終章 黎明の風 ~馬車に揺られる逃亡者~

「――応援で来てくれた近衛の一部が、ゆうべの野営地周辺からこのあたりにかけて、生存者がいないか捜索してくれているんだ。だから、ドゼーくんもすぐに見つかるはずだよ。それに、ドゼーくんにはきみが作った強力な手足があるじゃない」

「だって――」

 確かにユーリックの手足は常人をはるかにしのぐパワーと頑健さを持っている。だけど、魔力が尽きればとたんに動かなくなるという弱点もあった。そしてクリオには、きのうユーリックにチャージした魔力が残っているかどうか確認する手段はない。魔力が尽きた時、それがクリオのほうにどんなふうにフィードバックされるのか、そもそもフィードバックがあるのかどうかすら判らないのである。

 ただ、そういうことを考えていたら、ゆうべアマユールとふたりで逃げていた時、ついぞ感じた覚えのないめまいを何度か感じたことを思い出した。もしかしたらあれは、ユーリックの身に何かが生じたというサインだったんじゃないか――そんな不吉な考えが次々に湧いてきて、涙がこぼれるのを抑えられない。ついさっきは、いざとなったらさらいにいってあげるなんてアマユールに偉そうなことをいったのに、今は不安と哀しみの重さに押し潰されそうで、自分の足で立っていることさえできなかった。

「クリオ……」

 ふらりと崩れ落ちそうになるクリオをレティツィアがささえる。

 そこに、息を切らせてアマユールが駆けてきた。

「クリオ! レッチー!」

「アマユールさま――」

「らっ、ライールが! ライールから知らせが届いたぞ!」

「……ライール? ライール先輩?」

 やたらと興奮している少女を見て、クリオはしばし泣くことも忘れて首を傾げた。

 ライールと聞いてクリオの頭に真っ先に思い浮かぶのは、同じ王立陸軍学校ゼクソール騎兵科スージェ・カバレリに在籍する男子の先輩、ライール・ドルレアックしかいない。アマユールにとっては年上の甥っ子だから、彼女の口ぶりからすれば、たぶんそのライール先輩のことをいっているんだと思う。だけど、この局面でどうしてライール先輩の名前が出てくるのかがよく判らない。

 その疑問にアマユールがみずから答えた。

「いや、あいつはどうも応援の近衛隊といっしょに派遣されたらしいのだ。何かあった時にわたしの顔を確認できる人間が必要だったとか、それに輿入れについての事情も知っているし……いや、それはまあ置いといて! クリオ! めそめそしている場合ではないぞ!」

「え? な、何!?」

「ライールは生存者を捜索する任務に当たっているのだが、そこでユーリックらしい若者を見つけたらしい! 捜索を続けながら今こっちに向かっているとのことだ!」

「そっ……ほ、ホント!?」

「怪我はしているが意識はあるそうだ! よかったな、クリオ!」

「――――」

「……バラウールさん? ねえ? クリオ?」

 レティツィアに肩を揺すられ、クリオは今度こそその場に崩れ落ちた。ずっと心を張り詰めさせていたところに急に安心したせいで、全身の力が一気に抜けてしまったのである。


          ☆


 行きも帰りも身分を隠してのお忍びではあったが、来る時に一一人いた部下たちが、今はサブルーを含めても六人しかいない。いかに王位継承順位が低いとはいえ、一国の王子が渡るにはあまりに危ない橋だった。

「……つまり、わたしらが受け取った勅令は偽物だってのか?」

 あちこちに軟膏を塗りながら、シャルタトレスは呟いた。その表情が険しいのは、火傷の痛みがうずくからというより、ウバイドから聞かされた話が原因だろう。

「宮廷内に何が何でもフルミノールをぶっ潰したいって連中が多いのは知ってるだろ? そういう奴らにとっては、ボドルムがアフルワーズから離れてまたフルミノールと仲よくなるのががまんならないんだろうさ。だから……何だっけ? 名前――」

「アマユール・ドルレアック、確かリュシアン三世の従兄の娘ですな」

 農夫に身をやつして馬車の御者台に座っていたサブルーが、すかさず補足する。ウバイドは大仰にうなずき、シャルタトレスの素足に包帯を巻きながら続けた。

「それ、そのガキの輿入れを何としても邪魔したかったんだろ。だから親父どのの印章を勝手に使って勅書の偽造までして、あんたたちを動かした」

「……その話、本当なんだろうな?」

「本当っていうか――今の親父どのはずっと臥せりがちで、勅書を書けるような状態じゃないんだが」

「は?」

「まあ、そういう話は外にもらさないようにしてるから、あんたらが知らなかったとしても無理ないけどな。――なあ、里に届いた勅書はまだ取っといてあるんだろ?」

「ああ」

「だったら親父が回復した頃に、それ持って都に来いよ。オレがこっそり目通りできるように取り計らってやるから、本人に聞いてみればいい」

 包帯を巻き終えたウバイドは、藁をクッション代わりにして荷台に寝転び、青空を見上げて溜息をついた。

 シャルタトレスは添え木を当てられた右手をじっと見つめている。チャグハンナの頭領である彼女にしてみれば、火傷や骨折の痛み以上に、ともに修行してきた信頼できる仲間たちをことごとく失ったことが痛いはずだった。

「――おまえは何を考えてわたしを助けた?」

「は?」

 首をもたげ、ウバイドはシャルタトレスを見やった。

「わたしも多くの仲間を失ったが、おまえだってわたしを助けるために優秀な部下を失っただろう? そもそも大酋長の息子であるおまえがわざわざ敵国にまで出向いてきて、なぜわたしを助けた?」

「あんたを助けたのは……ま、なりゆきだな。さっきもいったが、オレはアフルワーズがもう一度フルミノールに喧嘩を吹っかけるのは時期尚早だと思ってる。だから、宮廷内の気が逸ってる連中のもくろみを潰そうと思ってここまで来た。オレ自身が乗り込んできたのは、まあ――」

「ことがことだけに、余人には任せられぬとお考えになった結果でしたな、確か」

「しれっと聞き耳立ててんなよ、おまえもよ!」

 老獪な守役に苦笑し、ウバイドは身を起こした。

「――でまあ、そこでたまたまあんたが妙なのと戦ってるのを見かけて、これはちょうどいい機会だと思って助けたわけだ」

「は? ちょうどいい? わたしが死にかけてたことがか?」

「おいおい、そう睨むなよ。……要は、オレと手を組まないかってことだよ」

「手を組む?」

「あんたはろくに相手の情報もあたえられず、ガキひとりを始末しろとだけいわれて敵国に送り込まれ、結果として大事な仲間を失った。しかも偽の勅書でだ。――だろ?」

「…………」

「オレと手を組めば、仲間の仇が討てるかもしれないぜ? もちろん、あんたがそもそも仇討ちに興味がないってんなら、全部オレの骨折り損てことになるわけだが」

「仇討ちだって? どうやってさ?」

「親父どのが起き上がれるようになったら、あんたらのところに届いた勅書を持って都に来なよ。そいつを親父どのに見せれば、偽造した犯人捜しが始まる。勅書の偽造は誰がやったってまず死罪だし、そいつらの処刑をあんたに任せるくらいの融通は、おれがどうにかつけさせるよ」

「……そこまでして、おまえに何の得がある?」

 シャルタトレスのその問いに、御者台のサブルーが肩越しの視線を投げかけてきた。迂闊なことをいうなという無言の圧力だとは判っていたが、腹を割って話さなければ打開できない問題もある。

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