第三章 謀略の森 ~急襲~

 そのあと、食事を手早くすませた一行は、テントをたたんで出立した。夜営地は少し開けた場所を選んでいたけど、ここから先は鬱蒼とした深い森の中を細い道に沿って進むことになる。

「あふ……」

「眠そうですね、お嬢さま」

「そりゃまあ――」

「ちょっと、バラウールさん」

 きのうと同じ隊列を組んで馬車の後ろからついていくクリオとユーリックのやり取りに、レティツィアが首を突っ込んできた。

「……前を見て」

「はい?」

 いわれた通りに前方に目をやると、馬車の窓から身を乗り出したガミガミ夫人が、こっちに向かってさかんに手招きをしている。

「え? もしかしてわたしが呼ばれてるわけ?」

「どうやらそうみたいだけね」

「お嬢さま、とりあえずご用を聞きにまいりましょう」

 そううながされ、クリオはユーリックとともに馬の腹を蹴って馬車に追いすがった。

「何かご用でしょうか、ガ……カルデロン夫人?」

「わたくしではなく、おひいさまがあなたがたにお話があるそうです」

 銀縁の三角眼鏡をくいっと押し上げ、夫人は溜息交じりに首を振った。

「ずっと馬車に揺られるだけでは退屈だそうで、しばらくの間、おひいさまのおしゃべりのお相手を――」

「え~? これでもわたしたち、任務の最中なんですけど~?」

 夫人のセリフをさえぎり、クリオは不満顔を隠そうともせずにいった。隣のユーリックが苦虫を噛み潰したような顔をしているのは想像できたけど、どうにもこの中年女のいうことに素直にしたがうのは癪に障る。

「あのねバラウールさん、これは本校の課外活動としての意味合いもあるのよ~?」

 馬車に同乗していたジュジュ先生が、叱るでもなくたしなめるでもなくにこやかな微笑みとともにそういった。でもその言葉には、夫人の要求を断ったら成績に響くかもしれないよ? みたいな裏の意味が含まれているようにも聞こえる。実際、この先生は、その笑顔とは裏腹に、なかなかに油断のならない人間のような気がしていた。

「そういうことなら~、優等生のレティツィアさまにでもお願いすればいいんじゃないんですか~?」

「ああ、あ、アレはダメ! 絶対ダメだ!」

 クリオの言葉に、馬車の奥のほうにいたアマユールが夫人を押しのけて窓際まで出てきた。

「――ロゼリーニ卿のところの孫娘は小言が多そうだから! 話すことも何かカタそうだし! それよりはおまえ! おまえたちがいい! ふつうの貴族たちとはちょっと違う話を聞かせてくれ!」

「…………」

 クリオは一瞬眉間にぴきっとしわを刻み、ユーリックを一瞥した。ユーリックは何もいわなかったけど、でも、その表情が、これまたあまりことを荒立てるなといっている気がする。そんな気がするけど、でも、配慮するつもりはない。

 軽い苛立ちを鎮めるためにひとつ深呼吸してから、クリオはジュジュ先生にも負けないにこやかな微笑みを浮かべてアマユールにいった。

「あのですねえ……アマユールさまは、ほかの貴族のかたがたとお話する際にも、そのような言葉遣いをなさいますの?」

「……は?」

「――アマユールさまがバルデ公のご息女でいらっしゃるように、わたしは駆龍侯の娘でございます。どちらが偉いなどと野暮なことは申しませんけど、いきなり頭ごなしにおまえ呼びされて気分がいいとお思いですか? 三世陛下でさえわたしに対しては、あなたと呼びかけてくださいましてよ?」

 ふだんなら絶対に使わないような、いかにも上級貴族の令嬢っぽい言葉遣いで――しかも途中でつっかえることなく――最後までいいきったクリオは、心の中で拳を握り締め、もう一度少女に微笑みかけた。これはもしかすると、毎晩のようにクリオたちの部屋でおこなわれていた、マルルーナに対するレティツィアのマナーレッスンを聞いていたおかげかもしれない。

