第二章 彼らの嘘 ~モドリコ商会~
「その親父どのがフルミノールに向けてチャグハンナを送り出した……? あの気取った髭の王サマでも暗殺させるつもりか? いやいや、ありえんだろ」
「それがしもそう思います」
「となると、誰かが親父どのの名をかたって指示を出した……か?」
「不可能ではございませんが、ごく一部のかぎられた者にしかできぬ芸当ですぞ?」
「逆に誰ならできる?」
「たとえば……はばかりながら、お妃さまであれば、陛下がお持ちの印をひそかに持ち出すというようなこともできますでしょうし、それを使って偽の勅書を作ることも可能ではないかと」
「そりゃそうだが、お袋どのがそんな真似をするか? 政治のことはまるで判らん人間だぞ?」
「確かにそうでしょうが、可愛い息子のためであれば時に人をも殺すのが母親という生き物でございます」
「オレもお袋どのにとっては息子なんだがな」
「一応はそうでしょうな。ですが、お妃さまにはお子が多くおられますゆえ」
「…………」
また不愉快そうな表情を浮かべたウバイドの手から、大ぶりな壺をひょいと引ったくったサブルーは、空になった自分のグラスになみなみとワインをつぎ足した。
「……近頃フルミノールの王宮内には、ボドルムとの友好関係を密にしようとする動きがあるようでして」
「ボドルムか……この国からはかなり遠いな」
「我が国の宮中でも、そのことに神経をとがらせている者がいるとか……チャグハンナが何のために動き出したか、相手が相手だけにおいそれと嗅ぎ回ることもできませぬが、まんざらそのことと無関係とも思えぬふしがございます。まあ、確証はございませんが、調べさせる意味はあるかと」
「お、いいぞ、やれやれ。で、いざとなったら親父どのに教えてやりゃあいい。――誰かが大酋長の名をかたってチャグハンナを勝手に動かしたってな」
「確たる証拠もなくそのようなことを奏上するのは――そのためにまずは裏を取るべきと申し上げておるのですぞ?」
「気にすんなよ。気にしすぎると早く老け込むぞ」
ウバイドはグラスを放り出すと、サブルーからワインの壺を奪い返し、それを傾けてじかに飲み始めた。
「……ま、大胆、豪胆であることは重要でございますな」
ごぶごぶといきおいよくワインを飲む王子を見つめ、サブルーは小さく笑った。
古来の例に倣えば、大酋長の座を目指して夢破れた王子たちのほとんどは、あらたな大酋長のもとで臣下として屈辱的な一生をすごすことになる。ただ、それはまだましなほうで、中には何かしらの理由をつけて粛清される者も少なくはない。
ウバイドが生きているのはそういう殺伐とした世界であって、それを十分に理解しながらこうして泰然と酒を飲んでいられるのは、やはりひとつの才覚といえるのかもしれない。
☆
校内からすべての生徒たちがいなくなる長期休暇といっても、教官たちも同じだけ休めるわけではない。休暇明けからの講義の準備やスケジュールの見直し、確認といった、ふだんはやらない作業はこの期間中にすませなければならないし、実技が多いだけに、備品や馬のチェック、場合によっては校舎の補修といった仕事までやらなければならないこともある。
無論、それらは実際に講義を受け持つ教官たちの役目であり、学長にはもっとほかの仕事がある。たとえばガイエン・モーズが学長となってからは、寮の厨房に納入される各種食材の卸業者の選定には、学長みずからが加わることになっていた。いわく、そうした部分は業者との癒着、汚職の温床になりかねないため、ことさら入念に目を光らせておかなければならないのだという。
その日の夕刻、あとは家に帰るだけという頃合いになってモーズを訪ねてきたのも、そうした業者のひとりだった。
「モドリコ商会……? 確かそちらとは先月打ち合わせをしたばかりでは――?」
「担当が代わりまして……私はエルストンドと申します」
ぺこぺこと何度も頭を下げながら学長室に入ってきたのは、木製の杖をついた痩せぎすの男だった。
