。



 ◆◇◆◇◆◇



「……我ながら、ずいぶんと無責任なことを言ったものだ」


 主従が去った道場で、師範代は一人ごちる。

 先ほどの地稽古で放たれた、あの見事な〈切り落とし〉。とても十六の小娘の技とは思えない。己が十六の時、あの練度に達していただろうか。いや、到底及ばない。恐ろしいまでの剣の才覚に身震いする思いだ。


「非才にも、か。非才だからこそ、が正しいのかもしれんな」


 このような無理難題を課せられた少女を気の毒に思う。

 石灯篭を斬る。それは数年前、自身に課せられた試練の内容とほぼ同質のものであり、彼はその答えを知っている。


 だからこそ見えてしまう。彼女の――決して覆せない未来が。

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