第三章 謀略の森 ~寝る子は育つ~

「ただ、アフルワーズからすればボドルムがまた我が国と仲よくなるのは面白くない。当然、この婚礼のことを知れば邪魔しようとするはず……だから伯爵夫人のお名前までお借りして、内密のうちにアマユールさまをボドルムに送り届けるのがこの一行の本当の目的。判った?」

「まあ、何となく」

 ぐるりと夜営地の周囲を回って隊長への報告をすませたレティツィアたちは、自分たちのテントに戻って腰の剣をはずした。

「……それにしてもさ」

 すでに寝入っていた先輩女子たちを起こさないよう、静かに毛布をかぶって横になったクリオは、ごくごく小さく火をしぼったランプを枕元に置き、あくび交じりにいった。

「あの子はそのへん理解してるわけ? 政略結婚の意味とか、自分が誰と結婚するのかとか――あと、一度嫁いでいったら簡単には戻れないわけでしょ? そういうところもちゃんと判ってるのかどうか怪しいんだよね。子供だから当然といえば当然なんだけど、ホント、行動がいちいち子供っぽいしさ」

「……わたしもアマユールさまにじかにお目にかかったのは今回が初めてだけど、聞いていた噂では、とても聡明なおかただという話だったよ」

「聡明? あれが?」

 クリオは眉間のしわを深くして聞き返した。

「こういったらアレだけど、言葉遣いとかヒドかったよ? やんちゃな男子って感じ」

「……それ、きみがいうの?」

「いうから! 当然! ヒドいの! わたしがそう思うくらいに!」

 自分のリュックを枕に、レティツィアは仰向けに横たわった。

「……一一歳という年齢は、確かに大人ではないけど、だからといって自分の立場をまるで察せられないほど子供でもないよ。アマユールさまは、なぜご自身がボドルムに行かなければならないのか、ちゃんとご理解なさっていると思う」

「いや、だって……あの年で政略結婚って」

「釈然としないきみの気持ちは判らなくもないよ」

 クリオ自身も、陸軍学校を首席で卒業できなければ駆龍侯の地位を継承できず、意に染まぬ相手との婚姻を余儀なくされることになる。ほかの生徒たちには伏せてあるが、レティツィアはクリオと国王の“賭け”については祖父から聞いて知っていた。

 ただ、だからといってレティツィアはクリオに首席の座をゆずろうとは思わない。レティツィアにもレティツィアの、ゆずるにゆずれない夢――野望がある。ゼクソールというせまい箱庭の中ですら頂点に立てない女に、大フルミノールの陸軍の頂点に立つことなど土台無理な話だろう。

 だからレティツィアは、クリオに同情はしても手を抜くつもりはない。自分がクリオの置かれた状況について知っているということも教えない。そもそも首席を争うライバルだとすら考えていない。

 レティツィアが自分の首席を奪うかもしれないと警戒しているのは、むしろクリオのそばにつねに控えている少年のほうだった。

「――いや、ちょっとちょっと」

 静かに目を閉じて寝入ろうとしたレティツィアの鼻先を、クリオが綺麗に変色した長い髪でさわさわとくすぐった。

「っぷしっ」

 クリオのいたずらで派手にくしゃみをしそうになり、寸前でそれを抑えた結果、滑稽な声が出てしまった。

「……いったい何なの? もう……」

「説明の途中で何でさっさと寝ようとしてるわけ? ちゃんと最後まで教えてよ」

「……え?」

「だーかーらー! 政略結婚のためにあの子をボドルムに送り届けなきゃいけないってことは判ったけど、それをどうしてこんな面倒なやり方でやってるわけ? 大貴族の娘の輿入れなら、ふつうはもっと華やかで仰々しい行列を仕立てて嫁ぎ先に向かうものなんじゃないの?」

「……そこも説明が必要なの……?」

「だって! 知ってるんでしょ! レッチーは? なのにわたしが知らないって、そんなの何か腹立つし! それに、ここで聞いておけば、あしたユーくんに教えてあげられるじゃん?」

 薄闇の中で、クリオが鼻息荒く顔を近づけてくる。レティツィアはクリオの顔に手を当てて押しのけた。

「……まあ、きみがドゼーくんに大きな顔をできる機会はそうそうないだろうしね」

 うんざりした表情を隠そうともせず、レティツィアは鼻先を指でこすってからあらためて切り出した。

「……この婚姻を機に、我が国とボドルムが戦前のようにいい関係に戻るのは喜ばしいことだけど、でも、世の中にはそれを喜ばない人間もいる」

「誰よ?」

「誰というか……まあ、陛下や重臣のかたがたが想定していらっしゃるのは、おもにアフルワーズだと思う」

「アフルワーズ? ……ああ、あの国はとにかくこの国の足を引っ張りたくて仕方ない感じだもんね」

「そういうこと」

 結局、明確な証拠が出なかったため、責任の追及はおろか正式な抗議すらできなかったが、先日のミリアム・ドートリッシュ誘拐未遂事件にも、何らかの形でアフルワーズが関与していた可能性は高い。講和条約が締結されてから一八年が経過した今も、フルミノールとアフルワーズの間にはぴりぴりとした緊張感がただよっている。

「アフルワーズとしては、ボドルムが自分たちから離れていくのはともかく、フルミノールとふたたび友好関係を築くのは面白くない。だから当然、今回の政略結婚のことを知れば、工作員を送り込んででもご破算にしようとしてくるはずだよ」

「それじゃ、わざわざ伯爵婦人の一行をよそおったのはアフルワーズの目をごまかすため……とか?」

「たぶんね。この一行が実はボドルム王家へ嫁ぐ花嫁を護衛してるだなんて、フルミノールの宮廷内でも知っている人間はほとんどいないと思うよ。要するにそのくらい秘密裏に進めているんだ」

 伯爵夫人が趣味の狩りに出かけるという体をよそおって王都を離れ、わざわざ深い森を抜けてボドルムに向かうのも、街道沿いのルートでは何かと人目についてしまうからだろう。ロッコ隊長は必要最小限の説明しかしなかったが、おそらくレティツィアの推測は間違っていない。

「でもさ、そこまで徹底してるのに、どうしてそこにわたしたちみたいな学生を加えたわけ?」

「これもわたしの想像だけど……失礼なくアマユールさまのお相手ができて、なおかつ護衛のための充分な実力がある女性兵というのは意外に少ないんだ。我が校を卒業しても、実際に軍に入る女子生徒はさほどいるわけじゃない」

「あー……マールみたいに結婚相手を捜しにきてる子もわりといるから?」

「そう。もちろんそのまま軍人になる子もいるけど、そういう子はたいていは平民出身だし、実力はあってもアマユールさまのお相手はちょっと無理だしね」

 あらためて考えてみると、今回選ばれている女子生徒たちは、レティツィアとクリオを除けば全員が四、五年生の成績優秀者、しかも貴族の娘たちだった。要するにレティツィアたちは、貴族としてのマナーと護衛の任にふさわしい実力を持った若い娘という観点で選ばれたのだろう。

「そういう女性兵を軍のあちこちからかき集めてくるより、我が校から連れてくるほうが楽だったんじゃないかな?」

「何よ、それ? おかげでこっちは休暇が潰れちゃったんだけど?」

「文句があるならアマユールさまにいってみたら? ……まあ、その前にカルデロン夫人に叱責されておしまいだろうけど」

 口もとを押さえてあくびを噛み殺すと、レティツィアは今度こそ会話を打ち切り、クリオに背を向けて身体を丸めた。

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