第三章 謀略の森 ~樽入り少女~

「たとえば私が今のアマユールさまのように、隊長の指示を無視して勝手に夜営地から抜け出して遊び呆けていたりすれば、強い叱責を受けてすぐさま母校に送り返されていたと思います。もし近衛の兵が同じことをすれば厳罰ものでしょう。しかしアマユールさまの場合、せいぜいカルデロン夫人からお小言をいただく程度ですむのではないでしょうか」

 それは彼女が恵まれた立場にあることに加え、まだ子供だからということもある。ユーリックがいいたいことが通じたのか、アマユールはまた唇をとがらせて無言になった。

「――ゼクソールというのは楽しいところか?」

 夜営地のすぐ近くまで戻ってきたところで、アマユールが不意に尋ねた。

「どうでしょう? 遊びのために入る学校でないことは確かですが」

「でも、同じような年頃の生徒がたくさんいるだろう? それがみんな、寮で暮らすのだろう?」

「寮生活が楽しいのかということをお尋ねでしたら、同室になる生徒次第ではないでしょうか? クリオドゥーナさまの場合、レティツィアさまと同室ですので、毎日のように小言ばかりでうんざりするとおおせでしたが」

「おまえの主人ならそうかもしれないな。あの娘は礼儀作法が苦手そうだし、逆にロゼリーニ卿の孫娘はそのへんやたらうるさそうだ」

「アマユールさまがそれをおっしゃいますか?」

「い、いっておくが、わたしは礼儀作法を知らないわけではないぞ? 知っているが、あえて守らない時があるだけだ! 本当だぞ!?」

「でしたら納得です」

 あの厳格なカルデロン夫人がそばについているのに礼儀作法を知らないはずもない。アマユールは慌てて取りつくろうようにいったが、その言葉に嘘はないのだろう。

「……で、どうなのだ?」

「何がでしょう?」

「結局のところ、学校は楽しいのか、楽しくないのか?」

「私がゼクソールに通っているのはクリオドゥーナさまをおささえするためですので、楽しいも楽しくないもございません。楽しいこともあればうんざりすることもございます。ですがクリオドゥーナさまは、ふだんのご様子を見るかぎり、学校での毎日をおおむね楽しんでいらっしゃるようです」

「そうか……」

 何やら神妙な顔つきをしているアマユールに、ユーリックはいった。

「――それはそうと、どうなさいますか、アマユールさま?」

「な、何だ? 何をだ?」

「このままお戻りになると、当然ながら夫人からきついお小言を食らうことになるでしょう。何よりこういうことを繰り返すと、警護の任に当たっている近衛の面目を潰すことにもなりますから、畢竟、彼らの反感を買うことにもつながります」

「そ、それは……いや、でもだっ、だからといって戻らぬわけにはいかんし……」

「平民のこの私に、それらの風当たりを多少なりとも弱める策があるのですが……お聞きになりたいですか?」

「も、もうおまえのことを平民とはいわん! そんなうまい方法があるのならぜひ教えてくれ!」

「よろしいでしょう。ではまず――」

 そういいながら、ユーリックは鞍からぶら下がっていた縄束を手に取り、にやりと唇を吊り上げた。


          ☆


 クリオとレティツィアが先輩から起こされたのは、予定よりずっと早い、まだ日が昇り始めたばかりの頃のことだった。

「……まだぜんぜん寝足りないんだけど」

 あくびを連発しながら寝床から這い出てきたクリオは、テントの外で慌ただしく動き回っている近衛兵たちを一瞥し、眉をひそめて首をかしげた。

「……どうしたの? 何かあった?」

「またアマユールさまがいなくなったのよ!」

 答える先輩たちの声にも緊張の色がある。のろのろと着替えに取りかかったクリオは、またひとつ大きなあくびをして、

「……政略結婚が嫌で逃げたんじゃないの? 自分の役割は判ってるはずだなんていったって、結局はまだ子供じゃん? 頭で理解しててもいざとなれば割りきれないってこともあるでしょ、そりゃ……」

