第40話 薬膳

〈ミノーズ〉に逗留とうりゅうを開始してから四日目の朝を迎えた。


 本人の言葉通り、リリアムは二日目以降から徐々に体調を取り戻しつつあった。今朝に至っては寝起きの気怠けだるさもなくなり、鳴りを潜めていた食欲も復活。生けるしかばね同然だったのが嘘のように、部屋に朝餉あさげの膳が運ばれてくるなり、一心不乱に掻き込んでいる。


「うー、美味しい……五臓六腑ごぞうろっぷに染み渡るとはこのことね……!」


 膳の上に並べられたおかずを次々と口に放り込みながら、どんぶり茶碗に山盛りにされた削いだ牛蒡ごぼうと一緒に炊き込んだ麦飯を、既に半分以上を平らげたリリアムが至福顔でしみじみと言った。


「体調が戻ったようで何よりです」


 いつもの風景が戻ってきたことにローザリッタは安堵する。ここ数日、億劫そうにせっているリリアムは見ているのも辛かった。


「三日ぶりのまともな食事だもんな。さぞや美味いだろうさ」


 おひつからローザリッタの分の牛蒡飯を取り分けながら、ヴィオラが言った。

 こちらもどんぶり茶碗。リリアムほどではないにしろ、剣術遣いである以上、ローザリッタもそこそこの健啖家である。鍛え抜かれた肉体を維持するには、常人以上の栄養が必要だ。


「空腹であることを差し置いても、ここの料理は絶品ね。最初の三日間食べられなかったのが残念でならないわ。……あれ?」


 はた、とリリアムが何かに気づいたように箸を止める。


「私のだけ小鉢が一つ多いわね」


 視線の先には二人の膳にはない小鉢があった。花の形をした陶器の器に盛られているのは艶やかに光る黒豆の煮つけだ。水飴を加えて煮ているのだろう、煮崩れ一つない皮の光沢が何とも上品で、磨き抜かれた黒曜石のようにも見える。


「あ、それはきっと女将さんからですよ」


 ローザリッタは老女将とのやり取りを思い出しながら言った。


「リリアムの生理が重たいと知って、わざわざ用意してくれたんです」

「……さすが老舗の旅籠はたご。気遣いが行き届いているわね。ありがたく頂戴しましょう」


 リリアムは箸先で器用に一つずつ摘まんでは、黒豆を口の中に放り込む。噛みしめるほど、自然な甘みが舌の上いっぱいに広がる。


「……うん。甘くて美味しい。あとで女将さんにお礼を言わなきゃ」

「是非、そうしてあげてください」

「それはそうと、昔っから血が足りないときは黒豆を食えって言うけど、冷静に考えると、どうして黒豆が貧血に効くのかしらね?」


 文明水準が高いレスニア王国と言っても、民間の医者の数は決して多くはない。薬も未だ貴重で高価なものであることには違いなく、体調を崩したとしても軽々に医者にかかることはできないのが実情だ。


 そのため、それぞれの地域には、そこで暮らしてきた先人たちの膨大な試行錯誤と経験則によって編み出された独自の対処療法が浸透しており、一種の文化として定着している。いわゆる、であるが、それらは医学的な根拠が希薄な上、迷信やまじないの域を出ないものも多い。リリアムがそうであるように、ほとんどの人々は何故それらの方法が一定の効果を示すのかを理解しておらず、半ば慣習的に活用しているにすぎなかった。


「腎臓に似ているからだよ」


 さらり、とヴィオラがリリアムの問いに答える。


「薬膳では『似た形のものはその部位に影響を与える』って考えられているんだ。豆は腎臓に形が似ているから、腎臓を助ける食材だと言われている」


 薬膳の世界では腎臓は精を貯め、そこから骨や髄、血を作るとされている。生殖機能を支える部位としても位置づけられており、単に血の不足を補うだけじゃなく、機能そのものを高めてくれる黒豆は、生理が重いリリアムにはもってこいの材料と言えるだろう。


「それって、目が疲れた時は魚の目玉を食べろ、みたいなやつ?」


 リリアムの問いに、ヴィオラが感心するように口角を上げた。


「お、よく知っているな。その通りだよ。肝臓が弱っているときはきも、胃が弱っているときは胃袋って具合で、弱っている部分と同じ部位の家畜の肉を食べるっていうのもそうだな」

「ふうん。目玉にしろ内臓にしろ、お肉は自分の血肉になるって感じがするから理解しやすいけど、肉と野菜で全然違うのに、形が同じだったら影響を与え合うのか。なんだか〈古の信仰〉にも通じる考え方ね」


