第六章 いうことをきかないぼくのうで ~怪物~

「お、おまえは……?」

「おいおい、前に一度会ったことあるだろ? ほら、あんたが死んだ父親の跡目を継いで、親父どののとこに報告に来た時に」

「……何?」

 その言葉に、シャルタトレスは小さな驚きの声をあげた。

「ひょっとして……大酋長の何番目だかの息子、か……? 確か、ウバイド王子、だったっけか……?」

「ようやく思い出したか? できれば再会を祝して酒でも飲みたいとこだが、今は逃げるの先だな。……というか、そもそも何なんだ、あいつは? フルミノール人か? この国にはあんな怪物みてェなヤツがいるのかよ?」

 シャルタトレスに肩を貸して立ち上がった若者――ウバイドは、禍々しい両腕を持つユーリックを見て顔をしかめている。シャルタトレスは静かに深呼吸し、じんじんと痛み始めた右腕をさすった。

「……あの小僧の両手は作り物らしい」

「作り物? 何だそれ?」

「とにかく作り物なんだよ。……生身の腕でわたしの魔法が防げるかっての」

「そういわれても、オレはあんたの魔法がどういうものか――」

 ウバイドの顔に浮かびかけた苦笑が唐突にこわばった。矢の雨が途切れた刹那、ユーリックが一転して走り出したのである。身体のバランスを崩すほどの巨大な腕をぶら下げているくせに、その動きは恐ろしいほど速い。

「若! お下がりください!」

 隻眼の大男に率いられた男たちが、ウバイドとシャルタトレスを守るようにユーリックの前に立ちはだかった。半数は弓を構えたまま、残りは曲刀を引き抜き、ユーリックを迎え撃つ動きを見せている。

「……意味ねえよ」

 シャルタトレスは舌打ちし、ウバイドにいった。

「おい、おまえ」

「あのなあ……オレ、一応はシェルガドの息子よ? おまえ呼びはなくないか?」

「そうだな。おまえが次の大酋長になったら敬意を払ってやるよ。――それより早く逃げたほうがいい」

「は?」

「おまえの従者、このままなら全員殺されるまでたぶん三分もかからねえ」

 今のユーリックのパワーなら猛牛の頭蓋骨すら一撃で叩き割れるだろう。実際、鉈をかざして少年の前蹴りを受け止めようとしただけで、シャルタトレスの右腕は折れていた。時間差で襲ってきた痛みと腫れがそれをしめしている。

「三分て――」

「がは……ぁ!」

 ユーリックに殴られた男が血反吐を吐きながらウバイドの目の前に転がってきた。その手にあった曲刀は、刀身がぽっきりと折れている。特別に刃の厚いシャルタトレスの鉈ですら刃毀れを起こしたのに、ふつうの曲刀でユーリックの拳を受け止められるはずもなかった。

「こ、こいつ……!」

「ぐ、っは――」

 左右から同時に斬りかかってくる男たちを、ユーリックが平然と殴り飛ばした。彼らもウバイド子飼いの手練れたちなのかもしれないが、先代の頭領に鍛えられたチャグハンナの戦士たちが次々にユーリックに倒されてきたことを考えれば、これもそう驚くべき光景ではないだろう。まして今のユーリックは、正気を失い茫洋とした状態のまま、いわば本能のみにしたがって戦う猛獣のような状態にある。

「確かにやばいな、このガキ……」

「そもそもよ、おまえ、何のためにフルミノールくんだりまで来たんだ? まさか物見遊山てわけでもねぇよな?」

「は? 薄情なこというなよ。あんたを助けるために来たんだぜ? ……まあ、厳密にいえば少し違うけど」

「どういう意味だよ?」

「あ、いや、今はそんなのあとあと! おーい、下がるぞ、サブルー! ――あんたももう走れるよな?」

「あ、ああ」

 ウバイドの号令一下、シャルタトレスたちはその場から走り出した。しかし、遮蔽物の多い森の中をジグザグに走るシャルタトレスたちに対し、ユーリックは邪魔な木の枝や灌木をへし折り、蹴散らして、ほとんど直線的に追いかけてくる。

