お嬢さま、それはおやめください! 第二部

嬉野秋彦

序章 ぼくのうで ~あのこをまもるもの~




 久しぶりに手足を交換するといわれた時、ユーリックは何ともいえない恐れをいだいた。日常生活の中で忘れかけていた、自分の生身の手足はもうないのだという現実を思い出し、それがいまさらのように少年の身体を震わせたのである。

「……動かしてみろ」

 これまでのものより明らかに太くてごつい右腕を取りつけた師匠――ガラム・バラウールは、軽く溜息をついて顎をしゃくった。

「…………」

 ユーリックは無言でうなずき、ソファに腰かけたまま、ゆっくりと右腕を動かした。見た目こそ変わったが、曲げたり伸ばしたり、ユーリックの思うがまま、イメージする通りに動いてくれる。

「……問題ないと思います」

 そう答えたユーリックの目の前に、不意に小さなクルミが飛んできた。

「!」

 反射的に右手で掴み止めた瞬間、クルミの殻がこなごなに砕けた。

「え……?」

 作りものの太い指の隙間から、硬い殻の破片がぱらぱらとこぼれ落ちる。呆然とそれを凝視していたユーリックは、少年の拳を開かせる師匠の顔をはっと見上げた。

「い、今のは……?」

「今度の手足は、前のものより強い力が出せるようにしてある」

 少年のてのひらに残ったクルミをつまんで口もとに運び、ガラムは渋い表情で続けた。

「これから数年かけて、おまえの手足を少しずつ強いものに変えていく。……なぜかは判るな?」

「それは――お嬢さまを、お守りするためですか?」

「そうだ」

 残っていた左腕、さらに両足をユーリックの身体に取りつけたガラムは、またひとつ溜息をついてソファのそばを離れ、窓辺に寄った。

「……いずれクリオドゥーナにも、おまえの手足を作り出すための魔法を伝授するつもりでいる」

「お嬢さまに……?」

 窓の向こうでは、クリオドゥーナがユーリックの祖母といっしょに鶏たちに餌をやっている。ガラス越しに、少女の明るい笑い声がかすかに聞こえてくるような気がした。

「おまえは決してクリオドゥーナに逆らってはならん」

 身支度をととのえているユーリックに、ガラムはいった。

「――私かクリオドゥーナから定期的に魔力をあたえられなければ、おまえのその手足を動かすことはできない。もしクリオドゥーナがいなくなれば、おまえはすぐさま両手両足を失うのだ」

 物心ついた頃から何度となく聞かされてきた話だった。生まれた直後に病によって両手両足を失ったユーリックが、いささか不格好とはいえあらたな手足を手に入れ、人並みの暮らしを送ることができているのは、まぎれもなくガラムとその娘クリオドゥーナのおかげだった。それは理解している。

「……決してクリオドゥーナに逆らうな。何があろうとクリオドゥーナを守れ。私が生きている間はいいが、もし私の身に万一のことがあれば、クリオドゥーナを守れるのはおまえしかいなくなる」

 太い指で難儀しながらシャツのボタンをはめようとしていたユーリックは、師匠が放った不吉な言葉に眉をひそめた。

「旦那さまに万一のことって――?」

「……戦こそ終わったが、何があるかは判らんものだ」

 ユーリックの口からこぼれた疑問をはぐらかし、ガラムは自分の机に戻った。

「一日も早く新しい手足のあつかいに慣れろ。おまえ自身も魔法について学べ。つねにクリオドゥーナのそばに控え、その身を守るのだ。おまえはそのために救われたのだということを忘れるな」

「……はい」

「それと、そのクルミを――」

 テーブルの上に置かれていたガラス製の大きな瓶を羽根ペンの先でしめし、ガラムはいった。

「マウリンのところへ持っていけ。台所にあったのを勝手に持ってきてしまったからな。戻しておかないとあとで小言をいわれる」

「はい」

 ガラム・バラウールという人間は、痩せぎすで陰気で、一見すると恐ろしげな雰囲気をまとってはいるが、実際にはそこまで怖い人間ではない。ただ、変わり者であるのは事実だった。

 大瓶をかかえてガラムの書斎をあとにしたユーリックは、少女の笑い声と鶏の鳴き声が響く裏庭に向かった。

「…………」

 ガラム・バラウールの屋敷は、その広大な所領のほぼ中央、小高い丘の上にあって、周囲を麦畑に囲まれている。“駆龍侯ドラキス”という仰々しい肩書きに反して、領民たちはガラムを恐れていない。というより、そもそもあまり関心を持っていないようだった。ガラム自身が領地経営にさほど関心を持っておらず、国王に派遣してもらった代官にほぼすべてを丸投げして、自身はもっぱらこの屋敷に籠もって魔法の研究に没頭しているせいだろう。

 偏屈な主人は人づき合いにも興味をしめさず、おかげでこの屋敷には、ユーリックの祖母でありクリオドゥーナにとっては乳母役でもあるマウリンも含めて、使用人が六人いるだけだった。

 今年で八つになるユーリックは、それが貴族の暮らしとしてはやや異質であることに気づき始めている。まだほとんど外の世界というものに触れたことはないが、この屋敷にある膨大な蔵書を読んでいれば、何とはなしに判ってくることもあった。

「…………」

 勝手口の前の石段に腰かけ、ユーリックはガラス瓶の栓を抜いた。マウリンといっしょに鶏の世話をしているクリオドゥーナを遠くに見つつ、瓶の中身を地面にぶちまけ、ひとつひとつ殻を砕いて中の実だけを瓶に戻していく。きのうまでのユーリックの手では、とてもクルミの殻を割ることなどできなかっただろう。

 この手と足は、これからも徐々に強いものに交換されていくという。自分が少しずつ人間から離れていくような気がして、そこにかすかな恐れを感じないでもなかったが、また手足を失う恐怖にくらべればはるかにいい。まして、それがクリオドゥーナを守るためなら受け入れる以外の選択肢はなかった。

 あっという間にすべてのクルミの殻を粉砕したユーリックのもとに、鶏をかまうのに飽きたのか、クリオドゥーナがやってきた。

「何してるの、ユーくん?」

「クルミの殻を割っていました」

 確かきのうの夜、クリオドゥーナがクルミのタルトを食べたいといっていた。ユーリックの祖母が蔵から出してきたクルミを厨房に置いておいたのは、タルト作りに使うつもりだったのだろう。だからユーリックは、祖母の手間をはぶくために――ついでに自分の新しい腕の力加減を覚えるために――クルミを割っていたのだった。

「え!? ユーくん、どうしたの、その腕!?」

「あ……新しいものに交換すると旦那さまがおっしゃって――」

 ガラス瓶に栓をしてユーリックは立ち上がった。

「でも、前のよりでっかいっていうかゴツゴツしてるっていうか」

「……嫌ですか?」

「んー……まあ、ユーくんがいいならいいかな? わたしは気にならないけど」

 クリオドゥーナは幼馴染みの新しい腕にぺたぺたと無遠慮に触れ、にこっと笑った。

「何かあれだ、鎧? みたいな? カッコいいね! 頼もしいよ」

「……ありがとうございます」

 思ってもみなかった言葉をかけられ、ユーリックは少しはにかんだ。

 少なくとも今のユーリックにとっては、この少女のために生きるのは苦痛ではない。むしろ喜ばしいことだった。

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