終章 黎明の風 ~こっちも馬車で!~

 ウバイドは瓶入りのワインを二本取り出して栓を抜き、そのうちの一本をシャルタトレスの左手に握らせた。

「オレはな、次の大酋長になろうと思ってる」

「……何?」

「そのためには邪魔な奴らが多すぎるんだ。優秀な兄や弟たち、野心のある若い寵姫、有力な廷臣たち――そういう連中を蹴落としてくためにも、まずはあんたたちを仲間にしておこうって思い立ったんだよ」

「……わたしらチャグハンナは、あくまで大酋長個人のいうことしか聞かない。そういう特権を許された一族なんだよ」

「判ってる。オレはまだ大酋長じゃないしな。――だから今は、あんたらに偽の勅書を送りつけた真犯人を炙り出すだけでいい。そこだけ手伝わせてくれ。オレの考えが正しけりゃ、それで邪魔っ気な兄弟か妃たちの何人かを消せる。オレにとってはそれだけでも大きな前進ってわけさ」

 シャルタトレスはワインを飲みながらじっとウバイドを見据えている。もしシャルタトレスがこのことを外にもらせば、たちまちウバイドはほかの兄弟たちに謀殺されかねない。これといった後ろ盾のないウバイドが生き馬の目を抜くあの宮中でのほほんとしてこられたのは、どう転んでも一四代目の大酋長になる可能性がないと思われているから――すなわち歯牙にもかけられていないからであって、もしウバイドにそうした野心があると知られれば、即座に消されてもおかしくはないのである。

 にもかかわらず、あけすけにこんな提案をするウバイドの正気をシャルタトレスは疑っているのかもしれない。

「……まずは傷を治してからだよ」

 あっという間にワインを飲み干し、空き瓶を放り出して、シャルタトレスは藁の褥に横たわった。

「確かに仲間の仇は討たなきゃならねえ。その時にはおまえの力を借りることになるだろう。……だが、まずは弓を引けるようになってからだ」

「いいさ。オレを頼りたくなったらいつでもいってくれ。美人の頼みは断らない主義だからな」

「そうかい? ならそっちも寄越しな」

 横柄に笑ったシャルタトレスは、ウバイドの飲みかけのワインを横取りして、それもまた一気に飲み干してしまった。

「飲みたきゃ勝手にやってくれよ。そのへん探ればまだ何本かあるはずだ」

 大仰に肩をすくめ、ウバイドは荷台から御者台に移った。

「――どうにかフルミノールの連中と鉢合わせずにすんだが、どうだ? 無事に国に戻れると思うか?」

「さて、どうでしょうな。いささか無茶をしすぎましたので」

 あれこれとしゃべりすぎたせいか、サブルーの機嫌はあまりよくないようだった。老人がへそを曲げても可愛くないといってやりたかったが、これ以上機嫌をそこねられても困る。ウバイドは守役の肩を叩き、低い声でいった。

「国に帰れたらしばらくはおとなしくしてるよ。……それでいいだろ?」

「急に殊勝なふりをなさったところで状況は変わりませんぞ? この国では、我々のような肌の色をした人間は警戒されやすいのです」

「判ってる。……おまけに、明らかに一戦やらかしてきたって感じだからな」

 馬車に乗っているウバイドたちはもちろん、騎馬で随行する部下たちも、全員があちこちに包帯を巻いている。あの奇怪な腕を持つ少年との戦いから、こうして五体満足で生還できただけでもウバイドたちは運がいい。

「……駆龍侯の弟子とかいうあのガキ、いったい何だったんだ?」

「それがしには判りかねますな。ですが、もしあのような奇怪な力を持つ者がほかにもいるのであれば、確かに今フルミノールと戦うのは思いとどまるべきでしょう」

「だよなあ……」

 きしむ身体を強引に伸ばし、ふと背後の荷台のほうを振り返ると、シャルタトレスはいつの間にか藁の山にもぐって眠っていた。腕前はもちろん、やたらとふてぶてしい女だが、だからこそ組む意味がある。

