第六章 いうことをきかないぼくのうで ~さあ選べ!~

「それは昼間見せてもらった。……いかに守りは固くとも、その状態では動けないのは判っている!」

 すべての石壁がぴっちりと隙間なく接して八角錐を形成する寸前、年嵩の男が樹上から矢を放ってきたけど、その鏃は壁面に当たって砕けた。

「別に逃げようとか思ってないから!」

 せま苦しい即席の砦の中で、クリオはぱちんと指を鳴らした。

 次の瞬間、完成したばかりの八角錐は、数百、数千というおびただしい数の石のブロックに分割され、すさまじいいきおいで四方八方に飛び散った。

「ひあ!?」

 ふたたびアマユールが驚きの声を発してしゃがみ込んだ。

 クリオが召喚したのは単なる板状のゴーレムじゃない。ただの八枚の三角形の壁に見えたものは、それぞれ少女の拳くらいのサイズの、ブロック状のゴーレムが何百個と集まってできたものだった。そしてクリオは、そのトータル何千個という数のゴーレムたちを、自分から遠ざかる方向へとすべて同時に吹っ飛ばした。ひとつひとつを細かくコントロールすることは難しくても、このくらいのことはすぐにやれる。そもそもクリオにとっては、電撃を放つとか爆炎を生み出すといった見た目の華やかな魔法よりも、ゴーレムを生み出して動かすほうがはるかに簡単な作業なのだ。

 でも、その単純な作業は、クリオたちを狙う敵にとっては致命的な攻撃でもあった。何しろいきなりすぐそこにあった壁が、拳サイズの数千個の硬いブロックに変わって高速で飛来してくるのである。樹上で弓矢を構えていた人間が咄嗟に身を守ろうとして守れるものじゃないし、数が数だけに避けることだってできない。

「…………」

 無数のゴーレムを土塊に戻したクリオは、あたりを見回して静かに嘆息した。おびただしい数の石の散弾を浴びたせいで、その一帯にあった木々は、枝が折れたり幹がえぐれたり、それはもう無惨な姿をさらしている。

 なら、すぐそばにいたはずの追っ手たちはどうなったのか――たぶんここにユーリックがいれば、その生死を確認しておかないのは甘いというだろう。だけど、彼らが今どんな状態で夜の森に横たわっているかを想像すると、わざわざ捜して確認する気にはなれなかった。

 あのふたりが最後の追っ手だったのか、それともまだどこかにクリオたちを捜している追っ手がいるのかは判らない。でも、手をつないでふたたび歩き出した少女たちの周囲には、いつの間にか静寂が戻ってきていた。

「……夜明けにはまだ間があるのかな」

 視線を上げてあちこち見回してみたけど、どこにも月は見えない。だから南西がどちらなのかもよく判らない。木の上に登って月の位置で方角を確認したかったけど、それでまた別の追っ手に見つかるかもしれないと思うと、それも何だかためらわれた。

「……こんなこというの、アレかなって思うんだけど」

 アマユールの手を握り締め、クリオはいった。

「あなた、本当にこれでいいの?」

「な、何だ、急に? どういう意味だ、クリオ?」

「このままボドルムに行ってもいいの? ほかに何かやりたいことないの? たとえばほら、学校に行きたいとかいってたじゃん?」

「……わたしがそんなことをいい出したのは、ボドルムに輿入れしろと父上にいわれたからなのだ」

 クリオの手を握り返す少女の小さな手に、ぎゅっと力が入った。

「ホントいうと、これまでは学校に行きたいなんてこれっぽっちも考えなかった。学校に通うって考え自体、ぜんぜんなかった。屋敷にいてもたいていのことはばあやから学べるし、毎日のんびり暮らしていられればそれでよかったんだ」

「アマユール……」

「でも、実際にこうしてボドルムに向かうために出発して、クリオたちと会ったら……何か楽しそうっていうか、クリオのいう通り、わたしにも本当はほかに何かやりたいことがあるんじゃないか、輿入れしたらこれまでみたいに自由にはふるまえないのかもって思ったら――」

「そう思うんだったら、今ここで決めて」

「き、決める……?」

 クリオを見上げたアマユールは静かに泣いていた。追っ手たちを振り切り、ひとまず身の安全が確保されたからこそ、本来の自分が置かれた境遇をあらためて思い返し、それで感情があふれ出たのかもしれない。

 こんなこといっていいのかという迷いはあったけど、結局、クリオは黙っていられずに静かに切り出した。

「あなたが逃げたいのなら、協力する」

「逃げるって――」

「ここにはわたしとあなたしかいない。もしわたしがひとりで帰って、奮闘したけどあなたを敵に拉致されてしまったって報告すれば――たぶん、あなたは死んだものとされて、政略結婚せずにすむと思う」

「で、でも、それじゃクリオの立場がなくなるぞ? みんなから責められるぞ!?」

「わたしの立場なんてどうにでもなるよ。っていうか、こっちはだまされて一行に加えられて、それでも何度も奇襲からあなたを守ってきたんだから、ほめられることはあっても文句いわれるすじあいなんてないし。――それよりもあなた自身のこと」

 クリオはしゃがみ込み、アマユールと視線の高さを合わせて続けた。

「殺されたってことにして姿をくらますのなら、今後あなたはもう誰にも頼れない。お金だけなら、わたしが少しは援助してあげられるけど、少なくとも家族には二度と会えないし、カルデロン夫人にもたぶん会えなくなる。誰も知らない土地に行って、ひとりで静かに暮らしていくしかない。自由と引き換えに、別の意味の不自由さを受け入れなきゃいけなくなる。――そういう覚悟はある?」

「そ、むっ、無理だ、そんなの! わたしひとりで暮らすだなんて……!」

「そう思うよね。かなり難しいと思う。……でもね、少なくとも今なら、あなたは自分で自分の進む道を選べる」

「自分の……道?」

 アマユールはうるんだ瞳でクリオを見つめ返している。逃亡劇の間にあちこち煤けてた少女の乱れた髪を撫でつけ、クリオはいった。

「……私は、ユーくんが止めるのも聞かずに陛下の挑発に乗って、今の学校を首席で卒業するって大見得を切っちゃった。それができなかったら、バラウール家の名前を残すためだけに、わたしも好きでもない男と政略結婚させられることになる。それを回避するためにユーくんといっしょに国を捨てて逃げ出す道もあったけど、でもわたしは逃げないで戦うことを選んだんだ。……まあ、もしかしたら五年後に後悔するかもしれないけどさ」

「…………」

「悔いのないように生きろとかいう人がいるけど、いっさい後悔しない人生を送れる人間なんてたぶんいないよ。わたしなんか毎日が後悔の連続だし」

 でも、だとしても、ただ状況に流された結果を後悔するよりは、自分の決断を後悔するほうが、自分には合っている気がするとクリオは思う。

「何ていうか、それは……うーん、わたしが大きな決断から逃げずに戦った結果なんだって納得できるからかな? だけどね、これはあくまでわたしの考え方だから、あなたが何をどう選ぶかはあなた次第。あなたがどんな選択をしても、わたしはそれを全力で応援するから」

 クリオの言葉の意味を、この少女がどこまで理解するか、どこまで伝わっているか、それはクリオ自身にも判らない。けど、この快活で愛らしい生意気な少女には、自分の道を自分の足で歩いていってもらいたいと、そんなふうに思った。

 祈るような気持ちで、クリオはアマユールの答えを待った。

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