第六章 いうことをきかないぼくのうで ~爆炎の矢~


          ☆


 焦げ臭い煙が夜風に流れて散るのを待つことなく、シャルタトレスは剛弓を背負って腰の後ろの鉈に手を伸ばした。

 威力こそ絶大だが、本来あの爆炎のラッハバラサムは、短時間に何発も使えるようなものではない。隠密性を必要とされる任務の多いシャルタトレスにとって、あれはいわば最後の最後に一発だけ放つ、一撃必殺の一矢なのである。

 それをシャルタトレスは、今夜すでに三本も放っていた。無駄に撃ったつもりはないが、これ以上はシャルタトレスへの負担が大きすぎる。自身の体感でいえば、あと一、二発使うのが限界だった。

「……大人数相手に二発使ったことはあっても、ひとりの敵に二発撃ったのは初めてだよ。それだけは認めてやる」

 最初の邂逅の時は、先を急ぐあまり生死の確認をおこたった。そのせいで余計にラッハバラサムを使うはめになったと考えれば、同じしくじりはしたくない。巨大な鉈を鞘からはずして右手に握り締め、シャルタトレスはユーリックの死体を捜し始めた。

「……?」

 焼け焦げた木々の枝を無造作に切り払い、ユーリックがいたあたりまでやってきたシャルタトレスは、当然そこにあるはずの死体がないのを知って目を細めた。あの一撃でこなごなにはじけ飛んだ可能性が脳裏をよぎらなくもなかったが、シャルタトレスはそこまで自分に都合のいい考え方をする人間ではない。いい可能性と悪い可能性が目の前にある場合、つねに悪いほうを選んで次の行動に移るのをつねとしている。長生きしたければそれを徹底しろというのが死んだ先代からの遺言だった。

 だからシャルタトレスは――信じがたいことだが――さっきの一撃でもユーリックを仕留めきれなかったかもしれないと考え、素早くその場から離れた。

「……本当か? だとしたらどうやって?」

 かるがると木の上に飛び上がり、闇の中で目を凝らす。爆炎の残り火があちこちでまだゆらめいているが、彼女の視界の中で動くものは見当たらない。

 シャルタトレスはしばしそのまま息を殺していたが、自分の思いすごしかと緊張の糸をゆるめようとした瞬間、背後からの殺気を感じてろくに確認もせず大きく飛んだ。

「……っ!?」

 空中で身をひねって着地したシャルタトレスは目を見開いた。

 まるで小枝を折り取るように、黒く巨大な手が、さっきまでシャルタトレスがしゃがみ込んでいた太い枝を掴んでへし折っていた。

「てめえ……? さっきの小僧、だよな?」

 太い生木の枝をやすやすとへし折るその手は、熊の前足よりもさらに大きく、黒光りしていて、五本の指先はナイフのように鋭い鉤爪になっていた。凶悪なデザインの籠手のように見えなくもないが、サイズとしてはどう考えても大きすぎる。

 だが、その枝をむしり取って投げ捨て、ゆっくりとこちらへ歩き出したのは、見覚えのある派手な縞模様の勢子の衣装の少年――ユーリック・ドゼーだった。

「てめえ、その手……どうなってる?」

 最初のラッハバサラムを食らった時点で、ユーリックは作り物らしい右腕を失っていた。だが、今そこにいるユーリックには両腕が揃っている。しかもその腕は、以前のものよりひと回り大きく、その形状も変貌していた。

「まさかてめえ、失った腕を自分で作り直せるのか? おまけにさっきよりデカくなってやがるしよ……!」

 残り火の赤さを跳ね返して黒光りする、まるで怪物を思わせる両手をぶら下げたユーリックは――あちこちに火傷はあるものの――深手を負った様子はなく、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。その表情がどこか朦朧としているように見えるのは、至近距離で爆炎に巻き込まれた影響なのかもしれない。

