第四章 狩りの始まり ~張りぼての国~

「――一八年前の戦争でフルミノールが負けなかったのは、局地的に見れば、駆龍侯の大魔法がフラダリスの手前で六国連合の大部隊を殲滅させたからだろうぜ。だがな、いかに駆龍侯が有能な魔法士であっても、二か所に同時に存在することはできっこない。要するにあの時、あらたに再編した軍を二方面から差し向ければ、フルミノールは王都を守り切れなかったはずだ。そんなこと、戦場に出たことのないオレにだって想像はつく。それぐらい単純なハナシだってのに、どうして親父どのは、諸国の王たちはそうしなかった?」

「当時の連合軍に、再度の遠征軍を編成する力がなかったからではないかと……」

「そうだろうさ。それ以外の理由が見当たらねえ。……結局、デカい戦の勝敗を決めるのは単純な兵力じゃなく経済力なんだよ。たとえ一〇〇の兵をかかえてたとしても、そいつらを食わせていくだけの経済力がなきゃ意味がねえ」

 当時からフルミノールは大陸一の強国だったが、それは単に常備軍の規模の大きさだけの話ではなかった。過去数百年に渡ってもっとも人口の多い国であり続けるフルミノールには、飢饉や疫病が起こっても彼らを飢えさせないだけの食料の備蓄があり、さまざまな産業からなるしっかりとした経済基盤がある。つまり、たとえ大敗を喫しても、すぐに軍を再編して守りを固めることができるだけの国力を持っていた。

 対して当時のアフルワーズや周辺諸国は、目先の戦に勝つことを優先し、性急に軍備拡大を進めたことで、フルミノールを圧倒する兵力を揃えることには成功したが、しかし、二度目のフラダリス侵攻軍を編成することはできなかった。おのおのの国内に充分な兵糧や戦費がなかったからである。

「結局、オレたちは見てくれだけで中身のない張りぼて、とびきりデカい張りぼてだったってこったろ。……だったら、今やるべきはその中身をぎゅうぎゅうにすることじゃねえか? 少なくとも、後ろ暗いやり方でちょっかい出してる場合じゃねえ」

「その理屈は判りますが、さりとて若ご自身が――」

「だからそれはもういいだろ? ちゃんとおまえらも連れてきてんだし。――ほら、急ぐぞ!」

 人から聞いたり本で読んだりした知識はあっても、ここはあくまで異邦の地である。土地勘がないことを考えれば、ぐずぐずしている余裕はない。ウバイドは配下の男たちに声をかけ、馬の腹を蹴った。


          ☆


「――日が暮れるまでに距離を稼ぐぞ! 警戒をおこたるな!」

 枝葉を透かして降りそそぐ陽射しはまだ充分に高い。ロッコ隊長の号令で、一行はふたたび南西へ向かって出発した。

 一行は一列縦隊を組むこともなく、クリオとアマユールが乗った馬を守るように、近衛たちがその周囲を取り囲む形で深い森の中を進んでいた。いつまた敵に狙われてもすぐにアマユールを守れるようにとの判断だろう。

「それはいいんだけどさ」

 クリオはじろりとユーリックのほうを睨んだ。

「……何でしょう、お嬢さま?」

「別に!」

「別に何もないというご様子ではございませんが」

「ドゼーくんも存外に意地が悪いな。ちゃんと判っているくせにどうしてそういうことを聞くの?」

 さっきとは打って変わった楽しげな表情で、レティツィアがくすりと微笑む。それがまた癪に触って、クリオの眉間のしわをさらに深くさせた。

「……本当にバラウールさんは判りやすいよ。すぐに顔に出るから」

「顔?」

 レティツィアの言葉にクリオを振り返ったアマユールが、ぎょっとして声をあげた。

「ど、どうしたのだ、クリオ!? 何だか顔が怖いぞ!?」

「怖くないから!」

「いや、でも、こう……眉間にぐぐっと深いしわが――」

「アマユールさま、バラウールさんが不機嫌なのは、わたしがドゼーくんと相乗りすることになったからでございます」

 しれっとして答えたレティツィアが乗っているのは、ユーリックが伯爵夫人の屋敷で選んだ気性の荒い大きな馬だった。レティツィアが乗ってきた馬は、馬車に同乗できなくなったジュジュにゆずったらしい。別にユーリックが申し出たわけじゃないし、隊長やジュジュの判断でこうなったわけだから、このことでユーリックを睨むのは確かに筋違いなんだけど、でも、この状況をすんなり受け入れてしまったユーリックに腹が立つのもまた事実だった。

