第三章 謀略の森 ~水を汲む~


          ☆


 白い朝霧に包まれた深い森の夜明けは――ときおり名前も判らない鳥の声が響くほかは――不気味なほどに静まり返っている。熊や狼、時には盗賊も現れるという森にしては、ずいぶんとおだやかな朝だった。

「……そのまま飲める綺麗な湧き水があるのは運がよかったな」

 鞍の両脇に大きな樽をくくりつけた馬たちを連れ、ユーリックはあくびを噛み殺しながら泉のほとりまでやってきた。

 緑の豊富な山地が多いフルミノールは、周辺諸国とくらべて綺麗な水源が多いが、かならずしも旅先でそうした飲み水が確保できるとはかぎらない。たまたま今回は王室の狩り場近くということもあって、飲み水に使える泉がそばにあると判っていたが、これから先は水場を捜してから夜営地を設営することも必要になってくるだろう。

「それにしても……話に聞く以上に落ち着きがないな」

 六つの樽のうちの四つまでを水で満たしたところで、ユーリックは手桶を持つ手を止めて振り返った。

「――何か私にご用でしょうか? それとも、最近の社交界では、そうやって大木の陰に身をひそめるのが流行しているのでしょうか?」

「気づいてたのか……」

 唇をとがらせたアマユールが木陰から出てくる。見たところ、カルデロン夫人や侍女たちの姿はない。また勝手にひとりで夜営地を抜け出してきたのかもしれない。

「馬の後ろにはお立ちにならないように――とは差し出口でございますね」

 アマユールは幼少の頃から馬を乗り回していたと聞いている。馬のあつかいなら、それこそクリオドゥーナよりも判っているに違いない。

 馬を驚かせないようゆっくりと近づいてきたアマユールは、馬ではなくユーリックを――より正確にはユーリックの手足を――しげしげと見つめている。その視線に気づいたユーリックは、伊達眼鏡を軽く押し上げて小さく笑った。

「何かお聞きになったのですか、私の手足について?」

「つ、作り物だと……あのぼーんとした女教官から聞いた。だけど、ふつうの籠手ガントレットのようにしか見えない――」

「ガントレットではございませんよ。これ自体が私の手足なのです」

 そういって、ユーリックは自分の左腕をはずして見せた。

「うわ!?」

「私の本当の両腕は肘までしかないのです。それを作り物の腕でおぎなっているのだといえばお判りいただけるでしょうか」

「こ、これはおまえが作ったものなのか?」

 冷たく硬質な、ある種の磁器のような光沢を帯びたユーリックの下腕を指で恐る恐る指でつつき、アマユールがふたたび質問する。

「いえ、私の手足を作り出せるのは私の主人、駆龍侯ドラキスガラム・バラウールのひとり娘クリオドゥーナさまのみでございます」

「魔法で作ったものだという話だが?」

「はい。単純に申せば一種の召喚魔法、ゴーレムを作り出すようなものでございます」

 左肘に腕を取りつけ、ユーリックは拳を握ったり開いたりした。しかし、それをじっと見ていたアマユールは、なぜか眉間にしわを寄せている。

「いかがなさいました?」

「……あの娘は本当にガラム・バラウールの子なのか?」

「クリオドゥーナさまのことでしょうか?」

「何というか……歴史に名を残す大魔法士マージ・マヨールの娘というわりには、才気の片鱗が見られないというかそれらしくないというか……それに威厳も感じられないし……」

「お言葉ですが、今回の一行に加わっている女子生徒たちの中で、もっとも魔法の才があるのはクリオドゥーナさまです。人を見た目で判断なさるのはおやめになったほうがよろしいでしょう」

