第三章 謀略の森 ~ジャガイモが可哀相~
「――そもそもの話、このアマユールさまは、あのでっかいテントであなたといっしょに寝てたはずですよね?」
ぺたぺたとアマユールの頭を撫でながら、クリオは自分たちのものよりはるかに大きなテントを一瞥した。
「なのにこの子が明け方こっそり抜け出したことに気づかなかったとか、それってどうなんです?」
「どっ、どうなんです……とはどういう意味です? というか、おひいさまの頭を気安く撫でるのはおやめなさい!」
「いや、わたしがいいたいのは、順番でいうならまずあなたが真っ先に気づくべきじゃないんですかってこと! 乳母だか家庭教師なんですよね、あなた?」
ユーリックのぞんざいなあつかいのせいで乱れてしまったアマユールの髪を手櫛で整え、クリオはカルデロン夫人を見据えた。
生意気なアマユールもまあまあ気に食わないけど、この子は子供だからまあいい。野良猫みたいなあつかいをされたのを見て溜飲も下がったし、いまさら寝不足の原因がどうのとアマユールを責めるつもりはなくなった。けど、この子の一番そばで目を光らせているべきガミガミ夫人が、この子を無傷で連れ帰ってきたユーリックを責めるのはおかしいと思う。
――というようなことをささやくような感じでいうと、ガミガミ夫人も冷静になったのか、静かに怒気を吐き出すと、アマユールを連れて自分たちのテントのほうへ戻っていった。
それを見送ったクリオとレティツィアは、何ごともなく水の入った樽を運んでいるユーリックに歩み寄った。
「ひとつお手柄だね、ユーくん」
「いえ、たまたまです。アマユールさまが私のあとをつけていたのを見つけて、説得していっしょに戻っていただいただけですので」
「……説得した上であのあつかいなの?」
レティツィアは肩をすくめ、呆れ顔で嘆息したけど、ユーリックはかぶりを振り、
「あれは何と申しますか……茶番です」
「茶番?」
「夫人にはああ説明しましたが、実際、アマユールさまは別に逃げ出そうともなさりませんでしたし、ごくふつうに馬に乗せて戻ってくることもできたのですが、戻ってきた時のことを考えてひと芝居打つことにしたのです」
「どういうこと、ユーくん?」
アマユールが無事に戻ってきたことで、一行は出立に向けて動き始めていた。警護任務の主役が近衛兵だとすれば、学生であるクリオたちの役割はアマユールの世話やさまざまな雑務で、たとえばそこには食事作りも含まれている。
あらたに火を
「ああもたびたび脱走されたのでは近衛の面目は丸潰れです。いかに王家への忠誠心に
「は? ぜんぜん意味判らないんだけど」
「バラウールさん、ちょっと声が大きい」
不満の声をあげたクリオをたしなめ、レティツィアはユーリックの隣に座って同じようにジャガイモの皮を剥き始めた。
「……バラウールさんだって、ああして縛られて運ばれてきたアマユールさまを見た時、何か思うところがあったんじゃないかな?」
「わたし? ああ、まあ、ちょっとスカっとしたかも?」
ユーリックをはさんでレティツィアの反対側に腰を下ろし、クリオもまたジャガイモの皮を剥きにかかった。
「むしろ、お手柄のユーくんを叱りつけたガミガミ夫人のほうに腹が立ったっていうか」
「カルデロン夫人ね。……ともかく、つまりはそういうことじゃないかな?」
「? どういうこと?」
「きみがそう感じたように、おそらく近衛の兵たちも、アマユールさまが縛られているのを見て溜飲が下がったはずだよ。――それが狙いだったんだよね、ドゼーくん?」
「はい。そうすればアマユールさまに対する近衛の反感もやわらぐでしょうし、あの姿を見たあとでなら、カルデロン夫人もまずはアマユールさまをおなぐさめするのが第一となり、お小言は最小限ですむでしょう。私がそうご説明したところ、アマユールさまもこころよく小芝居に乗ってくださいました」
「そういうことだったんだ。……でも、その話を聞くかぎり、やっぱりあの子、今回の結婚話には乗り気じゃないんじゃないの?」
「アマユールさまはそこまではお話しくださいませんでしたが、ゼクソールにずいぶんと興味がおありのようでした。学校生活や寮生活についてあれこれお尋ねでしたし、もしかすると、他国に嫁ぐことになった今になって、ご自身の世界のせまさにお気づきになったのではないかと」
「世界のせまさ?」
「貴族のご令嬢とはいっても、意外に自由はないものです」
「……そうかもね」
ナイフを持った手を止め、レティツィアは嘆息した。
「立場は違うけど、それはわたしも感じることがあるよ。わたしの姉たちも、幼い頃からほかの貴族の妻になるために礼儀作法ばかり仕込まれていて、本当にやりたいことをさせてもらえないのをそばで見てきたからね」
「レッチーは違うの?」
「わたしの場合は、おじいさまがわたしには才があると判断してくださったおかげで、その後押しでゼクソールに入学することができたから……。さもなければわたしも今頃は、さして面識もないような貴族の次男坊あたりに嫁がされていたかもしれない」
レティツィアの口からそんな話を聞くのは初めてだった。クリオほど切羽詰まってはいないにしても、レティツィアもまた、自分の人生を自分の力で切り拓こうとして、あの学校にやってきたといっていいのかもしれない。
「そっかー……マールあたりはぜいたくな悩みだって怒るかもだけど、こと伴侶選びとなると、上級貴族よりも下級貴族に生まれた娘のほうが、自分の意志を尊重してもらいやすいのかな?」
「すべてがそうとはいいきれないけど、その傾向はあるね。アマユールさまのケースのように、国際政治が絡んだ結婚話となればなおさらだと思う」
「だとしてもさ……もっとほかにいなかったわけ、花嫁候補は? だってあの子、まだ一一だよ?」
「お嬢さま」
ユーリックがじっとクリオを見つめ、それ以上はいうなと目でたしなめてくる。確かに、花嫁を護衛する一行の一員だというのに、その結婚話そのものを批判するのはよくないのかもしれない。まだ納得できないところはあるけど、クリオは溜息をひとつついてその話題を打ち切った。
「それはそれとして――」
クリオはユーリックとレティツィアの手もとを見くらべた。
「レッチーって、意外に……うん」
「な、何のこと?」
「うん、ちょっと安心した。――誰しも苦手ってあるよね」
子供の頃からばあやの手伝いをしてきたユーリックが、料理の下ごしらえが得意なのはなにも不思議はない。このゴツい手で器用にナイフをあやつって皮を剥いている。
けど、その向こうで同じようにナイフを手にしているレティツィアは、ジャガイモの皮を剥いているのかそぎ切りにしているのかよく判らないくらいに不器用だった。剣のあつかいはやたらとうまいのに、どうも料理は苦手みたいだった。
顔を赤くしているレティツィアにニンジンを差し出し、クリオはいった。
「ジャガイモの皮を剥くのが難しいならこっちにしとく? それともレッチー、ニンジンは食べるのも皮を剥くのも苦手?」
「なるほど……レティツィアさまはニンジンがお嫌いでしたか」
「ちょっ、そ、たっ、食べなかったからといって死んだりしないから、ニンジンは!」
「確かにそうですが……ただ、レティツィアさまのやりようでは、ジャガイモが無駄になってしまうと申しますか」
「…………」
デコボコの多いジャガイモよりは、まだニンジンのほうが下ごしらえしやすいかもしれない。レティツィアはむすっとしながらも何もいわず、おとなしくニンジンの皮を剥き始めた。
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