「以前からバラウールさんは、自分以外の女子生徒が許可なくドゼーくんにあいさつすることさえ嫌がっておりまして……」

「おっ? クリオはアレか、束縛する女ということか?」

「そこまで束縛してないから! レッチーの場合は、勝手にユーくんを自分の部下に引き抜こうとするのがダメなの! 絶対やめてよ、そういうの!」

「お嬢さま」

 ユーリックが大声でわめくクリオをたしなめる。その時の自分を見つめるまなざしに、少しだけ冷静さを取り戻したクリオは、静かに怒気を吐き出した。

「そう騒ぐな、クリオ。その声を聞きつけて、また賊どもがやってきたら面倒なことになるぞ?」

「その時はまた返り討ちにしてあげるわよ。この! わたしが!」

「鼻息が荒いな、クリオ。くすぐったいぞ」

「そういうあなたこそ」

 溜息といっしょに不満を吐き出し、クリオはアマユールのつむじのあたりにのすっと顎を乗せた。

「――さっきっからカルデロン夫人があなたを見て渋い顔してるわよ? そんな大口開けておしゃべりなんてはしたない! っていいたげな顔」

「ああ、ばあやならそういうだろう」

 アマユールは大仰にうなずき、ロッコ隊長の馬に乗せてもらっている夫人をわざわざ振り返って手を振った。

「――でもまあいいんだ。向こうに着いたらちゃんとするから」

 向こうに着いたらちゃんとする――クリオにはそれが、ボドルムに着けばもう自分に自由はなくなるのだと、アマユールがすでに覚悟を決めているからこその言葉に聞こえた。レティツィアがいっていたように、この少女には、王族の一員としての自覚がすでに備わっているのかもしれない。

 何となく泣きそうになって、クリオはわしゃわしゃとアマユールの頭を撫でた。

「こ、こら、何をする、クリオ!?」

「だってあなたの髪、手触りいいんだもん」

「それをいうならクリオの髪もだ。……というか、どういう染料を使ったらこんな色に染まるのだ?」

「学校の友達にも聞かれるんだけど、別に染めてないんだよね、これ」

 長い髪をアマユールがいじるのに任せ、クリオは少女に気づかれないように鼻をすすった。

「――何か魔法使ってるうちにいつの間にか変わってた」

「え!? じゃあわたしも魔法の修業をすればこんなあざやかな髪の色になるのか?」

「それもよく聞かれるー。……でもたぶんならないんじゃない? 学校には魔法が得意な生徒ってけっこういるけど、わたし以外に髪が自然に変色したって子はいないみたいだし」

「それは何かずるくないか? どうしてクリオだけ――」

「そこはアレよ、駆龍侯の娘だからじゃない? 知らないけど」

「お嬢さま、あまり無責任なことはおっしゃらないでください」

 少女たちの会話に割り込み、ユーリックがクリオをたしなめる。そんな少年を一瞥したアマユールは、声をひそめてこそこそと、

「……こういういい方は、たぶんちょっと失礼なような気もするのだが、あの男は平民出身だろう? そのわりにはやたら頭がいいようだな? 主人のはずのクリオより優秀に見えるのだが」

「……まあ、確かにユーくんは優秀だけどね」

 ひくっと口もとをひきつらせ、クリオはうなずいた。どうやらこの一一歳児は、真に優秀な人間というのがどういうものか判らないみたいだ。

「ユーくん? クリオが主人なのに、なぜそんな呼び方をする?」

 怪訝そうなアマユールに、クリオは説明した。

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