 ユーリックがそう告げて水汲みの作業に戻ると、アマユールはそれが気に食わなかったのか、

「……その言葉遣いからして、おまえはあの娘の従者なのだろう?」

「はい」

「主人も生意気だが従者のおまえも、あー、何だ、い、いん、慇懃――」

「慇懃無礼ですか?」

「そ、そう! それだ!」

「そのご指摘はたびたび受けております」

「しれっというな!」

 悪びれないユーリックの態度に柳眉を逆立てたアマユールが、ユーリックの脛を蹴飛ばそうとする。しかしユーリックは、その寸前で少女の後ろ襟を掴んでひょいと持ち上げ、アマユールの蹴りを空振りさせていた。

「アマユールさま、私の手足は石よりも頑丈にできております。迂闊に蹴飛ばしてはお怪我をなさいます」

「うっ……」

「加えて申し上げれば、たとえ鉄の棒で叩かれたとしても私は痛みは感じません。壊れてもすぐにクリオドゥーナさまに直していただけますし、蹴って痛い思いをするだけ無駄かと存じます」

「はっ……放せ!」

「これはご無礼を」

 顔を真っ赤にしてわめくアマユールをひょいと鞍に乗せ、ユーリックは六つの樽に水を満載した三頭の馬の手綱を引いて歩き出した。奔放な少女の監視はユーリックの仕事ではないが、彼女が夜営地を抜け出したのを知りつつ連れ帰らずにいたのでは、さすがにカルデロン夫人に叱責される。

「……はぁ」

 アマユールはそっぽを向いたまま、聞こえよがしな溜息をついた。アマユールがたびたびカルデロン夫人の目を盗んで抜け出すのも、こんな不機嫌そうな態度を見せているのも、おそらく、彼女が何かしらの鬱屈をかかえているからだろう。

 声に出ないように含み笑いをこらえ、ユーリックはいった。

「今回のご旅行があまりお気に召さないご様子ですが」

「……従者風情にわたしの気持ちなんて判らないだろ」

「貴族のご令嬢に従者風情の気持ちがお判りにならないのと同じことです」

「……ああいえばこういう。生意気な従者だな」

「――私の同級に、アマユールさまのようなものいいをなさるかたがおられます」

「同級? 王立陸軍学校ゼクソールのか?」

「はい。何かというと、私のことを平民風情、平民くんとお呼びになるのですが」

「でも実際、おまえは平民なんだろう?」

「その通りです。私が平民というだけで、自分よりもおとっていると勝手に思い込んでおられるようで……しかしそのかたは、今回の任務には選ばれていません。男だからということもございますが、たとえ女だったとしても、やはり選ばれることはなかったでしょう」

「……何がいいたい?」

 馬の鞍から身を乗り出し、アマユールは聞き返した。

「結局あらゆる面で私におよばない、ただ貴族の息子に生まれたということしか誇れない人間が、ことあるごとにそう吠えているのです」

「それでおまえは腹は立たないのか?」

「いえ、むしろ滑稽な人間だと心の中で見下しております。そのかたが何をいおうと、私のほうがすぐれているのは明白なのですから。それこそ毛並みがいいだけの仔犬が狼に向かって懸命に吠えているようなものでしょう。――もちろん、お嬢さまのお立場もございますので、そのことを表情にも言葉にも出したりいたしませんが」

「そ、そういうものか……」

 納得したようにうなずいたアマユールは、すぐにはっと何かに気づいたように声をあげた。

「あ!? ちょ、ま、待て、おまえ!」

「何でしょう?」

「ということは、つまりおまえは、心の中ではわたしを笑っているということか!?」

「アマユールさまには、私に笑われるようなお心当たりがおありですか?」

「そっ、それは――」

 自分がわがままな言動ばかり繰り返しているという自覚があるのか、アマユールは顔を赤くして語尾を濁らせた。

「……確かに、笑っているというのは間違っておりませんよ。可愛らしいお子さまだと微笑ましく拝見させていただいております」

「おこっ……子供じゃない!」

「大人には責任ある行動や言動が求められるものです。さて、アマユールさまはいかがですか?」

「う」

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