「――ったく!」

 ふたたび弓を手に取り、シャルタトレスは矢筒から数本引き抜きながら横に走った。

 ユーリックの腕がどういうからくりになっているのかは判らないが、生木を引き裂くほどの怪力を発揮するユーリックをこのままにしておくのは危険すぎる。ユーリックの視覚に回り込むように走りながら、シャルタトレスは指先にはさんだ三本の矢を間を置かず続けざまに放った。

「――――」

 正確に急所を狙った矢はユーリックの手ですべてはじかれた。あの両手があるかぎり、なまじの矢では急所を撃ち抜けないだろう。もっと速い矢、あるいは魔法をまとわせた矢でなければ、この少年を殺しきるのは難しい。

「う……」

 ユーリックは巨大な手で顔を押さえ、近くの木に寄り掛かった。

「あ? やっぱ本調子じゃねえってわけか? なら今のうちに――」

 次の矢を引き抜こうとしたシャルタトレスの眼前に、不意にユーリックが踏み込んできた。少年の双眸には闇夜を徘徊する狼を思わせる異様な輝きが宿り、それがシャルタトレスを――信じがたいことに――総毛立たせていた。

「!?」

 顔面を掴みにきたユーリックの手からどうにか逃れ、シャルタトレスは頬を手の甲で拭った。

「てめえ……!」

 爪が軽く触れただけで、シャルタトレスの頬がざっくりと裂けていた。もうワンテンポ避けるのが遅れていたら、顔面をぐしゃぐしゃにされていたか、さもなければ頭を握り潰されていたかもしれない。

「――やりやがったな、このガキが!」

 ふたたび三本の矢を引き抜き、ユーリックとの間合いを広げながら、今度は少しずつ狙いを変えて矢を放つ。またたきひとつふたつの間に別々の三つの的を射抜くほどの技術を持っているのは、一族の中でもシャルタトレスただひとりだった。

 三本のうちの一本ははじかれたが、残りの二本の矢は、シャルタトレスに追いすがろうとするユーリックの左肩と右の太腿に食い込んでいた。だが、それでもユーリックの動きは止まらない。横殴りに飛んできた鉤爪は何とかかわしたものの、ユーリックは次の矢を放とうとしていたシャルタトレスに肉薄し、不格好な前蹴りを繰り出してきた。

「――ぐっ!?」

 シャルタトレスは咄嗟に腰の鉈を引き抜いてかざし、ユーリックの蹴りを受け止めようとしたが、厚みのある刃が欠けただけだった。かるがると吹っ飛ばされたシャルタトレスは、背後の木の幹に背中ら叩きつけられ、息を詰まらせた。

「て、て、めェ……?」

 鉈を持っていた右腕はもちろん、背中から全身に激しいしびれが走り、シャルタトレスは前のめりに膝を屈した。左手の弓は手放していなかったが、いつ落としたのか、右手に持っていたはずの鉈は見当たらない。一時的に平衡感覚が麻痺し、立ち上がるのも困難だった。

「な、で、こん、な……きゅ、急に、バケモン、みてぇに――」

 ユーリックの豹変の理由はシャルタトレスにも判らない。判っているのは、ふてぶてしいセリフを吐いていた少し前のユーリックと、今ここにいるユーリックとでは、何かが決定的に変わってしまっているということだった。

 シャルタトレスが弓を握り直して立ち上がる前に、無造作に近づいてきたユーリックがシャルタトレスの頭を鷲掴みにしようとした。

「――伏せろ、女頭領!」

 どこからかそんな声が飛んできて、おびただしい数の矢がユーリックに殺到した。

「……!」

 声にならない小さな呻きをもらし、ユーリックは顔や胸の急所を巨大な両手でかばいながらじりじりとあとずさった。

「おい、意識はあるか、女頭領?」

 荒い息をついているシャルタトレスのかたわらに、彼女と同じ小麦色の肌を持つ精悍な顔つきの若者がやってきた。シャルタトレスより三つ四つは若いだろうか、シャハラニと同じくらいかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る