第六章 いうことをきかないぼくのうで ~爆風、そして熱風~

 ざっと俯瞰したかぎりでは、累々と横たわる死体の中に――幸運にもというべきか――若い娘のものはない。ユーリックのいいつけを守って、奇襲を察した時点でクリオは即座に逃げ出してくれたのだろう。それを追っていったのか、襲撃者たちの姿もあたりには見えない。それを裏づけるかのように、野蛮な喊声と剣戟の響きは、夜営地を離れて徐々に遠ざかりつつあるようだった。

 この場に放置していくしかない近衛の戦死者たちに若干の申し訳なさを感じながら、ユーリックは遠ざかっていく声を追いかけた。

「……あれか」

 粗末な革鎧を着た男がランタンを持って走っているのを認めたユーリックは、ポケットの中に残っていた小石を掴み出した。せっかくの獲物を挽肉にしないよう、小鳥や兎を狙う際には手加減をするが、賊相手に手心を加える必要はない。

「ぐぎゃっ!」

 背中に礫を受けた男は、暴れ馬に跳ね飛ばされたようないきおいで近くの木の幹に激突し、無様な悲鳴とともに昏倒した。

「あっさり始末できるのはいいが、こう暗いとどれだけいるのか判りづらいな……」

 アマユールを追うことと、それを阻止しようとする近衛との戦いに注力していて、ほとんどの敵はユーリックの存在にまだ気づいていない。近衛たちとじかに斬り結んでいるのは昼間の賊どもと同じような連中ばかりだが、中にちらほらと弓をたずさえた狩人のようななりの男たちも交じっている。

 盗賊たちだけなら、地力でまさる近衛兵たちだけで追い散らすことも可能かもしれないが、その狩人たちが後方から正確な射撃で援護しているおかげで、近衛たちの旗色はよくないようだった。

「……弓を持ってる連中が優先か」

 さすがに射程距離では弓矢に勝てないが、ある程度まで接近できれば、ユーリックの礫は一撃必殺の打撃力を発揮する。自分の存在が気づかれる前に少しでもその数を減らそうと、ユーリックは弓を持つ敵に狙いを定めた。

「――頭領!」

 とりあえず狩人をふたり倒したあたりで、どこかから聞き覚えのある若者の声が聞こえてきた。

「さっきからジェコとママニットの姿が見えないっす! そっちにいるんすか?」

「いねえよ! 小娘を追って先に行ったんじゃねえのか!?」

「そんなはずないっす! さっきまでオレの後ろにいたんすよ! オレらより先行してんのはバムサウドの兄貴だけっす!」

「…………」

 ついさっき樹上から撃ち落とした狩人を見下ろし、ユーリックは舌打ちした。

 その直後、

「生きてるヤツは巻き込まれないうちに先を急ぎな! あとはバムサウドの指示にしたがうんだ! ――小賢しい狐をあぶり出してやらあ!」

 殺気を帯びた女の声が森を震撼させた直後、赤い光の線がユーリックの視界の片隅を斜めによぎった。

「!?」

 火矢のようにも見えたそれが地面に突き立った刹那、闇を押しのけてまばゆい閃光と爆風が一気に広がった。ユーリックが受け止めようとして右腕を失った、あの爆炎の魔法を宿した矢だった。

「……!」

 狩人の死体をかついで咄嗟に大木の陰へと飛び込んだユーリックの頭上を、熱い風が轟音とともに駆け抜けていく。もし棒立ちのまま今の風をまともに受けていたら、全身にひどい火傷を負っていただろう。

