第二章 彼らの嘘 ~失われた手足~
コルッチョの要求通り、今回のクッキーもナッツをふんだんに使ったものにしてもらった。それを錫の缶にざらざらと流し込んでいたユーリックは、ふと思い出した疑問を祖母にぶつけてみた。
「なあ、ばあちゃん。聞きたいことがあるんだが」
「何だい?」
マウリンはキッチンのテーブルにユーリックと向い合わせで座り、サンドイッチを作っている。ひとつはスモークサーモンとハーブ、もうひとつはブルーベリーとチーズの組み合わせで、どちらもユーリックの好みを二の次にしたクリオの好きなサンドイッチだった。
しっかりと封をした錫の缶を小さな木箱に納め、それを隠すように適当に買い込んでおいた安い古本を詰め込んだユーリックは、軽く嘆息して続けた。
「――おれの手足はどこにあるんだ?」
「何だって?」
サンドイッチをふたつに切り分けようとしていたマウリンは、ナイフを持つ手を止めて顔を上げた。
「おれは生まれてすぐの頃に病気で手足を失っただろう?」
「ああ……そうだねえ」
ユーリックが何をいいたいのか理解したのか、マウリンの表情が暗くなった。
物心ついた頃には、すでにユーリックの手足はガラム・バラウールの魔法による作り物に置き換えられていた。はっきりとした記憶すらないほどの幼い頃に腐れの病にかかり、やむなく切断したのだという。
「旦那さまは、切断した手足の代わりにこの新しい手足をくださった。……ただ、おれの記憶違いでなければ、一度だけ聞いたことがあるんだ。おれの本当の手足は、氷漬けの状態で保存してあると。将来、腐れの病を治療する手段が見つかった時に氷の中から取り出して、健康な状態に戻してから移植するつもりでいると」
「旦那さまがおまえにそんなことをおっしゃったのかい? 本当に……?」
「おれがかなり小さい頃のことだと思うし、旦那さまがそうおっしゃったと断言はできないんだが――」
ユーリックが急にこんな話を持ち出したのは、つい先日、ガラムとのやり取りを夢に見たからだった。ただ、夢の中のガラムは、ユーリックの本当の手足については言及していなかった気がする。
「確かに旦那さまなら、切断したおれの手足を一〇年二〇年と氷漬けにしておくくらいはできると思う。けど、たとえ病の治療法が確立されたとしても、治した手足を元通りに継げるとしても、保存されているおれの手足はせいぜい一歳児のものだ。いまさら健康な状態で戻ってきたとしても、まともに役に立つとは思えない」
「……わたしには、そのあたりのことはよく判らないけどねえ」
肩を落とし、マウリンは弱々しくかぶりを振った。
「ただ、旦那さまがおまえの手足を保存しているなんて話は一度も聞いたことがないんだよ。それはたぶん、おまえの記憶違いじゃないかねえ……?」
「そうか。そうだろうな。別に生身の手足を取り戻せるなんて夢を見たわけじゃないから別にいいんだが」
それは決して強がりではない。ここまでの人生のほとんどを作り物の手足といっしょに歩んできたユーリックにとって、生身の手足を懐かしいと思うことなどありえなかった。やはり取り戻せないと判っても、特に落胆することもない。ただ、夢をきっかけにガラムのことを思い出し、どうしても気になって確かめたくなったのである。
「……ふぁあ」
コルッチョへの贈り物を梱包し終えたところで二階からクリオが下りてきた。一応着替えはすませているものの、完全に目が覚めているとは思えない。
ユーリックはオーブンの前に立ち、祖母のスープをあたため直すとともに、フライパンでベーコンと卵を焼き始めた。
「早く顔を洗ってきてください。朝食をすませたらすぐに出発しますので」
「え~、もう行くの? もう少しゆっくりしていったってよくない?」
「きのうも申し上げましたが、夫人のご不興を買うのだけは避けなければなりません。当然、遅刻などもってのほかです」
「それは判るけどぉ……」
「どうしてもとおっしゃるのであれば、あと三〇分ほどなら寝ていてもかまいませんよ? ですがその場合、朝食抜きで出発していただきます。ばあちゃんが作ったサンドイッチは私がふたりぶん食べれば無駄になりませんし」
「あ! ダメ! わたしが食べるから!」
ユーリックの脅しに、クリオは慌てて顔を洗ってきた。
「お嬢さま、荷物になってはいけませんので、ほんの少しですけど……」
顔を拭きながらテーブルに着いたクリオの前に、マウリンがクッキーの入った小さな缶を置いた。
「ありがとう、ばあや! 任務の途中で少しずつ食べるからね!」
「クッキーの持ち込みを禁ずるとはいわれておりませんが、一応、周囲にはばれないようにしてください。ことにレティツィアさまには」
「判ってるって」
ベーコンエッグと豆のスープ、それにサンドイッチで手早く朝の食事をすませたユーリックたちは、後ろ髪を引かれながらもマウリンの家をあとにした。
「そういえばお嬢さま」
辻馬車を拾って乗り込み、ユーリックはクリオに尋ねた。
「いまさらな話ではあるのですが、お嬢さまは旦那さまから――」
「とうさんから? なぁに?」
「……いえ」
おれの手足の行方を聞かされていないか――そんなことを質問されても困るだろう。何しろユーリックが手足を失った時には、クリオもまだ赤ん坊だったのである。何か覚えているはずがない。
「――どうでもいいけどさ、学校の制服じゃ駄目だったの?」
きょうのユーリックたちは、学長から渡された衣装に身を包んでいる。男女ともに同じデザインのこの服が、クリオは今ひとつ気に入らないようだった。
「これを着てこいという指示でしたので。おそらく
「勢子って?」
「貴族が狩りをする際にそれを手伝う脇役とでも思ってください。主役はあくまで伯爵夫人ですので」
「いやでもお洒落じゃないっていうか……」
クリオがぶつぶつと文句をいっている間にも、馬車は人出でにぎわう通りをいくつも横切り、王都フラダリスの第一区画へとやってきていた。
このあたりは王宮の周囲に広がるエリアで、地方に所領を持つ王公貴族たちの都での住まいが集中している。平民たちの立ち入りが禁じられているわけではないが、やんごとなきかたがたの豪奢な邸宅が建ち並んでいるからか、さっきまで通ってきた盛り場とくらべるとはるかに閑静で、独特な雰囲気がただよっている気がした。
「あ、あそこ、何か人が集まってる」
「あそこがローラン伯爵のお屋敷のはずです」
「へぇ……かなり大きくない?」
「このお屋敷は、もともと王家が所有していたものだそうです。それを先代の二世陛下が、妹君に当たるメルバインさまのお越し入れに際して伯爵に下賜なさったとか」
「つまり……大仰な嫁入り道具ってこと?」
「そうともいえるかもしれません」
壮麗な門の前には、今のユーリックたちと同じ勢子の衣装をまとった男たちが集まっていた。いずれもユーリックたちよりずっと年嵩の大人の男たちだったが、その中に何人か、見覚えのある顔も交じっていた。
「ジュジュ先生と……さすがレッチー、もう来てたんだ」
「レティツィアさまのご実家はここからそう遠くないはずですし、当然でしょう」
少し離れたところで馬車を下りたユーリックとクリオがそんなことをいっていると、ふたりに気づいたレティツィアが声をかけてきた。おそらく、周りにいるのは勢子の衣装を着た近衛兵たちなのだろう。
「やあ、バラウールさん、ドゼーくん」
優等生のその言葉に、周囲の視線がいっせいにこちらに向くのが判った。
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