「それでですね、きょうは学長へのごあいさつに伺った次第でして……」
「そうでしたか。いやはや、わざわざご足労いただかなくとも、次の打ち合わせの時でよかったのですが」
「そこはまあ、ちょっとお話させていただくこともございますので」
「はて? 世間話的なことですかな?」
「またまたおとぼけを……」
テーブルをはさんでソファに腰を下ろすなり、エルストンドは一通の書状をモーズに差し出した。
「どうやら感づかれたようです」
書状に目を通すモーズに、エルストンドは笑みを消し去ってそう告げた。
「ほう? それは確かな情報なのですかな?」
「残念ながら……反対派貴族どもの動きから見て、十中八九間違いないかと」
複数のボドルム高官のサインの入った書状をたたんで懐にしまい、モーズは大きくうなずいた。
「――よろしい、この書状は小官が責任を持って、今夜にでも大宰相閣下のお手もとにお届けいたしますぞ」
「お願いいたします」
「ところで、書状を拝見したかぎりですと、反対派の具体的な動きについてはまだ何も判明していないということですかな?」
「はい。確証はまだ……ですが、厄介な連中が動き出したという話もございます」
「厄介な連中?」
「学長は“チャグハンナ”という名前に聞き覚えはございますでしょうか?」
「はて? 耳慣れない響きですが……」
「チャグハンナとは、アフルワーズの古語で“三日月”を意味する言葉なのですが」
エルストンドはテーブルの上に身を乗り出し、声をひそめて続けた。
「……その名前で呼ばれる一族がおります。昔ながらの、狩りをなりわいとして深い山奥で暮らす者どもですが、アフルワーズ王家との間に何かしらの密約があるらしく、莫大な報酬と引き換えに、王公貴族のために汚れ仕事を請け負うのだとか」
「その一族が動き出したと?」
「まだ噂の段階ですが、ありそうな話ではあります」
「確かに、いかにアフルワーズが今回のことに不快感をいだいていたとしても、表立っての抗議や妨害はできますまい。となれば、裏で手を回して……ということにならざるをえませんな」
「いかがでしょう、早急に手を打つことはできますでしょうか?」
「そこはまあ……無論、大宰相閣下とも諮った上で対処はいたしますが、このような事態になる可能性についても最初から考慮しておりました。増援というほど大掛かりな援軍は送り出せませんが、すでに策は用意してありますぞ」
「それは何よりです」
「ですが……」
モーズはことさら大袈裟な溜息をもらし、突き出た腹の上で腕組みをした。
「まずはこの事実を、一刻も早く一行に伝えることが肝要ではないかと。誰か適任の者がいればよいのですが――」
「学長も相変わらず、食えないかたと申しますか、図々しいと申しますか……」
「おや? 小官とあなたはきょうが初対面だと思いますが」
「ではそういうことにしておきましょう」
エルストンドは杖を手にして立ち上がった。ここへ来た時の腰の低さはすでになく、エルストンドの顔には不敵な笑みが張りついている。
「――一行に連絡を取るとしたら、どなたに?」
「生徒たちの引率役として、本校法兵科のジュジュ・ドルジェフ教官が同行しておりますな。彼女であればすべてを打ち明けてもかまわないかと」
「ジュジュ・ドルジェフというと、あの……?」
「ええ、あの、ジュジュ・ドルジェフ女史です」
「……それは頼もしいかぎりです」
意味ありげにうなずき、エルストンドは足を引きずるようにして学長室を出ていった。
「ドルジェフ先生にエルストンドさんがいらっしゃるのなら、存外、援軍は必要ないかもしれませんが……ま、ロゼリーニ翁への報告は急ぎませんとな」
閉じたドアをしばらく見つめていたモーズは、大きく息を吸い込み、膝をひとつ叩いて立ち上がった。
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