第六章 いうことをきかないぼくのうで ~駆龍侯の弟子~

 シャルタトレスは弓に矢をつがえたまま、じっとユーリックを見据えている。ある地点で足を止め、それ以上近づいてこないのは、それがシャルタトレスにとっての安全圏――あちらからはユーリックの急所を確実に射抜けるが、逆にユーリックの礫はかわせる間合いだと考えているからだろう。

 もっとも、今のユーリック礫を使う気配など見せようものなら、シャルタトレスは即座にユーリック以上の速さで矢を放ってくるだろう。小麦色の肌を持つ野性的な美女は、長大な弓を軽々と弾く男顔負けの膂力の持ち主のようだった。

「いったいどういう仕組みになってんのか興味が湧くが、あいにくとこっちも仕事の途中なんでね。……わたしの仲間をあれだけ殺しといて、まさかただですむとは思ってねえよなあ?」

「ユーリックだ」

「……あン?」

「あんたがさっき聞いたんだろう? ユーリック・ドゼー、おれの名前だ」

「何をいまさら――」

 少しずつ後ろに下がりながら、シャルタトレスが弓を大きく引き絞った。つがえられた矢の先端には赤い光がともっている。ユーリックを確実に始末するために、あの切り札をまた使うつもりのようだが、さすがに今度はかわすことも受け止めることもできそうにない。

 しかし、ユーリックは恐れを見せることなく淡々といい放った。

「二度と忘れるなよ。駆龍侯の二番弟子、ユーリック・ドゼーだ」

「駆龍侯!?」

 シャルタトレスの眉がひくっと跳ねる。明らかな驚きの表情を見た瞬間、ユーリックは拳の中に握っていた礫を親指ではじいて飛ばした。一撃必殺の威力はなくとも、目もとに飛ばしてシャルタトレスの狙いを逸らすことさえできればいい。最初の矢を避けることができれば、二の矢が飛んでくる前に間合いを詰めて勝負を決められる。

「だからさ、てめえが礫を使うってのはもう判ってんだよ。――さては駆龍侯の弟子ってのもハッタリか!?」

 ユーリックの手のうちを読んでいたかのように、シャルタトレスは紙一重で礫をかわしながら弦を解放した。

「――――」

 シャルタトレスを倒す千載一遇の機会を失ったと知った時、ユーリックは無意識のうちに右手をかざしていた。すでに破壊されて失われたゴーレムの右腕――もしそれが失われていなかったとしても、シャルタトレスの魔法の矢を受ければ結局はこなごなに砕け散るだろう。

 だが、頭ではそうと判っていても、身を守ろうとするユーリックの本能は、存在しないはずの右腕をかざして必殺の矢を受け止めろと命じていた。


          ☆


 不意に軽いめまいを感じ、クリオは思わず足をもつれさせた。

「くっ、クリオ!? どうしたのだ!? や、矢でも受けたのか!?」

「ごめん、大丈夫! 何でもないから!」

 すぐさま身を起こし、クリオはあたりを見回した。

 レティツィアと別れてどれくらいたったか――アマユールとふたりきりで逃亡を続けていたクリオは、森の闇に跳梁する追手の追撃を受けてすでに馬を失っていた。

 そんな状況下で、アマユールを守りながら無数の敵から逃げるというのは、肉体的にはもちろん、精神的にもかなり疲弊する。特にクリオは敵との戦いで魔法に頼らざるをえないから、メンタル面での疲労が加速度的に蓄積していくのは当然だった。

 ただ、今のめまいに関しては、クリオもこれまで経験したことのないたぐいのものだった。以前、ミリアムが誘拐されかけた時、ユーリックといっしょに派手に魔法を使って戦ったことがあったけど、あの時でさえ足がふらついたりするようなことはなかった気がする。

