第四章 狩りの始まり ~露天とか~

「ま、オレの役目は学長からの伝言をドルジェフ女史にお伝えするまでなんで、あとの判断はあなたにお任せしますよ。……それじゃ、援軍が追いつくまでせいぜいいい旅を」

 胸に帽子を当てて軽く一礼すると、エルストンドは手綱を引いて馬を止め、一行を見送る形で離れていった。先を行くほかの近衛たちは、一番後ろでおこなわれていたジュジュとエルストンドの密会にはまったく気づいていない。

「チャグハンナ……ね」

 そう呼ばれるアフルワーズの奇妙な一族のことはジュジュも聞いたことがある。きょう襲ってきた賊は、やり口から見てチャグハンナとは思えなかったが、エルストンドがもたらした情報が事実なら、今後本当にチャグハンナが襲撃してくる可能性もある。

「ガラム・バラウールの遺産を確かめるには好都合だけど……もしこれであの子に万が一のことがあれば、フルミノールとボドルム両国の関係にさらに大きな亀裂が入ることになるし――」

 馬の首に寄りかかるように突っ伏し、ジュジュは溜息をついた。

 不気味な一族が自分たちを狙っていると知っても、ジュジュ自身は特に身の危険を感じてはいない。自分ひとりならたいていの困難は切り抜けられるという絶対の自信がある。ただ、それと同時に、自分が引率している生徒たちや、何よりもアマユールの安全も確保しなければならないのはかなりの難事だった。しかも、ロッコ隊長をはじめとした近衛兵たちは、厄介な相手に狙われていること自体知らないのである。

「は~……老けそう」

 もうひとつ大きな溜息をつき、ジュジュはかぶりを振った。


          ☆


 出発して二度目の日暮れが来た。

 出発前日をマウリンの家ですごしたクリオが最後に入浴したのはさらにその前日で、要するに、これでほぼ三日間も入浴していない。しかもこの二日間は馬に乗っての移動と突発的な戦闘で、たっぷり汗もかいているしほこりもかぶった。

「クリオはまだいいほうだぞ!」

 今夜の夜営地として一行が選んだのは、森の中を流れる小川のほとりだった。クリオたちが夕食の準備にかかっていたところで、アマユールがばりばり頭をかきむしりながらそうわめき出したのである。

「な、何よ? いきなり――」

「たっぷり汗をかいたとはいうが、クリオは別に、剣を振り回していたわけではないだろう?」

「それはそうだけど……魔法を使うっていうのも疲れるもんなのよ?」

「でもわたしみたいに土をかぶっていない!」

「あー……いやでもあれは緊急時のことだから……」

「クリオを責めるつもりはないぞ? でもわたしが頭から土をかぶったことは事実だ!」

「つまり……何をおっしゃりたいのです、アマユールさま?」

 竈に火をおこしていたレティツィアが、近くでずっとうろうろしているアマユールに尋ねた。

「意外に察しが悪いな、レッチーは。というか、そなたたちも年頃の娘なら、ほら、判るだろう?」

 ふゥ……と芝居がかった仕種で肩をすくめ、アマユールはいった。

「要は風呂だ! 風呂に入りたい! わたしは昔から、野駆けをした日には汗を流してさっぱりしてからでなければ寝られないたちなのだ。考えてみろ、わたしは伯爵夫人の屋敷で湯を借りたっきり、身体を洗えていないのだぞ?」

「それは判りますけど……さすがにこの場で入浴というのは、何と申しますか――」

「要するにワガママ?」

 レティツィアがあれこれ言葉を濁そうとしているところへ、ズバッと代弁するクリオ。額に手を当てて大袈裟に嘆息するレティツィアと、不満顔でほっぺたをふくらませるアマユールを交互に見くらべたクリオは、同じくこめかみを押さえてかぶりを振っているカルデロン夫人にいった。

