第四章 狩りの始まり ~ここでも裸のつき合い~

 そろりそろりと巨大な湯船に足を差し入れ、アマユールはいった。

「クリオがせっかく用意してくれたのだ、そなたたちも早く入れ。さあ、レッチーも」

「…………」

 アマユールの言葉に、先輩たちはおたがいの顔を見合わせた。本音をいえば、みんなお風呂には入りたいんだと思う。でも、任務の途中でそんなことをしていいのかという責任感とか克己心とか、そういうものが足を引っ張って、素直にうなずけないでいるんだろう。

「まあ、わたしは入るけど」

 お風呂を用意した自分がお風呂に入っちゃダメなんてバカな話があっていいわけない。あんまり可愛くない勢子の衣裳をちゃっちゃと脱ぎ捨てたクリオは、裸になってざぶざぶと顔を洗うと、湯船の縁をまたいで熱い湯に浸かった。

「ちょっと、バラウールさん――」

「よいのですよ、ロゼリーニさん」

 小さな苦笑とともに、カルデロン夫人がレティツィアを制した。

「おひいさまがそうお望みなのです。よろしければ、あなたがたもごいっしょにどうぞ。このような機会、そうそうございませんでしょうから」

 夫人のその言葉は、アマユールに何か特別な思い出を作らせてやりたいといっているかのようでもあった。確かにアマユールの立場だと、若い娘同士で裸のつき合い、なんてことを経験するチャンスはほとんどないだろう。ゼクソールに入学していなければ、クリオはもちろん、レティツィアやほかの先輩たちだって、いっしょに入浴することなんてなかったはずだ。だから、ゼクソールに入学することがありえなくなったアマユールには、もしかするとそういう機会はもう二度と訪れないかもしれない。

 いつも持ち歩いている母の形見の櫛を取り出し、クリオはアマユールの髪をくしけずった。

「……それにしても、こんな森の中をあと何日行けばいいわけ? 毎回こんなに簡単に水を確保できるとはかぎらないのにさあ」

 クリオのそのぼやきに、するすると服を脱ぎながらレティツィアが答える。

「本来なら三日もあれば森を抜けられるはずだけど、それはあくまで街道沿いのルートを通った場合の話だからね」

「……確かに、いわれてみれば妙だな。そもそもわたしたちは、どうしてこんな道なき道を選んで進んでいるのだ?」

「万が一を考えてのことです」

 さすがに若い娘たちに交じって自分も入浴する気にはなれなかったのか、カルデロン夫人は川岸に腰を下ろし、ブーツを脱いでおだやかな水の流れの中に素足をさらしている。

「――おひいさまのお輿入れの件が知れれば、早晩、アフルワーズあたりが妨害に出てくることでしょう。その時、真正直に街道を通って移動していたら、すぐにこちらの動きを把握されてしまいますから」

「そういうことか……」

「え? ちょ、少し待って」

 少女の髪を洗ってやりながら、レティツィアや夫人の言葉をなかば聞き流していたクリオは、そこではたと大事なことを思い出した。

「――それってふつうにボドルムまで往復しても六日かかるってこと?」

「だろうね。確実に一週間以上はかかると思うよ」

「そ、それじゃ、わたしたちの休暇、まるっきり潰れるんじゃ――」

「だろうね。確実に潰れると思うよ」

「だろうねだろうねじゃないって! それひどくない!? もしかして、学長先生とかジュジュ先生は、最初からこうなるの判ってて黙ってたわけ!?」

「あらあら、わたしのこと呼んだ?」

 クリオが頓狂な声をあげた直後、大きな荷物をかかえたジュジュが、高い壁を越えてふわりと舞い降りてきた。

「きょ、教官どの!?」

「――ドゼーくんに聞いたら、あなたたちだけお風呂に入ってるっていうし、先生も交ぜてもらいたいなぁ」

 大量のタオルをすぐそばに生えていた木の枝に引っかけ、ジュジュはばたばたとすさまじいいきおいで服を脱ぎ出した。

「ほら、お湯が冷めないうちに、みんなも入ったら? まあ、先生が準備したわけじゃないけどねえ」

 まだほかの先輩たちがためらいを見せているのに、それを追い越すいきおいですぱっと全裸になり――でも眼鏡ははずしてない――ジュジュはざぶんとお湯の中に入ってきた。クリオの目から見て、レティツィアはクリオよりも女の子らしい身体つきをしていて、先輩たちはそのレティツィアより女らしく、でもジュジュ先生は、そんな先輩たちの誰よりもさらに女らしいというか――。

「お、大きいな、いろいろと……」

 クリオの思いを代弁するかのように、アマユールがジュジュを見て感嘆の呟きをもらす。着衣の上からでもある程度は想像できていたけど、確かにこれは男子たちが騒ぐに足る破壊力を秘めたボディといっていいだろう。

「――ところでバラウールさん」

 じゃぱじゃぱとお湯をかき分けてクリオの隣にしゃがみ込んだジュジュは、不意に手を伸ばしてクリオの前髪をかき上げた。

「は――?」

「あら、あなたは額に何も入ってないのね。爪だけ?」

「な、何です?」

「だからぁ、ドゼーくんは額に六芒星があるわよねぇ? ほら、昼間ちらっと見えたんだけど」

「あ……は、はい、まあ――」

 アマユールを膝の上に乗せたまま、クリオは苦笑交じりに身を反らして女教官の手からさりげなく逃れた。

 カラフルな爪に六芒星が刻まれていることは、クリオも別に隠してはいないし、それを利用して魔法を使うという話も――レティツィアマルルーナには――しているけど、ユーリックの前髪の下に六芒星があるということは誰にもいっていない。ユーリックの手足を動かすにはクリオが魔力を供給してやる必要がある、という話は何人かにしたことがあるけど、ユーリックの額の六芒星を通して魔力をそそぎ込むなんてことは、当人たちのほかにはそれこそマウリンくらいしか知らない事実だった。

 それをジュジュは、昼間のあの乱戦のさなかで、目ざとく目撃していたのである。クリオがジュジュに対していだいた、のほほんとしているけど油断がならないという印象は、やっぱり間違っていないみたいだった。

 内心クリオが静かに冷や汗を垂らしているのも知らぬげに、ジュジュは頭の上にたたんだタオルを乗せ、湯船に背中を預けて長々と嘆息した。

「ふつうなら、人から人に魔力を受け渡すことなんかできなるはずはない。それをああも簡単にやってのけるだなんて、バラウールさんがすごいのかしら? それともお父上からうけついだもののおかげ?」

「いや、まあ……あはは」

 地龍召喚ロゲ・ドラキスに深くかかわってくるようなことについては、相手が誰であっても迂闊にしゃべっちゃいけない――それがユーリックとの約束だった。特にこのジュジュは、自分が魔法士ということもあってか、さりげなく、もしくはあざとく、すぐにそのあたりのヒミツを探ろうとするので始末が悪い。

 ジュジュの追及を笑ってごまかし、クリオはアマユールの髪を洗う作業に専念することにした。

 頭上をおおう木々の枝葉のせいでよく見えないけど、今夜はたぶん綺麗な月が出るだろう。そういう時はいつもより魔法をうまく使える気がするし、実際、あまり疲れを感じない。昔から、月の輝きは魔力に影響をあたえるという話はよく聞くから、実際に何かしら関係はあるんだろう。そのへんの話も生前の父に聞いておくべきだったなと、クリオは今さらのように思った。

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