「あの女か……!」

 盾代わりになってくれた男の躯を背中に乗せたまま、ユーリックは、恐るべき敵――シャルタトレスの姿を捜した。

 たとえばクリオがその気になれば、今のような派手な魔法を使うことは可能だろう。ただ、ユーリックはクリオにつねづね、そうした魔法はよく考えて使うようにと釘を刺していた。強力な魔法はそのぶん精神的に多大な疲労をともなうもので、短時間にさほど連発することはできない。無理をすれば意識を失うこともあるし、何より自分自身の魔法に巻き込まれないような配慮も必要だからである。そしておそらくシャルタトレスも、あのレベルの魔法はそうそう何発も使えないのだろう。少なくとも、純粋な魔法の才という点において、シャルタトレスがクリオよりすぐれているはずがない。

 だが、シャルタトレスはそれを鏃に乗せて遠距離へ飛ばせる。絶対に自分が巻き込まれない遠距離から、ふつうの魔法士マージたちのそれよりも正確に、すべてを焼き尽くす爆炎を撃ち込むことが可能なのだった。

「…………」

 この女をアマユールに――というよりクリオに近づかせてはいけない。シャルタトレスがシャハラニたちを先に行かせたのは、自分の魔法の巻き添えにしたくないからだろうが、それはユーリックにとっても好都合だった。一対一ならまだ勝機はある。

「……おい」

 気温が急上昇した森の中に、ふたたびシャルタトレスの声が響いた。

「てめえ、まさかさっきの小僧か? まだ生きてるんだったら返事をしなよ」

 もちろん馬鹿正直に答えるつもりはない。ユーリックがひと声あげようものなら、それを頼りにシャルタトレスはすぐさまこちらの位置を掴んで攻撃してくるだろう。逆にユーリックは、どこか楽しげな女の声から、シャルタトレスの居場所を突き止めようと神経を集中させていた。さっき走った赤い射線から見て、おそらくシャルタトレスは、ユーリックからそう遠くないどこか――木の上に陣取っているに違いない。

「先を急ぎすぎて生死を確認しなかったこっちの不手際といやぁ不手際なんだが……どうやって生き延びた?」

「…………」

「あくまでだんまり、出てくるつもりはねえってか――まあいいさ。わたしの矢を恐れて出てこないってんなら、もう一発ぶち込んで今度こそこの一帯もろとも薙ぎ払ってやるか……いや、その必要もないな」

「!」

 がさりと枝葉が揺れる音がした。焦げ臭い空気に満ちたこの場で生きて動くものがあるとすれば、それはもはやユーリックのほかにはシャルタトレスだけだろう。向こうが先に動きを見せたことに驚きつつも、ユーリックは左手に小石を握り締めて女の姿を捜した。

「――てめえは見逃してやるよ。わたしらの狙いはてめえの命なんかじゃねえからな。てめえは無視して獲物を追うだけさ」

 ふたたび枝が揺れる音と、そして今度は小枝を踏み折る音が続いた。誰かが――シャルタトレスが木から飛び下り、仲間たちを追いかけようとしているのだと察したユーリックは、男の躯を跳ねのけて素早く立ち上がり、音を頼りに左手の礫を投げつけた。

「!?」

 間髪入れずに礫を撃ち込んだ相手がシャルタトレスではなかったことに気づき、ユーリックは目を見開いた。

「だからてめえはガキだっていってんだよ」

「ぐ……っ!」

 黒焦げの死体を前に立ち尽くすユーリックの背中に、ふかぶかと矢が突き刺さった。ユーリックが熱風から身を守るために死体を利用したように、シャルタトレスもまた、死体を放り投げてユーリックを釣り出したのだろう。向こうは木の上からこちらを捜している――勝手にそう思い込んでいたユーリックの不明だった。

「……っ」

「咄嗟に急所をはずすとはやるねえ……ホントに油断のならねえ小僧だ」

 ユーリックは左腕を背中のほうに回してみたが、肩甲骨に食い込んだ矢には届かない。その目の前に、ひたりとシャルタトレスが下りてきた。

「それにてめえ、右腕吹っ飛ばされて平気な顔をしてるってふつうじゃねえだろ? まさかそいつは、作り物の腕ってことか?」

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