 だけど、クリオの口上を聞いて鼻白んでいたのは、アマユール本人よりもむしろガミガミ夫人のほうだった。アマユールの言葉遣いがなってない、すなわち夫人の教育が行き届いていないという意味に受け取ったんだと思う。

「あー……えーと」

「よろしいですか、アマユールさま? 王公貴族同士のつき合いでは、否が応でもこのようなまだるっこしくて面倒臭い言葉遣いを余儀なくされるものなのです」

「そ、それではおまえ……じゃない、そなたとロゼリーニ卿の孫娘も、いつもそのようなしゃべり方をしているのか? 学校でも? 寮でも?」

「いえ、わたしは彼女とは気心の知れた友人同士ですので、もっとざっくばらんにやり取りしております。彼女のことはレッチーという愛称で呼んでいるくらいで――」

「そ、そうか、友人――友達か」

 そう何度も反芻し、ちょっと淋しげにうつむいた少女を見て、クリオはひょいと手を伸ばした。

「……仕方ないから友達あつかいしてあげる」

 クリオがアマユールの腋に手を突っ込み、窓から引きずり出して自分の馬に乗せると、ガミガミ夫人が甲高い声をあげた。

「あっ、あなた――何をなさるの!?」

「アマユールさまが馬車に酔ったとおっしゃるので、少し風に当たっていただこうかと」

「そのような勝手な真似――」

 アマユールを取り戻そうとガミガミ夫人がまた身を乗り出した時、がつっと何かが木を打つような大きな音がして、すぐにめきめきっと嫌なきしみが聞こえてきた。

「……え? 何の音?」

「お嬢さま、アマユールさまをお願いします!」

「――!?」

 ざざざーっと枝葉がこすれ合う音を引きずって、すぐそばに立っていた大きなナラの木が倒れ込んでくる。そのことに気づいたクリオは、アマユールをかかえ込んだまま馬の腹を蹴ってその場から離れた。

「何で――!?」

 前後を近衛の騎馬にはさまれているせいで、馬車はすぐには動けない。完全に倒木に潰されるコースだった。

「ユーくんも離れて!」

 事態に気づいた周囲の兵士たちが、暴れる馬をなだめて馬車の周囲から離れようとする中、ユーリックは逆に馬車に近づいてその扉をむしり取り、車内からガミガミ夫人とジュジュ先生を引っ張り出していた。

「ひいいっ!?」

 夫人の珍妙な悲鳴もさすがに今は笑えない。アマユールを馬上で抱き締めたまま、クリオは馬車がひしゃげる轟音に顔をしかめた。

「…………」

 木の葉交じりの土埃が舞い上がる。それをかき分けるようにして、ガミガミ夫人とジュジュ先生を両の小脇にかかえたユーリックが姿を現した。ユーリックのことを信じていたけど、三人とも無事な姿を確認するとやっぱりほっとする。

「ばっ、ばあや!」

 馬から飛び下り、アマユールはユーリックのほうへ駆けていった。

「何ごとだ!?」

「周囲を警戒しろ!」

 さすがといったところか、この突発的な異変に対し、すでに近衛兵たちは腰の剣を抜いている。ユーリックは夫人と先生をその場に下ろし、

「お嬢さま、夫人もよろしくお願いします!」

「えっ?」

「何者かがひそんでいるようです! どうかお気をつけください!」

 ユーリックのその言葉の最後のほうは、やかましい喊声によってかき消された。

「!」

 突然、木々の向こうから抜き身の武器を振りかざした男たちが現れ、こちらに殺到してきた。正確な数は判らないけど、明らかにこっちより多い。

「なっ、なっ……!」

 アマユールと抱き合ったまま、夫人が声にならない悲鳴をあげた。

「みんな! アマユールさまの周りに集まって!」

 ジュジュ先生の号令に反応して、先輩たちがアマユールとガミガミ夫人を守るようにその周囲を取り囲む。もちろんクリオとユーリック、それにレティツィアもその輪に加わっていた。

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