 サブルーは軽い火傷でひりつく頬に軟膏を塗りながら、異国の朝日のまぶしさに目を細めた。


          ☆


 木漏れ日が目に染みるように感じるのは、その明るさのせいではなく、目の周りの皮膚の薄いところが日焼けをしたようになっているからかもしれない。少し前に塗ってもらった軟膏の臭さが鼻を突き、疲れているのに眠るに眠れない。

「ドゼーくん、傷が痛むのか?」

 毛布にくるまっているユーリックが目をしばたたかせているのに気づいたのか、同じ馬車に乗り合わせていたライールが声をかけてきた。女生徒たちがその雄姿に熱いまなざしをそそぐ校内一の美青年と、初めてまともに交わす会話がこれとは、ついつい笑みがもれてしまう。

「――ドゼーくん?」

「いえ、大丈夫です……幸か不幸か、私には痛む手足がございませんので」

「素直に笑いにくい冗談だな。――それを抜きにしても、きみはあちこちにひどい火傷を負っているんだが」

「感覚が麻痺しているのか、今は少しひりつくような気がするだけです」

「そうか」

 ライールが馬車に乗せられているほかの近衛兵たちを一瞥した。死者の群れの中からかろうじて生還した彼らとくらべれば、ユーリックの負傷はまだ軽いほうだといえるだろう。背中や二の腕、太腿に無数の矢傷があるものの、どれも致命傷ではないし、失われた両手と右足は、いくらでも交換できるからである。

「――それにしても、きみの強さは噂以上らしいな。倒れていたきみの近くには、賊と思われる者たちの死体がいくつも転がっていた。あれはきみが倒したんだろう?」

「だと思いますが……はっきりとは覚えていません」

 確かにユーリックは、恐るべき魔法の火矢を使うシャルタトレスと戦い、満身創痍になりながらもひとりで彼女を足止めしていた。だが、最終的にどう決着がついたのか、自分でも覚えていない。戦いの途中で意識を失い、次に目覚めたのはライールたちに救出され、馬車に乗せられる時だった。

「……その死体の中に、女はいましたか?」

「女? いや、たぶんいなかったはずだが――」

「私が最後に戦っていた相手は、魔法を乗せた弓矢を使う女でした」

「弓矢に魔法を乗せる? ……魔法剣の応用か? アマユールさまを狙っていたのはアフルワーズの特殊部隊だったという未確認情報もあるが、だとすれば、そういう魔法の使い手がいてもおかしくはない、か……」

「やたらと好戦的な女でしたが――そうですか、いませんでしたか……」

「まだこの森のどこかにいるという可能性もあるな。引き続き警戒が必要なようだ」

 まだ騎兵科の四年生だというのに、すでにライールには若い士官のような風格がある。周囲が期待する通り、あるいはそれ以上に、ライールは進むべき正しい道を歩み続けているようだった。クリオがこの若者と同学年でなかったのは、けだし僥倖というほかはない。

 そこまで考えて、ユーリックはライールに尋ねた。

「……先輩、お嬢さまは――」

「きみ……その質問、これでもう三度目だぞ?」

 何ごとか深く考え込んでいたらしいライールが、何度も繰り返されるユーリックの問いに苦笑した。

「――それほど私の言葉が信用できないなら、きみ自身の目で確認するといい。ちょうどお転婆なお姫さまといっしょにこちらへやってくるところだ。まったく、あの子は周囲の人間の苦労というものがまだ判っていないらしい」

 ライールの最後のぼやきは、自身の親戚でもあるアマユールに対するものなのだろう。ライールが指さしたほうを見ると、早朝の森の静けさを派手にぶち壊して、馬に乗ったクリオとアマユールがこちらにやってくる。その後ろには、アマユールを護衛しなければならないロッコ隊長以下、生き延びた近衛兵たちやレティツィア、ジュジュたちの姿もあった。

「……ようやく安心できました」

 クリオが泣き笑いの表情を浮かべているのを確認し、ユーリックはようやく目を閉じた。

 ゆうべ自分の身に何が起こったのか、このまま流してはいけないとは思いつつも、今はただ疲れた身体を休めたかった。

                                 ――完――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お嬢さま、それはおやめください! 第二部 嬉野秋彦 @A-Ureshino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