第六章 いうことをきかないぼくのうで ~少女の傷~
「ぬ!?」
孤軍奮闘する少女――レティツィア・ロゼリーニに矢を放とうとしていた男が、ジュジュの声に反応してこちらを向く。その男が弦を放すより一瞬早く、ジュジュが魔法の矢を飛ばした。
「がはっ」
弓の男は魔法の矢にのどを撃たれ、血を吐いて仰向けに倒れる。すると、ほかの男たちに走った動揺を見逃さず、レティツィアが腰から引き抜いたナイフを投じた。
「ぐ……っ!」
「こいつら――!?」
「や、やっぱあの女の口車になんか乗せられるんじゃなかった――」
立て続けに仲間たちが倒されたのを見て、残ったふたりの男は慌ててその場から逃げ出そうとした。だが、いつの間にかその前に回り込んでいたエルストンドが、腰から抜き放った剣を一閃させてひとりを斬り伏せている。それとほぼ同時に最後のひとりをジュジュが仕留め、あたりには静寂が戻ってきた。
「さすがは元軍人……といったところですか、ドルジェフ教官どの?」
剣についた血糊をぬぐい、エルストンドがからかうように笑った。
「冗談はいいですから、あたりを警戒していてください。それと、ほかの子たちをここへ呼んできて」
エルストンドに手早く指示を出したジュジュは、転がっていたランタンを拾い、気が抜けたようにその場にへたり込んでしまったレティツィアのもとに駆け寄った。
「ロゼリーニさん、大丈夫!?」
「はい、何とか――」
ランタンの明かりに照らし出された優等生の顔はいつになく白かった。よく見れば、肩口や二の腕に開いた傷口からはまだ出血が続いている。
「ここにいるのはあなただけ? アマユールさまとバラウールさんは?」
「ふたりだけは先に逃がしました。わたしは、不意討ちを受けて落馬した時に馬にも逃げられてしまったので、この場に残って戦っていたのですが、どれほどの数の敵がふたりを追っていったのかまでは――」
「充分よ、あなたはがんばった。まだ学生なのによくやってくれた」
ジュジュはレティツィアを抱き締め、その背中をぽんぽんとやさしく叩いてやった。武門の出身で押しも押されぬ優等生――とはいうものの、それでもレティツィアはまだ一六歳の娘である。闇に押し包まれた夜の森の中で、自分より身体の大きい男たちを相手に戦い、生き延びたというだけでも僥倖といえるだろうし、身体の傷以上に深刻な心の傷を負っていたとしてもおかしくない。
「教官どの」
ほかの女生徒たちを連れて戻ってきたエルストンドが、自分たちで作り上げたばかりの男たちの死体を見て意味ありげに顎をしゃくった。
「あなたたち、バラウールさんをお願い」
「は、はい!」
奮闘した下級生の手当を上級生たちに任せ、ジュジュはエルストンドのところへ向かった。
「――何かあったの?」
「こいつらを見てくださいよ」
折り取った木の枝を松明代わりにして火をともし、エルストンドは男たちの死体を照らした。
「こっちがソロール・ドルジェフが倒した弓を使っていた男で、こっちはオレが始末した男です」
「……妙ね」
剣を抜いて戦っていた男たちは、昼間襲ってきた盗賊たちと似たような風体――不揃いな防具を適当につなぎ合わせてまとっていたが、ジュジュが倒した男は防具らしい防具を身に着けていない。剣も帯びておらず、代わりに腰から下げているのは大ぶりの鉈だった。それに、どこか異国風の顔立ちをしている気がする。
「ひょっとして……アフルワーズの人間? これがチャグハンナ?」
「かもしれませんね。連中はみんな揃って弓矢が得意だって聞いてます。……こいつが持ってる弓、このへんじゃあまり見ない造りをしてますしね」
「でも、こっちの三人は昼間の連中の仲間みたい……」
「盗賊どもがチャグハンナを味方につけた――いや、逆か。チャグハンナが盗賊どもの残党を仲間に加えたとか、そんなところかもしれませんよ」
