第19話 胸部装甲

「あなたたちが王都に行きたいのなら、ここで別れた方がいいけど?」


 試すような視線を向けるリリアムに、ローザリッタは首を振って応えた。


「別に王都に用があるわけじゃありませんから、リリアムに従いますよ」


 ローザリッタの目的は、旅を通じて真剣勝負を経験することにある。


 確かに、人口の多い王都ならば大勢の剣客に出会えるだろう。他流試合に恵まれる機会も多いかもしれない。


 だが、ローザリッタにとって、自分が理想とする剣士の隣で旅をするという現在の関係は、それ以上に代えがたい経験だった。


「そ。じゃあ、とりあえずこのまま進むわね。……ところで、それ、大丈夫?」


「……それ、とは?」


 ローザリッタは問いかけの意図が掴めず、首を傾げた。


「鎧よ、鎧」


「……ああ」


 ようやく意図を理解したように、ローザリッタは頷いた。


「それなりに重たいですけど、街の外ではなるべく具足ぐそくを身に着けて歩くようにと、お父様から言われていますから」


 ローザリッタは苦笑して答える。


 神代かみよが終わり、人の代へと時代が移り変わっておおよそ千年が経つが、それでも人間は自然を完全に支配したわけではない。


 地震、台風、洪水に旱魃かんばつ

 大自然の猛威を防ぐ手立ては未だ存在しないし、人間が足を踏み入れていない土地もまだまだ存在する。文化圏の外は、依然として人外魔境といって差し支えないのが現状だ。


 旅路を行く愛娘に対し、できるだけ頑丈な装備で身を固めさせたいと思ったのは、マルクスの親心以外の何物でもない。


 もっとも、それが旅装束において正しいとは限らなかった。

 長い旅路において鎧は、文字通り重荷になるからだ。


 よほど肉体に自信がなければ、あっという間に体力を消耗して旅程に遅れが出てしまい、かえって危険に遭遇してしまうというような事態は意外と多い。


 最小限の荷物、最短の道のりで目的地まで駆け抜けるのが旅において一番安全なのである。


 無論、そんなことは軍役に就いていたマルクスも承知しているだろう。


 それでもなおローザリッタに具足の着用を命じているのは、それでも問題ないという、彼女が積み重ねた鍛錬への信頼からだ。


 しかし、リリアムが案じているのはそんなことではなかった。


「別に重さなんて心配していないわよ。あなたはそんなな体力してないでしょ。私が心配しているのは


「着心地……ですか?」


「それ、


 世に出回っている武具のほとんどは中古品だ。


 武器や防具というものは、遣い手の体格や戦闘様式に適したものでなければ意味がないため、基本的に個人の注文によって生産される。


 しかし、そういった注文生産は莫大な費用がかかり、平民ではとても手が出ない。


 騎士や傭兵といった戦闘を生業とする組織用に、画一的に製造した量産品を製造販売している鍛冶屋も存在するものの、それでも価格は言うほど安くはなかった。


 そのため、資金に乏しい――つまり、平民の戦士が頼りにするのは中古品店だ。


 誰かから譲渡されたもの、戦利品として相手から奪ったもの、戦地に捨てられたもの等が店先に並び、その中から自分に合うものを選んで補修したり、打ち直したりして安価に使うのである。


「……どうして、これが中古品だと?」


「女物の鎧なんて、注文生産品か中古品しかないでしょ。注文生産したにしては鎧の型が古いし、だったら中古品かなって」


 武具というものは基本的に男性が着用することを前提に製造される。


 理由は極めて単純で、戦闘職を務める大部分が男だからだ。


 世の中にはローザリッタやリリアムのような女流剣士も存在するものの、それでも数的には男性の割合が圧倒的に多い。需要の大きい男性用に供給が傾くのは当然である。


 なので、ほとんどの女戦士が、胸の膨らみが押し潰されるのを我慢して男性用の鎧を着用しているのが現状だ。


 しかしながら、所持者の体型にしっかり合わせて作る受注生産においては、その限りではなかった。


 ローザリッタの鎧は胸部装甲が前方にせり出しており、胸の膨らみを収める空間を確保できるように板金を形成してある。


 この形状が、女性が装備することを想定して製造された証拠だ。


 単に胸を潰さないだけではない。


 前方に突き出ているということは、相手の武器との距離が近くなり、攻撃が届きやすくなると思われがちだが、装甲を曲面形成することによって刃筋を滑らせ、攻撃を反らせる役割もある。意外に理にかなった構造なのだ。