「この……!」

 迷いや不安を振り払うように、クリオは舌打ちしながら振り返りざま、左手の五本の指に宿した光の矢をいっせいに放った。

「うぐっ」

 闇の向こうでくぐもった悲鳴がした。けど、クリオたちを追っている敵はひとりやふたりじゃない。総数は判らないけどとにかくもっとたくさんいる。馬を失ったせいで追いつかれて、たぶん今は、人数をかけてこっちを包囲しようとしているんだと思う。

「……!」

 ふたたびあのめまいに襲われて、ふらっとよろめいたクリオの顔のすぐ横を、矢羽根が風を切る音が駆け抜けていく。

「しつっこい……!」

 クリオは自分が気の強い人間だと自覚しているけど、決して好戦的なわけでもないと思っている。でも、こうして延々と追い回されて命を狙われ続ければイライラするし、ふだんは決して感じないような激しい怒り、いっそ憎悪といってもいい感情が溜まっていくのを止められない。

 自分たちが追い詰められつつあることへの焦燥と、アマユールを守らなきゃいけないという使命感、離れ離れになったレティツィアやジュジュ先生たちへの気遣い、そして何よりユーリックがそばにいないことで生じた圧倒的な不安感――クリオの心はもうぐちゃぐちゃだった。そういうごった煮みたいな感情のすべてを敵への怒りに変え、クリオは自分の周囲に魔法として爆発させた。

「――いい加減にして!」

 自分たちの後方、扇状にかなり広い範囲へ電撃を放ったクリオは、その刹那の雷光の中に浮かび上がった追手に向けて、おびただしい数の光の矢を浴びせかけた。

「そっちの矢よりもこっちの矢のほうが強いし!」

「ぐふ――」

「がっ!?」

 弓を持った男たちが、クリオの攻撃を避けそこねて立て続けに木から落ちていた。けれど、まだ数人、雨のような光の矢をかわして追いすがってくる男たちがいる。

「あっ、兄貴!? シャヒブまでやられちまったよ!」

「騒ぐな、シャハラニ! いいから右に回り込め! ……ここで取り逃がすようなことになったら俺たちが頭領に殺されるぞ!」

「お、おう!」

 年嵩の男と若者――最後に残ったふたりの追っ手は、二手に分かれて左右からクリオたちを挟撃しようとしている。わざわざ手のうちをさらすようなやり取りを聞かせたのは、それによってクリオの意識を分散させる狙いがあるんだろう、たぶん。ここまでかなりの犠牲を払ってきているはずなのに、それでも退く気配がない以上、向こうはたとえ刺し違えてでもアマユールを殺すつもりでいるのかもしれない。

 ただ、敵が二手に分かれようと四方八方から攻めてこようと、その狙いがアマユールだと判っている以上、話は単純だった。

「この場にわたしとあなただけしかいないのって、もしかしたら好都合だったかも」

「……え? な、何だ、クリオ?」

「いいからしっかり掴まってて!」

 クリオはアマユールを自分の腰にしがみつかせると、精神を集中させながら両手を素早くひらめかせた。すでに頭の中では、次に何をすべきか――どんなゴーレムを召喚すればしつこい追っ手に思い知らせてやれるか、そのイメージが完成している。

 すべてはイメージだと、生前の父もいっていた。精神の力を現実世界に引き出して行使する魔法士にとって、もっとも重要なのはイメージすることだ。想像力がなければどれほど強大な魔力も持っていようと意味はない。

「――――」

 敵の殺意が自分たちに向けられているのを痛いほど感じながら、それでも集中力を途切れさせることなく、クリオは自身がイメージした通りのゴーレムたちの召喚を開始した。

「うわ!?」

 アマユールが驚きの声を発したのは、自分たちの周りにいきなり背の高い壁がそそり立ったからだろう。二階建ての家と同じくらいの高さのある二等辺三角形の壁が全部で八枚。

「こっ、これ、昼間の――」

 盗賊たちの最初の襲撃の時、クリオがアマユールを守るために使った板状のゴーレム――きっとアマユールはそれと同じものが現れたと思ったに違いない。でも、実際には違う。同じように見えるけど、クリオが召喚したのはもっと別のゴーレムだった。

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