「だからといって放置してはおけないよ」

 レティツィアにせっつかれ、クリオは寝癖を撫でつけながら自分たちのテントを出た。

 細い煙が立ち昇る焚き火の周囲には、緊迫した表情の近衛兵たちが集まっていて、ロッコ隊長と何か話し合っている。いつもガミガミいっているカルデロン夫人もさすがにおろおろしていて、それをジュジュ先生がなだめているようだった。

「まったく……面倒ばっかり引き起こすんだから、あの子ったら」

 ぼやきが止まらないまま、クリオたちもいっしょになって隊長の話を聞いていると、三頭の馬を引き連れたユーリックが戻ってきた。

「あ、ユーくん!」

「水を汲んできたのですが……何かありましたか?」

「それが……またアマユールさまが夜営地を抜け出してしまわれたらしくて」

「ああ、それでしたら」

 水を満載した樽をひとりでかるがると下ろしていたユーリックは、レティツィアのその言葉に、最後にひとつ残った樽の中に手を突っ込んだ。

「――水汲みの途中でお見かけしたのでお連れしました」

 そういってユーリックが樽の中から引っ張り出したのは、手首と手足を縛られて身動きを封じられた少女だった。

「わ!」

 まるで台所で肉を盗もうとして捕まった野良猫のように、アマユールはぶすっとした表情で後ろ襟を吊られている。それを見た近衛兵や生徒たちの間から、明らかに笑いをこらえるための取ってつけたような咳払いが起こった。

「お、おひいさま!?」

 悲鳴にも近い金切り声をあげ、ガミガミ夫人――とクリオが心の中で勝手に呼んでいるカルデロン夫人がユーリックに詰め寄った。

「おっ、おお、おひいさまに、何ということを――! こっ、こ、この、こっ、この、無礼者ーっ! おひいさまを縛り上げるとは、な、なんっ、何たる」

「いえ、森の中をおひとりで歩いておられたので、妙だと思って声をおかけしたところ、何もおっしゃらずに逃げ出そうとなさいましたので――」

「だからといって、しっ、縛り上げる必要がありますか!?」

「夜営地までお送りしますと申し上げてもすぐに逃げ出そうとなさるものですから……それではそのままお逃げになるの傍観していればよかったのでしょうか?」

「そ、そのようなことはいっておりません! 何もこのような真似をせずともよかったのではと――」

 ガミガミとユーリックを非難しながら、カルデロン夫人が借り物のナイフでアマユールの手足の縄を断ち切ると、とたんに少女はその場から逃げ出そうとした。

「おっ、おひいさま!?」

「……このようなありさまでしたので、私としてもいたしかたなく」

 ひょいと手を伸ばしてふたたびアマユールの後ろ襟を掴み、その逃亡を阻止したユーリックは、言葉を失ったガミガミ夫人の目の前にそっと少女を下ろした。

「夫人、もうよろしいのではありません?」

 大仰な溜息とともに、ジュジュ先生がガミガミ夫人にいった。

「アマユールさまはこうして無事にお戻りになられたわけですし、ドゼーくんのやり方も……まあ、彼ひとりでアマユールさまを連れ戻すことを最優先するのなら、仕方ない面もあると思いますし」

「ドルジェフ先生はそうおっしゃいますけど、いくら何でも――」

「あらあら、この森には熊も狼も出るんですよ、夫人? ドゼーくんが確保してくれていなかったら、そういう猛獣に襲われていた可能性もありますけど」

「で、ですが……!」

「ってゆ~か」

 まだ納得がいっていないような表情でユーリックを睨んでいるガミガミ夫人にちょっとムカついたクリオは、レティツィアが咄嗟に袖口を引っ張るのを振り切り、ふたりのやり取りに割って入った。

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