「ご明察です。これは旅立ちに際して、父が用意してくれたものです」


 ローザリッタは胸甲鎧の冷たい表面を撫でた。


「あの時は武者修行を許された喜びが大きくて、誰の鎧かなんて気にしていなかったのですが……きっと、当家に所縁のある女武芸者のものでしょうね」


 そもそも武者修行を反対していたマルクスだ。


 灯篭斬りの試しの前から鎧を注文したとは考えられないし、試練を終えた後の数日程度の期間では、とても仕立ての鎧など完成しない。


 よって、この鎧は誰かのお下がりだと考えるのが妥当だろう。


「まあ、運よく女物が手に入ったとはいえ、世の中の女が全部同じ体型をしているわけじゃない。自分の体つきに合うようにしっかり調整しないと、知らないうちに体力を奪われるわよ。着心地が悪いって言うのは立派な負荷だからね。無理やり着てたりしてない?」


 リリアムの問いかけに、ローザリッタは嬉しそうに答えた。


「心配無用です! どういうわけか、ぴったりなんですよ! まるで、わたし専用に造られたみたいに!」


「……譲り物なのに?」


「はい。!」


 朗らかな顔つきで、鎧が自分の体型に合致していることを繰り返すローザリッタ。


 それとは対極に、リリアムの表情は険悪になっていく。


「……素直な子だと思ってたけど、そういう嫌味も言えるのね。意外だったわ」


「え?」


 どのあたりが嫌味だったのか、ローザリッタは理解できずに困惑する。


 その時、リリアムが胸元を庇うような仕草をするのが見えた。


 交差したか細い腕の奥、胴体を包む軟革鎧が縁取った彼女の胸元は――膨らみがまるでなかった。


 鎖骨のあたりから腹部にかけて、すとん、とほぼ垂直に生地が流れている。


 いくら鎧と言っても材質が軟革――硬化処理を施していない革であれば、金属鎧と違って体の線がいくらか出るものだ。


 しかし、それがない。見事なまでに。


 そんなリリアムに比べて、ローザリッタの胸部装甲は前面に大きく山なりに突き出ており、立体感がある。


 その内側に広がる空間の収納容積の広さは容易に想像がつくし、何より、それがぴったり満たされているということは――


「リ、リリアムはとっても魅力的ですよ!? 細いし、ちっちゃいし、お人形さんみたいでとても可愛いです!」


 ようやく不機嫌の理由を察することができたローザリッタが、しどろもどろにまくしたて始める。


 その言葉通り、リリアムは華奢だ。


 鶴のように優雅な首筋。柳のようにほっそりとした腰。四肢はすらりとして贅肉の欠片もない。


 色素の抜けたような白い肌は、艶やかな銀髪と相まって浮世離れした妖しさをかもしており、なるほど、ローザリッタの言うように精巧に作られた人形を思わせる可憐さだ。


「見てください、わたしの足を! 太いでしょう!? リリアムと比べたら、もう大根と牛蒡ごぼうと言いますか! 殿方は細身の女性が好みと言いますし、さぞや王都ではお持てになったんじゃないですか!?」


「べ、別にそんなことないけど……」


 褒めちぎられて満更でもないのか、リリアムの表情から険が取れ始める。


 だが――


「だいたい、胸が大きいからってちーっともいいことなんてないですよ! 揺れて邪魔だし、足元だって見えづらいし、体積が無駄に大きいから湯船に入るとお湯が溢れてもったいないですし!」


「――先、行くから」


 絶対零度の視線を注がれ、ローザリッタは閉口した。


 肩を落とすローザリッタを無視して、リリアムはすたすたと先をく。


 よほど機嫌を損ねたらしい。


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