「この森をよく知る盗賊たちを取り込んだとなると、バラウールさんたちが逃げ切るのは難しいかも……」
「どうします? あの娘に死なれたらこっちだって身の破滅ですよ」
どうやらエルストンドは本気で焦っているようだった。ジュジュやエルストンドの上に立つ“聖母”――彼女がそうするといったのなら、それは冗談でも脅しでもない。もし今夜クリオがこの森で命を落とすようなことがあれば、ジュジュもエルストンドもあすの朝日を拝むことはできないだろう。
ただその一方で、ジュジュは心のどこかでその最悪のケースだけは回避できるような気もしていた。
「……何を笑ってるんです、ソロール・ドルジェフ?」
ジュジュの顔を覗き込み、エルストンドが怪訝そうに眉をひそめた。
「別に笑ってないけど」
「そうですか?」
「この状況で笑っていられるわけないでしょう? ――とにかく、生徒たちを連れてバラウールさんを追わないと」
男たちの遺体から弓やナイフ、ランタンといった使えそうな装備を剥ぎ取ったジュジュは、それらをエルストンドに持たせてきびすを返した。
「ですが、あっちは馬で移動してるんですよね? ふたり乗りとはいえ、こっちは徒歩で追いかけなきゃならないんですよ?」
「追いつけるわけがないって? ならけっこうなことじゃない。そのままボドルム領まで逃げ切ってもらえればわたしたちの首はつながる」
「そりゃまあそうですがね」
「逆に、もしチャグハンナの連中に追いつかれて戦いになっているのなら、これからわたしたちが追いつくことも不可能じゃない。どちらにしろ、わたしたちにできるのは彼女たちを追いかけることだけよ」
「……あなたがその若さで
「それはどうも」
ずり落ちてきた伊達眼鏡を押し上げ、ジュジュは教え子たちのところへ戻った。
「みんな、移動しましょう」
「い、移動ですか……? どこへ?」
「詳しい状況は判らないけど、少なくともこの森にはまだ多くの賊がいるはずよ」
少女たちの顔には不安と戸惑いの色がありありと浮かんでいる。ただひとり、迷いのない瞳でまっすぐジュジュを見つめ返しているのは、やはりというべきか、レティツィア・ロゼリーニだった。
「――みんな疲れているとは思うけど、ここにとどまって敵に見つかる愚を犯すよりは、このままボドルムを目指したほうがいいと思う。ひとりでアマユールさまを守っているバラウールさんのことも心配だけど、監視砦までたどり着ければわたしたちも助かるわけだし」
終戦から二〇年近くが経過した今も、フルミノールとボドルムの間で明確な国境線は引かれていない。戦前の国境線の両側に緩衝地帯を配するような形で、双方ともいくつか監視砦を置いて無言で睨み合っている。正確な場所は判らないが、その監視砦までたどり着ければ保護を頼むことはできるだろう。
その説明を受けた少女たちは、少しほっとしたように顔を見合わせていた。今もっとも避けたいのは、修羅場に慣れていない少女たちがこの状況に絶望してしまうことだったが、それを回避できたのならまだ希望はある。
ランタンをかかげたエルストンドを先頭に、ジュジュは少女たちを連れてふたたび歩き出した。
☆
見覚えのある小川のほとりに戻ってきた時、すでに夜営地に張られたテントの大半は燃え落ちていた。地面には馬とは違う動物のおびただしい数の足跡がくっきりと刻まれ、周囲の木々の幹に突き刺さった矢がいまだに未練がましくくすぶり続けている。
そして、その変わり果てた風景の中に、勢子の衣装の男たちと、盗賊風の装束の男たちが息絶えて転がっていた。あるいはまだ息のある者もいるのかもしれないが、それをいちいち確かめる気にはなれない。
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