第一章 束の間の休息 ~少女たちの長風呂~

 クリオはいったんお湯にもぐってから、ぷるぷると首を振った。

「でも、せっかくのお休みが半分近く潰れるって話だしさ。ほかの子たちが実家に戻ってのんびりしてる時に、そんなわざわざ……」

「だって、どんなに行きたくても、選ばれた子しか同行を許されないんでしょ? それってすごい名誉なことだよー。絶対行ったほうがいいよー。――当然、レティツィアさまは行くんですよねー?」

「そのつもりだよ。そもそも護衛任務とはいうけど、実際に一行の護衛は近衛から選ばれた兵士たちがつくんだ。わたしたちの役目はせいぜいその補佐か、さもなければ伯爵夫人のお相手みたいなものだと思うよ」

「そうなんですかー?」

「ローラン伯爵夫人のメルバインさまは、我が校の理念にもご理解のあるおかただと聞いている。……まあ、要するに有力な後援者のひとりということなんだ」

「もしかして」

 クリオが親指と人差し指で輪を作ってしめすと、レティツィアは小さく苦笑した。

「それをいったらおしまいだけど、まあ、学長としては断りづらいと思うよ」

「なるほど……伯爵夫人のわがままにつき合わされるわけね」

「えー? クリオちゃんは行きたくないのー? もしクリオちゃんが辞退するなら、代わりにわたしがそこに入れないかなー? おしゃべりのお相手とか身の回りのお世話にかぎっていうなら、わたし、クリオちゃんよりよっぽどうまくやる自信あるけどなー」

「…………」

 鼻先までお湯にもぐってぶくぶく泡を吐きながら、クリオはマルルーナをじろりと睨んだ。

 正直にいえば、クリオは名前も聞いたことのない貴族の護衛任務なんかで貴重な休みを潰したくはなかった。そんなことをするより、城下に住むばあやのところに行ってだらだらしているほうがよっぽどいい。

 が、強制参加ではないとはいえ、学長はこの旅を一種の課外授業のようなものと考えてほしいといっていた。うまくやり遂げれば、何かしらの形で成績に反映させるということだと思う。それを聞いてしまった以上、ユーリックがクリオの怠惰を許してくれるはずがなかった。

「……あれ? でもレティツィアさま、伯爵夫人のお世話だから女子生徒ばかりが選ばれるっていうのは判るんですけどー、ユーリックくんまでいっしょに行くっていうのはどうしてなんですー?」

「バラウールさんに聞いてみたら?」

 ていねいに洗った髪をタオルでこれまたていねいにくるみ、レティツィアは湯船に入ってきた。その動きに合わせてふるるん、とやわらかそうに揺れる少女の胸がちょっと妬ましい。

「クリオちゃん、どういうことなのー?」

「……複雑な話は省略するけど」

 実際には自分でもよく判らない部分が多くて説明しようにもできないんだけど、そんなことはおくびにも出さず、クリオは同級生の額に自分の人差し指を押し当てた。

「ユーくんの手足を動かすには、わたしが定期的に魔力を供給する必要があるからさ、三日も四日も離れていたら、ユーくんは手足を動かせなくなっちゃうの。だからそのへんを考慮してくれたんじゃない? よく知らないけど」

「へー、そうなんだー」

「要するに、ユーくんはわたしがいなきゃ生きていけないってことだよね」

「そうかな? きみたちふたりの関係でいうと、むしろきみのほうがドゼーくんに頼りきっているように見えるけど」

「……そうれはわたしも感じますねー」

 レティツィアとマルルーナのまなざしが意味ありげにクリオに向けられる。クリオは慌ててお湯から立ち上がり、

「ちょ、ちょっと! 違うから! それ! 絶対!」

「だってクリオちゃん、だいたい何をするにもユーリックくんを頼ってない? 今回の試験だって――」

「ちがっ……」

「頼りきってるっていい方がダメならー……じゃ、甘えきってる? とか?」

「そうだね。ドゼーくんが何でもできるのをいいことに、バラウールさんは少し彼に甘えすぎているとわたしも思うよ」

「ち、違うから! ユーくんに! 甘えてなんか! ないから! しいていうなら、わ、わたしがユーくんに、あっ、甘えてあげてるの! ユーくんのために!」

「甘えてあげてるって……初めて聞いたな、そういう理屈」

 白い肌をほんのりピンクに染めたレティツィアが、口もとを隠してくすくすと笑う。あらためて考えると大威張りで主張することじゃないと気づいて、クリオは何もいえずに口ごもってしまった。実際、自分がユーリックに甘えているという自覚はあったけど、それを他人から指摘されるのはさすがに恥ずかしい。

「……!」

 おまけにその直後、素っ裸のまま棒立ちになっている自分に気づき――加えて周囲の生徒たちの注目を浴びていることにも気づいてしまって――クリオは顔を真っ赤にしてふたたび湯船に身を沈めた。

「とっ、とにかく! マールの出番とかないから! だいたい、お世話うんぬん以前に、わたしたちは狩りに同行するんだよ? そういうことはまず長時間馬に乗れるようになってからいって!」

「あー、そっかー、それは残念」

 さして気落ちした様子も見せず、それどころかにやついた笑みまで浮かべて、マルルーナはお湯の中でクリオの脇腹をつついた。


          ☆


 ユーリックがその気になれば、ギャロップで走る戦馬に並走することも可能だった。乗馬初心者が危なっかしくあやつる馬の手綱を握って、同じ速度で並走していくくらい造作もない。

「ぼっ、暴走したりしないようにちゃんと押さえててよぅ、ユーリックくん!」

「判ってる。いいからおまえは無駄口を叩くな。うっかり舌を噛んだりしたら、しばらくは食事が楽しめなくなるぞ」

「あわわわ……!」

 ユーリックの言葉に、コルッチョは慌てて馬の首にしがみついた。

 ひとつの区切りとなる大きな試験が終わって、少なくとも一年生たちの間には一種の安堵感のようなものが広がっている。ひとまず新しい環境に馴染んでそれなりの成果を実感している者たちはもちろん、逆にこの時点で早々に才能のなさを痛感した者であっても、早い段階で進路を変える決断ができたのであれば、それはかならずしも後ろ向きなこととはいえないだろう。ほとんどの一年生にとって、今はまだあらたな道を選び直すのに決して遅くない時期だからである。

 ただ、このコルッチョ・ルペルマイエルという少年の場合、自分の才能や成績とはまったく無関係に、途中でゼクソールを去るという選択肢はあたえられていなかった。そもそもコルッチョは軍人になるためにここへ入学したのではなく、裕福な貴族の子弟たちとのコネクション作りと、規則正しい生活習慣を身につけること、そして何よりもダイエットのために放り込まれたからである。

「一応聞くんだが」

 夕食前の夕暮れの中、乗馬の特訓につき合っていたユーリックは、鞍からすべり落ちるように下馬したコルッチョに尋ねた。

「――おまえの実家の方針はともかく、この学校は成績が悪ければ問答無用で放り出されると聞いている。特に今の学長は、大貴族に忖度しなかったせいでここへ飛ばされてきたという噂もあるし、ルペルマイエル家がどれほど寄付金を出していようと、おまえだけ特別にお目こぼししてもらえるとは考えられないんだが」

「……そ、そうかなあ?」

「たぶんな。――もしおまえが落第、放校ということになった場合、おまえの親はどうする?」

「ママは家に戻ってこいっていうだろうけど、パパはどうかなぁ……」

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