第三章 謀略の森 ~しあわせな結婚?~




 なるべく噛み砕いて簡単に説明してほしいと頼まれ、レティツィアはあからさまに眉をひそめた。

「……アマユールさまのことは、食事の時にみんなに向けて説明があったよね? きみもわたしの隣で神妙な顔で聞いていたはずだけど?」

「いや、それはそうなんだけどね」

 薪がぱちぱち鳴く音を背中で聞きながら、クリオは小さな声でレティツィアに弁解じみた口調でいった。

「何ていうかこう……一度にたくさんの人名とか地名が出てくるとこんがらがっちゃうじゃん? だから、わたしがこうかな? って理解したつもりになってることがホントに正しいかどうかを確認したいわけ。それこそ無礼のないように!」

「……そういうことなら仕方ないけど」

 溜息といっしょに肩を落とし、レティツィアはうなずいた。

 ローラン伯夫人一行あらためバルデ公ご令嬢一行は夕食をすませ、静かな眠りに就こうとしている。レティツィアとクリオも、二時間の歩哨任務が終われば自分たちのテントに戻って休むことになっていた。

 一行の夜営地の周囲をランプをかかげて歩きながら、レティツィアはそもそもの部分から説明し始めた。

「アマユールさまがどういうお立場のかたか、そこは理解している?」

「王族でしょ?」

「……ざっくりしすぎだけど、まあ、間違ってはいないよ」

 先代のフルミノール国王リュシアン二世には複数の兄弟姉妹がいた。もともとレティツィアたちが護衛するはずだったローラン伯夫人メルバインも、リュシアン二世の妹である。

「二世陛下には腹違いの兄君がおられて、バルデ公に封じられていたんだけど、このかたはもうお亡くなりになっている」

「あ! ちょ、ちょっと待って! 今ちょっとまとめるから!」

 クリオは自分のランプをレティツィアに押しつけると、腰の剣を抜いてがりがりと地面に線を引き始めた。

「えーと……先代の陛下が二男で、バルデ公? って人が長男? 妹さんが、例のメルバインさまで――」

「そう。それで、現在はバルデ公のご長男が新しいバルデ公ということになっている。つまり、今の陛下にとっては従兄に当たるおかただね」

 クリオが描いた簡素な系図に補足を加え、レティツィアは説明を続けた。

「この、現在のバルデ公というおかたはもう五〇代もなかばにおなりだと思うんだけど、その……いろいろとおさかんだという話で」

「え? 女好きって意味?」

「……はっきりいってくれてありがとう」

 やんわりとした表現を模索する努力を無視したクリオにランプを突き返し、レティツィアはふたたび歩き出した。無数に焚かれた焚き火の明かりが、周囲のテントにくっきりとした陰影を描き出している。

 夜明けまで火が絶えることのないよう、そちこちの焚き火に少しずつ薪を放り込んで歩きながら、レティツィアは小さな声でいった。

「……そういうおかただから、バルデ公には奥方と複数の愛人たちの間に、一〇人以上のお子さまがいらっしゃるんだ」

「何ていうか……」

「やめて。たぶんそれ、失礼なことだから」

 レティツィアはクリオの唇に人差し指を当てて少女の言葉をさえぎった。

「――ちなみに、そのバルデ公のご長男が、わたしたちの先輩でもあるライールさまのお父上なんだ」

「え? あの、みんなが王子さまとかいってる人? あの先輩がバルデ公の……つまり孫ってこと? でも、確かあのアマユールって子は」

「そう。アマユールさまはバルデ公の末のお嬢さま。ライールさまのお父上にとっては妹君ってこと。年齢的にはちょっとおかしなことになってるけど、アマユールさまはライールさまの年下の叔母に当たるということになる。……どう? ここまではちゃんと理解した?」

「うん。――で、本当ならわたしたち、メルバインさまの狩りのお供をするはずだったのに、それがどこであの小生意気な子に入れ替わってたわけ? 確か……ボドルムに送り届けるっていってなかった? 婚礼前の顔合わせだとかどうとか」

「それは覚えてたんだ」

 どうもこのクリオドゥーナ・バラウールという少女には、王公貴族に対する敬意というものが根本的に欠けている。といって、彼女が尊大だというわけではない。おそらくクリオの中では、王も公も貴族も平民も、特に区別がないのだろう。

 ただ、それをここで指摘しても話が長引くだけなのは判りきっていたから、レティツィアはそこには触れなかった。

「でも、婚礼ってどういうこと? あの子が結婚するの?」

「ほかに誰がいるの?」

「わたしが聞いてるんだけど?」

「だから、アマユールさまの婚礼だよ」

「ん? だってあの子、まだ一一歳――」

「わたしの一番上の姉は、一二の時にはもう婚約者がいたよ。政略結婚が当たり前の王公貴族ならままあることだと思う」

 その下の姉も、有力貴族に嫁ぐことを前提に、幼い頃からさまざまな習いごとを母から仕込まれていた。兄たちといっしょに剣術や馬術の修練に精を出していたレティツィアは、貴族の娘としてはかなり異端なほうだという自覚はある。

 クリオは眉をひそめ、

「政略結婚て……一一歳の子に何をさせる気なのってカンジなんだけど」

「あら? きみ、さっきはアマユールさまを生意気とかっていっていたのに、急にどうしたの?」

「それは事実! あの子が生意気なのはね。でもそれとこれとは話が別だって。……だいたいボドルムって、二〇年くらい前は敵だったんだよね?」

「確かに連合軍に加わってはいたけど、もともとあの国は、アフルワーズのように強烈に我が国を敵視していたわけじゃないからね。地理的な関係性でいえば、むしろ古来からの友好国だった。……って、この前の講義でやったよね?」

「そうだっけ?」

「そうだよ」

 ボドルム王国は、前の戦争ではアフルワーズに焚きつけられるような形で連合軍に加わった。だが、その結果手に入れたものはほとんどない。莫大な戦費と人命をついやしながら、ボドルムがフルミノールの領土を切り取ることは叶わず、ただ古来からの友好関係を壊しただけだった。

「おそらくアフルワーズがボドルムを連合軍に迎えたのは、戦力的に重視していたわけではなく、単に我が国の味方を減らしたかっただけだったんじゃないかな」

 現にボドルムは、戦後たびたびアフルワーズに経済援助を求めたが、アフルワーズ側のボドルムに対するあつかいは冷淡にすぎた。とてもかつての同盟国に対するそれではない。

「それじゃボドルムは何にもいいことなかったってわけ?」

「だろうね。……それもあって、近年のボドルム政府内では、我が国との良好な関係を復活させようという一派が発言力を強めているらしいんだ。アフルワーズはたのむに値しない、やはりフルミノールにつくべきだ、ってね」

「……何か調子よくない、それ?」

「心情的にはそうかもしれないけど、我が国としては、ふたたびアフルワーズと激突する際に背後を突かれたくはないからね」

「そのための戦略結婚?」

「だと思うよ」

 嫡流ではないとはいえ、系図上、アマユールはリュシアン一世の曾孫、現国王であるリュシアン三世から見れば従兄の末娘、じゅうてつに当たる。そのアマユールがボドルム王家の若者に嫁げば、両国の結びつきは戦前のそれよりもはるかに強いものになるだろう。フルミノールは旧連合軍の一角を切り崩して味方につけることができ、ボドルムは低迷した経済を再建できる。たがいにメリットの多い――あくまで国同士にとって――幸福な結婚になるはずだった。

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