「若は先にお逃げください! ここは我々が食い止めます!」

 隻眼の男がそう叫ぶ間にも、男たちはユーリックに追いつかれ、少しずつその数を減らしていた。シャルタトレスですらユーリックの急所を矢で射抜くことはできないのに、男たちの矢が通じるはずもない。その上、曲刀をあっさりへし折る戦槌同然の腕を持つユーリックが相手では、一〇人程度の頭数では足止めにすらならないだろう。

「じじいがやる気見せんなよ、ったく……!」

「おい」

 ウバイドが背負っていた弓を手に取ろうとするのを押さえ、シャルタトレスはいった。

「あの大酋長の息子にしちゃ、さして強くもねえ弓を使ってるな、おまえ」

「は? この状況で何いってんだよ、あんた!?」

「ま、この際ぜいたくはいえねえか……おまえ、立て続けに二本、間を置かずに放って同じ的に当てられるか?」

「続けざまにか? そりゃまあ……やったことはないが」

「……ねえのかよ」

「でもまあ、ほら、オレって本番に強い人間だし」

 ウバイドの口調は冗談めかしていたが、それなりに自信はあるようだった。おそらくこの王族の若者は、こうしたふざけた態度で自分の実力を隠すことで、権力争いから身を遠ざけて今まで生きてきたのだろう。いずれにしても、シャルタトレスが右腕を負傷している今、ウバイドの弓にすべてを賭けるしかない。

「……なら用意しな。矢は二本でいい」

 ここでラッハバラサムを使いきってしまえば、シャルタトレスの本来の任務に支障が出るかもしれなかったが、切り札を温存したままではユーリックは倒せない。そもそも、ここでウバイドに死なれては、任務の成否とは無関係に、大酋長の怒りを買ってチャグハンナという一族そのものが滅ぼされかねないのである。

「おまえの矢にわたしが魔法をかけてやる。近くにいたら巻き込まれて丸焦げになるような派手な魔法をな」

 矢筒から二本の矢を抜いたウバイドに、シャルタトレスはささやいた。

「……それを二発、あの小僧にぶち込め」

 一発だけではユーリックの怪物の手に受け止められかねない。シャルタトレスにとっても初めてのことだが、だから二発同時に使うしかなかった。

「…………」

 ウバイドが右手の三本の指の間に器用にはさんだ矢の先端に、シャルタトレスが魔力をそそぎ込んでいく。きょうの一発目を放つ時にはあれほど簡単に集中できていたのに、今はそれが難しい。肌の上におびただしい数の汗の珠が浮かび、流れ落ちていくのが自分でも判った。

 男たちはどうにかユーリックを追い払おうと、全員で断続的に矢を射かけている。だが、それもさして意味はない。男たちのむなしい努力をちらりと一瞥し、シャルタトレスはいった。

「あいつらには、何もかも捨てて遠くに逃げることだけ考えろって命じな。まあ、ほっといても命中した瞬間に熱風で吹っ飛ばされるだろうが、近すぎると本気で死んじまうからよ」

「人の部下だと思って気安くいいやがって……!」

 シャルタトレスの魔力によって、ウバイドの矢の先端が赤く輝き出す。それを見たシャルタトレスは、若者の肩を軽く叩いて半歩下がった。

「おまえら、全員下がれ! 馬のところまで逃げろ! オレさまの命令だ!」

 その時だけやけに真剣な表情で叫んだウバイドが、シャルタトレスが感心するほどの巧みさで、二本の矢を間髪入れずに放った。

「……確かに本番に強いらしいな」

 二本目の矢が弦を放れたのを見届けたシャルタトレスは、ウバイドの襟首を左手で掴んで一目散に逃げだした。

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