第四章 狩りの始まり ~ワインから見る経済学~

 どのみち、馬車はない、馬も減ったとなれば、アマユールが誰かの馬に相乗りしていくのは避けられないことだし、その相方がクリオというのは理にかなっている。ジュジュがいった護衛上のメリットに加え、おそらくこの一行の中でもっとも体重の軽いふたりなら、相乗りしても馬への負担はさほどでもないはずだからである。

 クリオがそっとユーリックにささやいた。

「……でもこうなると、ユーくんが複座の鞍を選んでくれたの、大正解だったね」

「このような展開を見越していたわけではございませんが、結果よければ、というやつです」

「ばあやのことは気にするな、バラウール卿。どのみちほかに選択肢はないのだし、話し合うだけ無駄だ、無駄」

 アマユールはさっさとクリオの馬にまたがり、その首を撫でている。やはりこの少女は、クリオよりもよほど馬のあつかいに慣れているようだった。

「――見たところ、バラウール卿はあまり馬術が得意ではないようだし、何ならわたしがそなたを乗せていってやってもよいぞ? 手綱は任せておけ」

 アマユールがクリオを見下ろして意地悪そうに微笑む。クリオはアマユールの後ろにまたがると、少女の頭をくりくり撫でながら、

「いざとなったらわたしは馬より速く飛べるんだからいいの! ってゆ~か、厳密にはわたしはまだ駆龍侯ドラキスじゃないんだからバラウール卿はやめて。クリオでいいから。学校の友達はそう呼んでるし」

「そうか? でもロゼリーニ卿の孫娘はバラウールさんと呼んでいるぞ?」

「いやいや、あれで実はレッチーはなかなかの恥ずかしがり屋なのよ。学校ではやたらきりりとした優等生の仮面をかぶってるんだけど、本当はわたしのことをクリオって呼びたいのにがまんしてるの」

「そういうものか。宮中ではたびたび才女だという噂を聞いていたが、意外に面倒な女なのだな、レッチーは」

「……!」

 レティツィアは一瞬、彼女らしくもなく眉を吊り上げてクリオに何かいおうとしたようだったが、アマユールがいっしょにいたからか、結局は何もいわなかった。

 レティツィアがみずからいっていたように、どうやら貴族の娘には本当に自由というものがないらしい。少女たちの三者三様に、ユーリックは声を出さずに静かに笑みをこぼした。


          ☆


「――まさか誰も脱落とかしてないよな?」

 緑の濃い香りを胸いっぱいに吸い込み、ウバイドは背後にしたがえた人馬の一行を振り返った。ウバイド以下、軽装の騎馬が全部で一二――どこかの貴族の御曹司が、供を引き連れて狩りに出たように見えなくもない、そんな一行だった。

「そのような心配はご無用。……ですが、いささか大胆にすぎませぬか、若?」

 ひとつしかない瞳の上で、サブルーがぐっと眉根を寄せている。ほかの従者たちの表情も、みな一様に硬い。

 それが緊張のせいだということはウバイドにも判っている。何しろここはウバイドたちにとっては宿敵ともいえるフルミノールの領内――祖国を遠く離れた敵地の真っただ中なのである。

 フルミノール風の服を窮屈そうに着こなしているサブルーは、重苦しい溜息とともにもらした。

「若は大胆、豪胆さとくらべて用心深さに欠けると、先日も申し上げましたが」

「といったって、ほかの人間には任せられないだろ、こんな仕事?」

「若ご自身がお出ましにならずとも、それがしにお任せいただければ――」

「おまえを信用してないわけじゃないんだぜ? むしろある意味じゃ、オレはオレ自身よりおまえを信頼してる」

 幼少期から自分に仕えている教育係の老人をなだめるように、ウバイドはサブルーに馬を寄せて気安げに肩を叩いた。

「――だがな、今回はチャグハンナがかかわってんだろ?」

「はい」

「今のチャグハンナを率いてるのは誰だ?」

「確か……二年ほど前に代替わりして、今あの一族を率いているのは先代の長女だったはずですが」

「そうだ。先代が死んだって時に、親父どののところにあいさつに来たよな? その時にオレもちらっと見たことがある」

「名前は失念してしまいましたが……はい、そのこと自体はそれがしも覚えております。しかし、それが何か?」

「いい女だったと思わないか?」

「……若? まさかとは思いますが――」

「いや、冗談だって。半分は冗談じゃないが」

 じとりとしたサブルーのまなざしに、ウバイドは慌てて首を振った。

 ウバイドたちがふだん狩りをしている祖国の森とは、ここはやはり少し空気が違う気がする。アフルワーズの森はもっと原初的、剝き出しのままの自然がそこに置かれていると感じるのに対して、このフルミノールでは、森にさえなにがしかの形で人の手が入っている気がした。この深い森の中にも、きちんと踏み固められた幅の広い街道が整備されているのがその証左といえるのかもしれない。

「……経済力の差ってのは、こういうところにも地味に出るもんなんだな」

「何をおっしゃっているのです、若? ごまかさないでいただきたいのですが」

「あ? ああ、冗談抜きにホントのことをいえば、オレも一度は自分の目でフルミノールを見て見たかったってのが大きいな」

「……それは本当ですか?」

「おいおい、主人を疑うかよ?」

「若は韜晦がお上手ですので」

「信用ねぇなあ……」

 肩を落としてぼやきながら、ウバイドは馬の鞍にくくりつけたバッグの中からワインの瓶を取り出した。

「……この国じゃ当たり前に手に入るこういうモンが、オレたちの国じゃ、ここの何倍もの金を出さなきゃ手に入らねえ。アフルワーズにもワインはあるし、ガラスもある。だが、そのどっちも、ここまで品質がいいものはなかなか見かけねえよな。たとえあったとしても、それこそどっかのルートから流れてきたフルミノールの品だったりしやがる」

「それは……はい。それがしたちも、あらためてこの国の豊かさには驚かされております」

「前の戦でオレたちに味方する国が多かったのは、各国の王たちに、戦争で勝てばフルミノールを切り分けて、その富を分配できるって山っ気があったからだろ。当時はリュシアン二世が驕りに驕りまくって周りに嫌われてたってのもあるが」

 ワインをあおってのどの渇きを潤し、ウバイドは嘆息した。

「あの時にフルミノールの都を落としてりゃ、今頃オレたちの国でもこれが当たり前に買えるようになってたかもしれねえが、最後の最後で詰めきれなかった。おかげでフルミノールは、今でも大陸一の金持ち国家だ。たった二〇年であの戦争の傷をほとんどふさいじまってるように見えるぜ、オレには」

「……宮中のお歴々の中には、それを認めたがらない御仁も多いようですが」

「もう一度やれば今度こそ勝てるってか? この世の中もリュシアン三世も、そんなに甘くねえよ」

 戦上手を自負していたというリュシアン二世は、そこに由来する傲慢さで周辺諸国をすべて敵に回す愚を犯したが、今の国王リュシアン三世は、戦の采配うんぬんの噂は聞こえてこないものの、謀略という一点においては父や祖父も遠くおよばないとの評判だった。一兵も動かすことなく、六国連合からボドルムを引き剥がしつつあることだけを見ても、その手腕の一端は判ろうというものだろう。アフルワーズの好戦的な廷臣たちがいかに鼻息を荒くしようと、次にまたフルミノールに戦を仕掛けたとしても、前回と同じような展開には決してなるまい。

 ウバイドはワインの革袋を戻し、軽く首を回した。

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