 世界に広く流布する〈古の信仰〉の中には言霊の概念があり、意味が違っていても音が同じものは見えない糸で繋がっていると考えられていた。


 例えば、不浄ふじょう不定ふじょうはそれぞれが別の意味を持つ言葉同士だが、身体が不浄のままでいると、太刀筋の不定に繋がってしまうと信じられており、それを避けるために、ローザリッタたちを含む剣術遣いたちは常に身綺麗を心掛けている。


「もしかしたら、根っこは同じなのかもしれませんね」


 牛蒡飯を口に運びながら、ローザリッタが言った。


 生きることは食べること。遥か昔の時代から、人間は様々な自然の恵みを口にしてきた。その中に、単に飢えを満たすだけでなく、体調に影響を与える食べ物を発見し、それを薬、または毒として分類することを覚えたのだろう。


 そして、それらをより効果的に活用するために、薬効の類似性や法則性を見出そうとする中で人々の生活に根差した〈古の信仰〉と結びつき、似ているものは互いに影響するという着想を得たのかもしれない。あるいはその逆の可能性もある。いずれにせよ、賢人ではない彼女に確たる答えは出せないのだが。


「つっても、全部が全部じゃないぞ。実際に薬効があるものも存在するってだけで、いくら形が似ていても、人間が口にしたらヤバいものだってたくさんあるんだ。例えば、男の精力増強剤としてきのこが使われることがあるけど、世の中には、どう処理したって人間には食べられない毒茸どくきのこも存在するわけだからな。ま、あくまでそういう考え方ってだけ……え、何、顔赤くしているんだ?」


「「いえ、なんでも」」


 咳ばらいが一つ、いや二つ。少女二人が何に反応したのかは、当人たちにしかわからない。


「それにしても、意外ね。ヴィオラさんがそこまで薬膳に通じているなんて」

「どっかの修行馬鹿が無茶ばっかりするかな。控えろって言っても聞かないもんだから、本格的に身体を壊さないように何かできることはないかってあたしなりに考えて、ちょっと勉強したんだよ」


 じろり、とヴィオラからめつけられ、ローザリッタは気まずげに目を逸らしながら、自分の牛蒡飯をぱくぱくと食べ始めた。


「主人想いの良い側仕えね。もしかして、この間、差し入れしてくれた干し葡萄ぶどうも?」

「ああ。薬膳において葡萄は気血同源。血を補い、気を養うとされる。甘くて食べやすいし、あの時のリリアムにはいいんじゃないかって思ってな。乾物つながりで小豆でもよかったんだが、まあ、旅の途中だしな」


 小豆も黒豆同様に血の患いに効くとされているが、煮崩れを起こしやすい食材でもある。皮が破れる――即ち、に通じる上、腹側から皮が裂ける様子が刀傷を連想させので、平時はともかく、勝負事の前や危険が伴う旅の途中などでは縁起が悪いとして、武芸者は食べるのを避けるのだ。


 無論、こういった行為はあくまで験担ぎに過ぎず、誰も彼もが本気で信じているわけではない。しかし、片や武者修行。片や仇討ち――どちらの旅路も命懸けで険しい道であることに変わりない。それが何事もなく終わってくれるなら、験くらい幾らでも担いでやる。それがヴィオラの想いだった。


「……そこまで考えてくれていたのね。重ね重ね、気遣い痛み入るわ」

「よせやい。一応、旅の仲間だろうが」

「……そうね。確かに、あなたたちがいたから旅程が遅れたのは事実だけど、こうして助け合うことができる。たまには持ちつ持たれつも悪くないわ」


 リリアムは箸を置いて居住まいを正すと、こう言った。


「二人とも。改めて、よろしくね」

「お、おう」

「は、はい」


 真摯な眼差しに、ローザリッタとヴィオラは照れくさそうに頬を掻いた。友人の間柄とはいえ、気恥ずかしいものは気恥ずかしい。


「と、ところで、この牛蒡飯にも何か意味があるんでしょうか?」


 恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、ローザリッタが話題を変えた。


「え? いや、どうかなぁ。牛蒡も薬膳に使う食材ではあるけど、解毒とかそういう分野だったような……」


 答えを出しかねているヴィオラに、リリアムは得意げに鼻を鳴らした。


「ふふん。それに関しては私の勝ちね。客が、よ。お客さんに長く泊まってもらって、たくさんお金を落としてくれっていう験担ぎ。ここに限らず、宿場町ではよく振る舞われるのよね」

「ははぁ、なんとも……商魂たくましいですねぇ」


 ローザリッタは苦笑すると、釣られて二人も笑った。

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