「夫人、いいですか?」

「……はい?」

「だから、お風呂です。この子が入りたいっていってるし、わたしもそろそろ髪洗いたいかなって」

「バラウールさん、期待を持たせるようなことは軽々にいわないほうがいい」

 レティツィアはクリオの袖を引っ張り、アマユールをなだめにかかった。

「――アマユールさま、このような森の奥で入浴の用意をするのは簡単なことではございません。沐浴ならまだしも……」

「水ならすぐそこにいくらでもあるだろう?」

「それでもです。湯船は樽を使うにしても、大量の湯を沸かすのがひと苦労ですし――」

「樽!? 樽というのはアレか、けさがたわたしがユーリックに詰め込まれたアレのことか!? アレはダメだ、アレじゃ手足が伸ばせない!」

「そうは申しましても……」

「おひいさま、どうかここはご辛抱くださいませ」

 レティツィアだけじゃなく、今度はカルデロン夫人までが少女を翻意させようと参戦してきた。

「ここでは、その……殿方の目もございますし、さりとてテントの中で湯船を使うというのも……」

「目隠しくらい作るよ」

 クリオがそういって右手をひらりとひと振りすると、カルデロン夫人の背後に頑丈な壁がにょきっとそそり立った。

「ひぃ!?」

「ほら、湯船の回りをこれで囲めばよくない?」

「おお! さすがはクリオ、未来の駆龍侯だ! ――これで文句はないな、ばあや?」

「あ……し、しかし、おひいさまが満足なさるような湯船など――」

「それも作るし」

 今度は右手をひらひらっとひらめかせ、クリオは大地から巨大なボウル状のゴーレムを出現させた。およそ頭の中で鮮明にイメージできる単純な形状のものであれば、クリオはそれを土を材料として瞬時に立体化することができる。ユーリックが使う腕のように複雑な動きをする必要がないものであれば、作り出したあとに維持しておくのもそう難しくない。

「ユーくん!」

「はい」

 みなまでいわずとも、ユーリックはすでに大きな樽を使って即席の湯船に川の水をそそぎ入れている。その間にクリオはブーツを脱ぎ、川に入って手頃なサイズの石を集め始めた。

「レッチーもちょっと手伝って」

「……え?」

「両手で持てるくらいのサイズの石を集めて。それをガンガン炙って熱くしたところで湯船に放り込めば、お湯なんてすぐに沸くから」

 実際、クリオは子供の頃、こういうやり方で野山で熱いお風呂に入ったことがある。クリオにそういわれてきょとんとしているところを見ると、たぶんレティツィアにとっては、魔法はあくまで戦場での武器、強力な兵器の一種であって、実生活の中で活用するものじゃないんだろう。

 だけどクリオは違う。クリオにとっての魔法は、ふだんの暮らしをちょっと便利にするためにこそあるものだった。

「お嬢さま、このくらいでよろしいかと」

 ボウル状の湯船になみなみと水を満たし終え、ユーリックがひと息つく。

「ありがと。じゃ、今度はこれお願い」

「はい」

 クリオの魔法の炎で真っ赤に焼かれた石を、痛みも熱さも感じない手で、ユーリックが次々と湯船の中に放り込んでいく。たちまちその周囲の水が沸騰を始め、激しい音を立てて湯気が昇り始めた。

「おお! さすがは未来の――」

「それもういいから」

 ウッキウキなアマユールを黙らせ、クリオはユーリックにいった。

「――ユーくん、一応だけど、誰も覗かないように外で見張っててくれる?」

「承知いたしました」

 ユーリックを見張り番に残して、クリオは湯船の周囲をぐるりと高い壁で囲い込んだ。そのへんの木にでも登らないかぎり、これで誰も乙女の柔肌を覗き見ることはできないだろう。

「こんなことができるのなら、わたしも学校に行って魔法の勉強をしてみたかったな」

 とかいいながら、アマユールはさっさと服を脱ぎ始めていた。ここまでお膳立てした以上、カルデロン夫人ももうアマユールを止めるつもりはないようで、溜息をつきながら、少女が脱ぎ散らした服を拾って無言でたたんでいる。

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